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noteを始めて一週間 毎日投稿で感じた己の変化
いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ。やってごらん。
岡本太郎(芸術家)
いつも読んでくださりありがとうございます!
今日でnote毎日投稿を始めて一週間、そんな中気づいたことがあります。
それは以下(①~③)の三つです。
はじめに
僕は稀代の面倒くさがり屋かつ飽き性で、始めようと決めたことは三日どころか三時間続けばいい方でした。
いや、そもそも始めないことの方が多かったか。
そんな僕でもこのnoteに関しては、既に七日間毎日続けることができています。
これはnoteというサービス自体が、使いやすくて素晴らしいものであることも一つですが(にぎにぎ)、僕自身の中に少し変化が現れたことが要因の一つです。
今回はそれらについて書いていきます。
これから、自分なりの発信をしたい人に届けばいいなと。
① 壁が高いのは始めだけ
noteに投稿をする方法はご存じですか?
そうです。記事を書いて、投稿ボタンをクリック。これだけですね。
しかし、投稿ボタンを押す、その一瞬の勇気が湧くまでに大変な時間を要しました。
今や僕は、全自動犬も食わねえ駄文製造マシーンになっちまってるわけですが、最初の投稿をするまで、実は約一年間かかっています。
始めたかった理由は、日常的に文章を書くことを習慣化するため。
それにあたり、noteというサービスがいかに適しているは重々承知の助でしたが、どうしても最初の一歩が踏み出せなかった。
怖かったのです。
不特定多数の人の目に触れられることが。
この恐ろしさは、やってみないと分かりません。
銀魂の作者である空知英明大先生は、漫画を公開することを「街中で自分尻の穴を露出する行為に相当する」と同作品内で表現されていますが、まじで言い得て妙です。
「銀魂」(空知英秋/集英社)より
お前ごときが空知先生にシンパシー感じてんじゃねえよチンパンジーがという、ごもっともなご指摘ありがとうございます。
でも、あの空知先生の言っていたことが、少しでも理解できるこの感覚は、なかなか味わえるものじゃありませんぜ。
まあ確かに規模感が段違いだけども。
ただ、それでも、やってみたいという想いは案外恐怖に勝てるようです。
一年にもわたる長期戦でしたが。
そして、最初の一歩を踏み出したら、案外それ以降は自然と足を進められることも分かりました。
大事なのは、最初の覚悟を決めること。そして、その際どのようにnoteを使っていくか宣言するのもよいでしょう。
僕の場合、少なくとも読んでくださった方には、自分の文章への想いを語っちまってるわけでして。
「中途半端に終わらしちゃ合わす顔がねえ」ってなります。
そんな理由で続けているのも事実ですが、単純に読まれて嬉しいという喜びもあります。
だから今日も明日も書くわけです。
しかし、「投稿ボタン」を押す。
そのたったワンアクションがない限り、今日も明日もないわけでした。
なので、ぜひ迷っている方がいたら「とりあえず、『えいやっ』とやってみる」ことを強くおすすめします。
② あなたが思ってるより、誰もあなたに興味ないですよ
これは声を大にして言いたい。
思えば、一体自分にどれだけの発信力があるから投稿を恐れていたのやら。
当然ですが、僕が渾身の力で書いた記事よりも、パンダの赤ちゃんが生まれたニュースの方がよっぽど価値がある。
要は大衆にとってあなたはどんな存在か、という話です。
あなたが有名人でもない限り、他人の目を気にする必要は全くないのです。
当然僕は地位も、実力も実績もない。
自分がオモシロイと感じた記事も、隣のおじさんに読ませたら「ワケの分からん」と一蹴されるのが関の山でしょう。
パンダには「可愛い」という、大衆が食いつく絶対的要素がある。それ自体に大きな価値がある。
生まれてこの方24年。よもや己とパンダを比較する日が来ようとは。
しかし、「何者」でもないことは「何書いてもいい」という後ろ盾にもなります。
幸か不幸か誰からも注目されていない間は、自分が書きたいことを、ただ書ける特権階級でもあるわけです。
なので、誰かに見られることが怖いのであれば、思い出してください。わたしはパンダじゃねえやってことを。
そしていつか功を成し、不自由な状況になった時。
「私も有名になったもんだぜ」と鼻の下でも掻くと良いでしょう。
③ スポンジになりたい
とうとうトチ狂ったかとお思いでしょうか。安心してください、既に手遅れです。
これはつまり、自分の周囲の情報に対しての、吸収率が上がったということ。
新聞、他の方のnote記事、CM、キャッチコピー、ドラマ、本。
普段何気なく目にしている情報も、蓋を開けてみれば途方もないリサーチや、トライ&エラーの賜物であったりします。
noteを始めて、普段から発信ができる環境になり、これらの情報の根源に対して敏感になりました。
「この記事は何を伝えたいんだろう?」
「この広告のコピーは、何故刺さるんだろう?」
「これを書いた人は、何を根拠に、どうしてこういう文にしたんだろう?」
とか。
おかげ様で、読むのが遅くなりました。ことあるごとに脱線や、ぶらり途中下車の旅。
ただ、この感覚こそが、いちばんの収穫かもしれません。新しい視点というものは、普通に生きていても得られないものですから。
そして「自分だったらこう書く」
この境地を日常的にできたら最高だなあと思うけど、まだまだ修行が足りないようです。
これからも、たくさんの情報に飛びついていきたいと思います。そしてオモシロイものを見つけたら、このnoteでお知らせします。
これもぶらり途中下車の醍醐味。乞うご期待。
まとめ
今回の記事をまとめると以下の通りです。
毎日投稿一週間目で気づいたこと……
☑一歩目の勇気さえ出せば、あとはすんなりいける。
☑他の人にどう思われるかなんて気にする意味はない。
☑「何者」でもないからこそ「何でも書ける」
☑情報をキャッチする力が自然と身に着いてくる。
そして、これらにもう一つだけ付け加えさせてください。
それは「書くことはやっぱ楽しい」ということです。
正直これに尽きます。(じゃあ今までのは…という意見には耳を貸さない)
でも、どんな人にとっても「それが楽しいから始めた」はず。
であれば、いつか迷ったとき、悩んだとき、この「楽しい」という単純な気持ちが、いつだって自分を立ち戻らせてくれることでしょう。
不特定多数のあなたへ
いつもくだらない話に付き合ってくださる方も、たまたまこの記事にたどり着いた方も、一人残らずありがとうございます。
皆さんのおかげで、何とか一週間持ちこたえることができました。
出来不出来はともかく、継続できたことが嬉しい。
このままのペースで毎日書いていけば、一年間後には少なく見積もっても365,000文字もの文章を書いたことになる。
これは文字数だけなら超大作「ハリーポッターと賢者の石」に近い。
つまり、こんな僕でも文字数だけなら、あのJ.K.ローリングに肩を並べられるということです。文字数の話ですよ、文字数。
そうやって体力をつけていって、習慣化していって、自分が思い描く文章ライフを作り上げていきたい。
浅ましいお願いで恐縮ですが、これからも生暖かい目で見ていて下さったらと思います。
その代わりといっては何ですが、僕もこれから不特定多数のあなたにとって、何か心の琴線に触れるような、もしくは役に立ったと感じていただけるような文章を綴っていきます。
一緒に楽しんでいきましょう。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
ぜひこれからも、フジカワの次回作にご期待ください。ヒーヒー言いながらなんとか言葉を繋いでいきます。
これからもたくさんの情報が待ち受けている。
俺たちの冒険はまだ始まったばかりだぜ!!
何だか最終回みたいになってしまいましたが、また明日からもがんばりまっせ。
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