閑話休題。僕の女性遍歴。

誰が興味あんねん!!
とツッコミたくなるような事ですが、書かせて頂きますとも。何せ世の中には表現の自由という素晴らしい権利がありますから、興味のある方にだけ読んで頂ければ幸いです。

 まずはじめに言わせて頂きたい。
人生には3回モテ期がある。というのは嘘であると思っている。それは、国民の平均所得のようなもので、高額納税者もいれば、様々な理由で生活保護受給して暮らしている人だっている。だから、平均なんてものは決して皆がそれに近いという事では無いという事で、この人生モテ期論には全力で意義を唱えたい。

 それで言えば、以前に僕の親友①で紹介した彼なんかは、いわば起業に成功してその後、投資資産を形成し、不労所得で早期リタイアをしているクラスの人間だ。
それに比べて僕は、あいりん地区の日雇い労働者のような人間だ。

 つまりモテない。だけどモテたい。世の中の男性なら大半はそう思うだろう。
今回は、モテない男の残念な女性遍歴です。

 僕の初恋というものはとても曖昧だ。
ただ、6歳頃に近所に住んでいた一回り以上年上のお姉ちゃんに可愛がってもらっていて、子ども心に「このお姉ちゃんは綺麗で優しいな〜。」と思っており、そのお姉ちゃんが結婚した時には少なからずショックを受けた。それと同じ頃、遠くに住んでいるのに、親同士が知り合いだったのか、たまたま何故かよく遊んでいた女の子、今では名前も覚えていない子に僕はプロポーズをしたという。
母親からの証言だが、記憶に無い。

 そして、小学3年生の頃に、当時よく男子で「お前誰好きなん?」とみんなで言い合っていた時、なんとなく可愛いなと思っていた子の名前を言うと、翌日にはたまに遊んでくれてた高学年のお兄ちゃん達までその事で僕をイジってくる程に広まっていた。
相手がそれを知っていたかどうかは分からない。何せ下の毛もまだ一本も生えておらず、
ポケモンとミニ四駆に熱中しているシャイボーイにそんな事を確認する度胸も無い。
 ただ、それ以来その子の事を思いきり意識していたのは覚えている。小学生ながらに色気のある子だった。告白も何もせずに終わったが。

 小学生の僕は、最終的には野球と恋人になってひたすら友達と草野球をしたり、一時は友達と集まって野球チームを作ろうとする位にまで熱中していたが、残念ながら死ぬ程モテなかった。余談だが、親友①くんはこの頃からめちゃくちゃモテていて、既に彼女らしき存在もいたのだ。世の中には格差がある。

 中学生になった僕は、恋愛というよりも
セックスがしたいという性欲丸出しの思考で女子を見るようになっていた。好きなテレビ番組はサンテレビののりノリ天国と夜美女。
大変お世話になった。

 そんな脳よりも股間で物事を判断する僕にもようやくちゃんたした初恋と呼べるものがやってきた。中1か中2の時だったと思う。
 当時バスケ部だった子で、ポッチャリしていて声の可愛い子だった。

 これは今でも僕の好みのタイプの原型になっている。ぽっちゃり体型が好きで声フェチ。
僕の好みのタイプはこの時に形成されたのだ。

 そんな彼女とどうしても付き合いたくて、僕は3回告白して、なんとかお付き合いする事になった。その内の一回は、友達が見守る中、その子の家の近くの公園の公衆電話ボックスから家に電話をかけて呼び出して告白するという、今では考えられないやり方だったのを覚えている。相手もそんなストーカーにとうとう折れて付き合ってくれる事になり、ダブルデートなんかもしたのだが、その子には1週間でフラれた。今でもこれはハッキリと覚えている。

 人生初の失恋は、理科室の掃除中に訪れた。その子に呼び出されて、なんと言われたのか内容は覚えていないが、フラれた事はハッキリと覚えている。
 その時の僕がショックだったのは、フラれたという事よりも、その子とセックスが出来なかったという事だけが残念で仕方無かった。
そんな奴だからフラれたのだろう。
ちなみに後にその子は、僕の親友②くんに告白して付き合う事になる。世の中には格差がある。

 その後、全く色恋沙汰と縁が無く、親友②くんと一緒に無人レンタルビデオ屋でコソコソとAVを借りたり、親友③くんが教えてくれた誰にでもエロ本を売ってくれるというタバコ屋で買ったエロ本を、2人で公園で熟読したりして僕の中学生活は終わった。
 ちなみに中学時代のエピソードで、僕が決定的にモテなくなった大きな原因が1つある。
 当時、様々な方法を駆使して入手したエロ本やAVの貸し借りを友達とよくしており、たまたま僕はその日、通学用のサブバックにエロ本を入れて学校に持って行っていたのを女子にバレて、思春期で多感な女子達から、伝説のポケモンのフリーザのれいとうビームのような視線を浴びた。皮肉な事に逆に男子達からはとても高評価を得た。

 高校生になっても基本的に中学生の延長線のような生活が続いて、3年間は本当に全くもって色恋沙汰も無く、唯一ちょっと良い思い出は高校2年生の時に、当時バイトしていたコンビニの2つか3つ年上のお姉さんに恋をして、何度かアプローチをして一度だけ梅田に映画を見に行った事がある。もちろん告白も何もする前にフラれるのだが、めちゃくちゃドキドキして前の日にあまり寝れなかった僕は、肝心の映画、忘れもしない『キングコング』を見ている時に熟睡していた。
 余談だが僕は映画を見に行っても、初めから終わりまで起きていた事はほぼ全く無い。
ここ最近でも、妻と子どもとドラえもんの映画を見に行ったのだが、のび太達が映画のオリジナルキャラ達と出会ったのを見届けて、次に気がつくとクライマックスだった。

 そんな僕は学習能力が無い。中学生の頃と同様な事をして、高校でも決定的に女子達から嫌われるキッカケとなる出来事があった。

 当時高校3年生。最後の文化祭。クラスのみんなは最後の思い出を作る為に、本気で劇をしようという事で、図書室でいくつかの劇の候補となる題材のビデオを必死で見て、みんなで意見を出し合っていた。
 そんな中、僕と親友②くんともう1人仲の良かった小柄ながらケツ毛ボーボーというギャップのある友達と、僕たちがよくイジっていた友達に「おい、○○ちゃん。今から携帯でエロ動画音量全開で流せや。」と要求していた。
 当然ながらその子は全力で拒否していたが、しつこく何度も言うと、嫌々ながら彼はダウンロードしていたエロ動画を流してくれた。
 クラスのみんなはビデオで見ていた『アニー』に感激していた。
 僕達はその携帯を取り上げて音量を最大にした。図書室中に喘ぎ声が流れた。
 その日、僕達のクラスは文化祭で『アニー』の劇をやる事に決まった。

 文化祭当日、僕は舞台の端っこでセリフの無い役割を振り分けられて、ただ舞台上で立っていた。そして親友②くんとケツ毛くんは、照明を担当させられていた。みんなからの「これ以上邪魔すんなよ。」という無言の抗議だろう。
 しかし、僕達はめげない。本番こそちゃんとやったが、練習では照明担当の2人が僕の股間にスポットライトを当てて、僕は恍惚な表情を浮かべて3人で爆笑していた。
 クラスの誰もがその光景をゴミを見るような目で見ていた。

 一応ながら僕は、高校3年間ラグビー部で、3年生の時は部長。最終的に残った部員は僕を含めて2人だったが。
そして、生徒会役員で書記も務めていた。
会議中にエロ本を読んでいて以降は議事録は書く事は無かったが。
 肩書きだけなら、ラグビー部部長で生徒会役員。そして自慢だが、体育での持久走で、タイムが学年上位20名は廊下に名前を張り出されるが、僕は学年13位だった。
 これだけの肩書きがあっても、全く女子に相手にされないのだから、僕の当時の日頃の行いがいかに酷かったのかはご理解頂けるだろう。

 この話題はもう少しだけ続きます。

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