虐待されて「わたし壊れちゃった」というあなたへ。小説『地球星人』を読んでみて、スカッとするよ
芥川賞作家・村田沙耶香さんの『地球星人』を読んだ。子どものころ息を殺して生きてきた自分としては、グッと来っぱなしだった。すごくよかった。
まずは、ざっくりあらすじを。
これは虐待を受けていた小学5年生の少女が、世間の常識から逃げて逃げて逃げまくり、とても痛々しくはあるが「自分だけの幸せ」を見つけるまでのお話である。
彼女の日常に、味方はいない。虚弱な姉ばかりひいきする両親。少女のことは「できそこない」とさげすみ、何か言えば「アンタまで手をかけないで!」と怒り狂い、思い切り手をあげる。なのに、陰では鬱憤を吐き出すかのようにいじめてくる姉。外に出れば、少女がオトナに従順なのをいいことに、性的願望のはけ口にする塾講師が待っている――。
そんな「地球人」から魂を守るために、少女は自らを架空の星「ポハピピンポボピア星」から来た魔法少女だと信じこむ。彼らと自分の間には、交わることのない大きな隔たりがある。心のスイッチを切る魔法、幽体離脱をする魔法。魔法を使っているときの彼女は無敵だ。ただし、それ以外のときは「地球人間の出来損ない」だと、できるだけ気配を殺して生きている。
彼女が心を開いているのは、ポハピピンポボピア星の使者であるピュート(実は人形)と、年に1度だけ会えるいとこの少年だけ。少年も、彼の母親から偏った愛の呪縛を受けており、少女とは言葉にできない絆を感じていた。
彼らの交わした約束は、この地球で「何があっても生きのびる」こと――。
これらのくだり、虐待をうけてきた人には、身に覚えのあるエピソードばかりじゃないだろうか?
少なくとも、わたしはそうだった。
わたしも親から殴られて育ち、やはり繊細な弟は怒鳴られることさえなかった。小学校低学年のときは、見知らぬお兄さんからキモチワルイことをされた。まぁ、団地のウラに連れ込まれてディープキスやスカートの中の写真を撮られる程度だったから、あれは気にすることだったのか? もう正直わからない。大人に反論しない訓練を受けたわたしは、いつものクセで「自分が悪い」と思い込んで、唇がもげるぐらい水道で洗ってたなぁ。
悲しい現実だけど、家の中で虐げられてる子どもは、外で性的虐待の餌食になることも多い。何人も知っている。「オトナに反抗したらひどい目にあう」って教えてくれたのはパパとママ、あなたたちだったよね?
30代の今でも、性とか人間的な生活には、いささか思考の偏りがあったりする。子どもを産みたいと思ったこともない。地球の繁殖要員としては失格だし、「更正」させようという人もいるだろう。
でも、わたしがこの本を虐待から生きのびたサバイバーさんに勧めたい理由は、「当事者の気持ちがわかってるねぇ」ということだけじゃないのだ。
こういう話ってふつうなら、「自分を卑下して苦しみ続ける」または「地球人(世間)との折り合いをつける」というコースをたどりがちだけど、少女は違う。ポハピピンポボピア星の方が、地球人より「上」だという認識なのだ。だから自分がオトナになっても、子育ての素晴らしさを善意で押し付けるとか、働く美徳を語るとか、そんな「地球人間の思想」に洗脳された人たちをブタを見るような目で見下してる。
いや、それはツラさ故の現実逃避……ととれなくもないんだけど。でも、そのシニカルな視点が、どこか元被虐待児の自尊心を救ってくれるんだ。
「見下し」の中にも、知性やユーモアがあって痛快。スカッとする。
この家畜が!――って品はないですけど、たまに心の中で罵倒するぐらいの権利、わたしたちにもあるよね。
守ってくれるはずの家庭が、いちばん恐ろしい場所だったわたしたちは、それがデフォルトのままオトナになってしまった。「ふつうの安心」や「ふつうの思いやり」が分からないから、普段はお手本をマネて演じている。実はそんな自分は空っぽだと感じるんだ。
この本を読むことで、わたしたちは灰色だったあの時間をもう一度生き直すことができるんじゃないか。もっと強く、もっと誇りを持って。
そして、結末は来る。あなたにも読んでほしいから詳しくは書かないけど……彼女は自分の大切な人たちと「地球人間的な思想に洗脳されていないオリジナルの幸せ」を追及し、それはある意味叶う。地球人のルールからは大きく逸脱した方法で。
結末の感想については、虐待を経験していないであろうノーマルの方々とは180度違う点だったので、あなたがどう感じたかはぜひ聞かせてほしい。
『地球星人』、虐待を生きのびた人にとって「本当の幸せ」が何かを考えさせてくれる本です。
スキを押してくださった方には、ドリンクをお出ししています。くつろいでね。