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66.本質を突く事は本当に悪い事だろうか?

人間関係で苦労して来た過去

これまで自分が人間関係で苦労した理由の1つに、
相手の核心を無意識についてしまう事にありました

良くも悪くも、
感受性の高さ、洞察力の高さから、
瞬時に物事の矛盾や、根本的な課題、本質に
よく気が付く事が非常に多いです

それは皆当たり前に持っている感性だと思っており、
つい最近まで、自分の強みであると知りませんでいた

自分の属性である日本人であること、女性出る事で、
どの様な環境に置かれているか把握できていませんでした

日本人のコミュニケーションスタイルとして、
論理的な議論を良しと受け取られない事が多い事を知りませんでした

女性同士のコミュニケーションにおいて、
思っていなくてもとにかく褒め合う、
思っていなくても共感し合うといった
コミュニケーションを取る重要性、
また、そこから外れる者は、仲間外れにされることを知りませんでした

人間の心理というものがよくわかっていなかったのだと思います

子供の頃は特に、経験値が無い為、
特に無意識に他人の核心を付くことが多くありました

自分の意見をはっきり主張し、共感しないスタンスを取っていたことで、
仲間外れにされたり、変人扱いされたり、
何かと人間関係で苦労することが多かったという事に
つい最近になって気が付きました

その結果、
・自分の本心を言ってはならない
・自分の考えは人の核心をついてしまう
・人の核心を突く事は人を傷つける
といった経験則が自分の中に形成されてしました

人の核心を突く事は本当に悪い事だろうか

そうして、人が怖い、自分の意見を言うのが怖いと感じる様になり、
口数が減ってしまいました

自分が女性であり、
基本的には、女性の中でのコミュニティに属する事がほとんどであった為、

自分の意見をはっきり伝えたり、
核心を迫る様なストレートな物言いをすると嫌われることが多かったのではないかと、
今になっては思います

でも、本当に人の核心を突く事は悪い事なのでしょうか?

自分が逆の立場で考えた際、
核心を突かれると少し怖かったり、触れられたくない事を言われ、
嫌な想いをすることもあります

でも、その一方で、
自分の見えていなかった根本的な課題や特徴を指摘してくれる
ありがたい機会であるとも同時に思います

聞き心地の良い事しか耳に入れなくなると、
他人から見た自分を知るせっかくの機会を失ってしまい、
非常にもったいないと感じます

必ずしも他人からみた自分の姿が全て正しいとは限りませんが、
自分の事を思ってもいなかった受け取り方をする人が一定数いると
知っておくことは、
相性の良い人、悪い人を見分ける上で、非常に重要ではないかと思います

どこに自分を売り込めば、自分を高く評価してもらえるか、
逆に、どこに自分を売り込むと、努力しても成果が見込めないか、
傷付いたり、痛みを伴う事があるかもしれませんが、
自分の事を知る情報を集めるとても重要な過程ではないかと考えます

そういった際、本質をついてもらうというのは、
時にありがたい存在になる事があると思います

本質的問題を指摘する方が寧ろ優しくないか

本質を突くと、時に鋭い指摘をしてしまう事があります

その人がこれまで信じてきたことを否定したり、
頑張った努力の方向性が違うのではないかと言ってしまう事もある為です

でも、本質的な問題を指摘してくれる人は
実は1番優しいのではないかと思う事があります

同意や共感をしてくれる人は、良い人に感じると思います
でも、その一方で、改善点や現状の問題点を何も指摘してくれることはありません

相手がどうなろうと知った事ない、
嫌われるよりも良い印象を残した方が自分にとっては得と、
実は内面は非常に利己的で、
表面上だけが良い人である可能性が高いのではないかと考えます

一方で、耳の痛い事も言ってくれる本質を突く人は、

デリカシーが無いだけの人も一定数いますが、
そういった人を除けば、

相手の将来のことを思い、嫌われることを承知の上で、
意見を言ってくれる人ではないかと思います

将来ここに躓くだろう、
このままでは努力の方向性が間違っているから結果が出ないだろうと、
見えているからこそ、
敢えて言ってくれている可能性もあるなと、
自分の経験を踏まえて感じました

臭い物に蓋ばかりしていては、
何も解決しなくて当然だと思いますし、
解決できないやり方をしているのに、
お互いに責任を擦り付け合う姿は実に滑稽だなと感じます

本質を突かれた側の自信や自分軸の無さが本当の原因では

多くの場合、本質を突く人が悪者扱いされる事が多いと感じます

デリカシーが無い、
正論を言ってもしょうがない、
そういうことはいうものではないと

でも、本質を突く人が悪いのではなく、
突かれた側の自信の無さや、自分軸が無い事が
1番の原因ではないかと思います

必ずしも本質を付いて来る人の意見が正しいとは限らない事もあります
どれだけ理論整然としていても、それはあくまで自論です

また、本質を突かれたと感じる側に、
無意識か、意識的かどうかに関わらず、
何かしらの考えや、課題を感じている
何かしらの上手く行っていない理由があるのではないかと思います

相手の意見をぶつけられた際、
自分の抱えている課題や、考えをぶつけてみれば良いだけの話ではないでしょうか

意見を言われて、
相手から不快と感じることを言わた、
正論を言われて自尊心を傷つけられた、
こんなひどい事を言う人だと、
意見を伝えてきた人自体の人格を否定するような受け答えは、
あまりにも稚拙な対応だと個人的には感じます

正論を言ってくる、本質を突いてくる人も、
客観的に見たらそのような考え方をしていても、
その裏にある背景を聞けば、
自分の意見は的確なアドバイスでは無かったと気付かされることもあります

課題も、考えも、背景も、何もかも言葉を介さず、
また自分が考えている通りに、
相手に察して欲しいだなんて、
あまりにも暴論が過ぎると感じます

自分の自尊心を守る為に感情的に相手を攻撃するのではなく、
人の意見を伝えられた際、
それに対応できるだけの自分の考え方や、
相手の意見を受け止められる自己肯定感の無さが
何よりも問題ではないかと思います

日本人が議論出来ないと言われる理由がここではないかと自分は考えます

無駄な敵を作らない為にも自分の強みを把握する事は大事

とはいえ、本質を捉えられる側の人間にも、対応した方が良い事があると感じます

本質を捉えられる人は、
自分が人よりも本質をしっかり捉えられる力を持っているという自覚が無い事が多いと思います

特に、日本にいると、
謙虚である事が美徳と捉えられることが多い為、
自分の良さを自覚する事が難しいのではないかと考えます

仮に自覚をしていたとしても、
人より少し出来る程度と、かなり控えめな自己評価ではないかと思います

自分では当たり前にできる事だからこそ、
自分の良さや強みは、自分では意外とわからない事が多いですよね

色々と痛い想いを沢山経験してきて、
自分の強みをしっかりと自覚できていない事は、
対人関係において、非常に危険であると気付かされました

自分の強みは、自分にとっては、出来ることが当たり前である為、
出来ない人を見ると、なぜ出来ないのか理解できない事が多いです

その為、出来ない人を見ては、
馬鹿にしたり、軽蔑してしまう事があります

自分には全く悪気は無くても、
なぜあの人は出来ないのか?
それって当たり前ではないの?と

その結果、知らず知らずの内に、人を傷つけ、
デリカシーの無い言動、
相手を追い詰める様な発言を取ってしまう恐れがあります

結果として、
どれだけ良い気付きや考え方を言っていたとしても、
自分の周囲に無駄に沢山の敵を作ってしまい、
自分を生きづらくさせてしまう事に繋がってしまう事があります

こうしたことに気が付けないでいると、
何となく自分の意見が言いづらい、
人と関わるのが嫌だと感じると、
本質から外れた嫌悪感を抱くようになってしまいます

まずは、自分の強みをしっかり自覚し、自己受容を養う事、

次に、自分の得意な事が出来ない人がいることを受け入れる事、

そして、自分が当たり前と思う事を伝える際には、
当たり前と思っていない、苦手と感じる人がいる事を念頭に置きながら、
自分の意見を伝えることが出来れば、

自分の個性を「強力な武器」、「強み」として、
活かしていけるのではないでしょうか?

洞察力がある、本質を捉える力がある、
一見扱いづらかったり、煙たがられることもある特徴ではありますが、

バランス感覚さえ獲得できれば、
あとは自分を守ってくれ、独自性を生み出し、貴重な意見として重宝される
こんなに素晴らしい個性は無いと、自分は思います

読者の皆様がせっかくの個性や強みを
邪魔者扱いすることが無く、生き生きと使っていける事を
切に願っております

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