PERCHの聖月曜日

毎週月曜日に、芸術文化にまつわる言葉とともに、言葉と結びつく(かもしれない)芸術作品を…

PERCHの聖月曜日

毎週月曜日に、芸術文化にまつわる言葉とともに、言葉と結びつく(かもしれない)芸術作品を紹介します。 月曜日が「自分自身の気晴らしと楽しみの日」となりますように。(PERCHスクール校長 木原進[梅ノ木文化計畫]) https://school.perch.tokyo/

最近の記事

PERCHの聖月曜日 100日目

溜息から生まれた山 アルダハールには「コラジャラールの小刀」とよばれる小さな山並がある。この山並は、ソルターン・アリー廟と山向こうの集落の間にあって視線を遮る衝立になっている。人々は言う。「ソルターン・アリー様は、その集落の一部の指導者が恥ずべき行いをしたことにお怒りになったとき、溜息をついて彼らを呪った。すると地面が盛り上がり、溜息から山が生まれた。山はソルターン・アリー様の墓所と集落の間に壁のように立ちふさがり、墓所とドームが信頼のおけぬ者たちの目に触れぬよう守っている

    • PERCHの聖月曜日 99日目

      子供にとって茸の担っていた価値はもっと複雑な区別を持っているのであるが右にあげただけでもそう単純なものではない。このような区別は希少性の度合からも説明し得られるであろう。しかし、希少性だけがその規定者ではなかった。どんなに珍しい種類の毒茸が見いだされたとしても、それは毒茸であるがゆえに非価値的なものであった。では何が茸の価値とその区別とを子供に知らしめたのであろうか。子供の価値感がそれを直接に感得したのであろうか。もし色の美しさがその決定者であったならば、そうも言えるであろう

      • PERCHの聖月曜日 98日目

        定理四二 愛に基づいて、あるいは名誉を期待して、ある人に親切をなした人は、その親切が感謝をもって受け取られないことを見るなら悲しみを感ずるであろう。 証明 自分と同類のものを愛する人はできるだけそのものから愛し返されるように努める(この部の定理三三により)。だから、愛に基づいてある人に親切をなした人は、愛し返されるようにとの願望をもって、言いかえれば(この部の定理三四により)名誉すなわち(この部の定理三〇の備考により)喜びを期待して、それをなすのである。したがって彼は(この部

        • PERCHの聖月曜日 97日目

          肯定と否定の蝟集。そして少し肯定する反感。少し否定する賛意。 そうだ。貝殻が自己を守る本能に近い。ぼくは貝の身である自己にあき、殻である自己にもあき、時々身を愛し、殻を誇る自己に安心する。 背中がかゆいが、どうすることもできないでいる。どうにかしようとして非力。どうにもならない淋しい無駄な人間の力。その焦燥感は時間が皺をきざむにつれて心地よいものになる。すなわち、仕方ない苦しさとマゾヒズムに自己を浸す以外なくなる。詩はこんな苦痛と、レストレスな気分と傷ましい喜びのうちに生ま

        PERCHの聖月曜日 100日目

          PERCHの聖月曜日 96日目

          味覚はもちろん触覚である。甘いも、辛いも、酸いも、あまり大まかな名称で、実は味わいを計る真の概念とはなりがたい。キントンの甘いのはキントンだけの持つ一種の味的触覚に過ぎない。入れた砂糖の延長ではない。 乾いた砂糖は湿った砂糖ではない。印度人がカレイドライスを指で味わい、そば好きがそばを喉で味わい、鮨を箸で食べない人のあるのは常識である。調理の妙とはトオンである。色彩におけるトオンと別種のものではない。 五官は互に共通しているというよりも、殆ど全く触覚に統一せられている。いわゆ

          PERCHの聖月曜日 96日目

          PERCHの聖月曜日 95日目

          夜、家の者が寝静まってしまうと私も疲れを覚えて来て体をちょっと横たえようとし、そのあたりに散乱している絵具皿を片つけにかかる。ふと絵具皿の色に眼がつく。それが疲れ切った眼に不思議なくらい鮮明に映る。めずらしい色などその中にあると、 「おや、いつの間にこのような色を……ちょっと面白い色合いやなア」 と思わず眺め入ってしまう。それをここへ塗ったらとり合わせがいいなあ――とつい思ったりすると、いつの間にか右手は筆をもっている。識らず識らずのうちに仕事のつづきが続いている。 同じよう

          PERCHの聖月曜日 95日目

          PERCHの聖月曜日 94日目

          甲賀流「描き文字」術のひみつ ぼくの描き文字デザインの個性といっても、なかなか微妙でね。ゴシックの写植文字をピンセットで詰め貼りしただけでも、「あっ、平野のデザインだ」とわかっちゃう人がいるらしいから、描き文字だから個性的というような単純なことじゃないんだろうと思うんだけど・・・・。 たとえばグリコのおまけとか紅梅キャラメルの包み紙とかさ、昔の映画やストリップ小屋のポスターとか、そういうものが念頭にあることはある。ああいうものがもっていた庶民的な暖かさみたいなものに近づきた

          PERCHの聖月曜日 94日目

          PERCHの聖月曜日 93日目

          –––本作を作る過程で、観客に伝えたいと思ったことを教えてください。 現在もホロコーストの存在を否定している声がたくさんあります。明らかに事実なのに、修正するようなことが言われているのを目にすると私は怒りを覚えます。ですから、この映画で改めて、あの出来事を語る必要があると感じました。時間が経つにつれ、生きた記憶は遠ざかっていきますから、否定する人や歴史を修正しようとする人たちが出てくる。だから、私はこの出来事についてきちんと語り直す必要があると思いましたし、正面から強く主張

          PERCHの聖月曜日 93日目

          PERCHの聖月曜日 92日目

          ただ河原君自身はその後変わりまして、今デイトペインティングといわれる何年何月何日というのを一日に一枚二十号くらいの絵に描いている。そして夜の十二時を過ぎたらそれを一切破棄する。その作品を。というそういうデイトペインティングになっていて、この浴室シリーズだけ日本で取り上げられることに非常に不満なんですね。だからアレクサンダー・マンローという、アメリカの女性が企画した「戦後日本の前衛」展ていうのが横浜美術館で開かれてそれからアメリカを巡回しましたけども、そこにも河原温はこの浴室シ

          PERCHの聖月曜日 92日目

          PERCHの聖月曜日 91日目

          一五一二年の恐怖 システィーナ礼拝堂天井画製作の時期には、フレスコ画に立ち向かう超人的労苦や当時のミケランジェロが味わっていた孤立感、そして家族のいざこざなどからくるあらゆる種類の心労によって精神的な緊張が増幅されていたが、さらにそれに加えて、一五一二年にはスペイン軍がトスカーナに侵攻し、その結果の無惨なプラート劫掠とフィレンツェのソデリーニ政権崩壊という政治的ドラマが重なった。敵軍の接近を前にしたミケランジェロの衝動的な反応は、一四九四年に彼をフィレンツェ出奔に駆り立てたも

          PERCHの聖月曜日 91日目

          PERCHの聖月曜日 90日目

          高橋由一や、黒田清輝や、青木繁をも含めて、明治の画家たちが–––いやさらには明治のエリートたちが–––皆そう出会ったように、狩野芳崖も、時代の要請として、社会的責任を負わされていた。まして彼が、維新の変革に大きな役割を果した長州豊浦藩の出身であったことを思えば、彼が絵筆をもって「お国のために」尽すのを自己の当然の使命と考えていたのも充分にうなずけることであろう。彼のそのような使命感は、時に、画家の使命は大いに絵を売って国防のための軍艦を買うことだというような単純な発想となって

          PERCHの聖月曜日 90日目

          PERCHの聖月曜日 89日目

          パンで思い出すのは、北京の北京飯店の朝のマアマレイド。これは誰が煮るのか、澄んだ飴色をしていて甘くなく酸っぱくなく実においしい。  私はめったに友人の家へ泊ったことがないけれど、鎌倉の深田久弥氏の家へ泊った時の朝御飯は、今でも時々、うまかったと思い出す。奥さんはみかけによらぬ料理好きで、ちょいちょいと短時間にうまいものをつくる才能があって、火鉢でじいじいと炒ためてくれるハムの味、卵子のむし方、香のもの、思い出して涎が出るのだから、よっぽど美味かったのに違いない。  私は、

          PERCHの聖月曜日 89日目

          PERCHの聖月曜日 88日目

          昭和五十一年七月三十一日(土)[木内克先生応接室] こんど西武美術館で「ドガ展」をやるらしいね。 踊り子、馬、裸婦とドガの主要作品が全部展観出来るらしいから、うれしいな。 油彩、パステル、デッサンそれに彫刻も加えられている、立派な展覧会になるようだ。 大体、ヨーロッパで名の知られている画家の絵は、どれも彼も、彫刻をやれるような絵を描いているんだよ。 日本の場合、彫刻をやれるような絵を描いている人は少ないな。 パリにいた、若い頃、ロワイヤル通りに彫刻だけを扱っている画廊があっ

          PERCHの聖月曜日 88日目

          PERCHの聖月曜日 87日目

          民衆の側における生活の自立・自存にたいしてブルジョアの仕掛けた撲滅運動は、下層の平民大衆が、経済的に別々にされた男性と女性からなる、清潔な生活をいとなむ労働者階級へと変化したときにはじめて、大衆の支持をかちとることができた。この階級の一員として、男性は自分の雇用主と共謀することになった。両者はともに経済の拡張に関心をもち、人間生活の自立・自存の抑制に関与したのだった。とはいえ、こうした撲滅運動にさいして資本と労働のあいだのこの基本的な結託関係は、階級闘争という儀式によって隠蔽

          PERCHの聖月曜日 87日目

          PERCHの聖月曜日 86日目

          三月二日付の『朝日新聞』に紹介されたもので、神奈川県で採集された次のような替え歌である。 (四) 公衆便所に入ったら 紙がない 財布を開けたら 千円一枚 ふいたらもったいない ふかなきゃ帰れない ルルルルルル きょうは悲惨な日 (三)と見くらべると、小さなバリエーションの範囲を越えるほどの歌詞で、独立した替え歌に加えてもいいほどだが、ただトイレに入って紙がなく、紙といえば千円札一枚でどうしようとなやむ内容はまったく同一である。そしてこの(四)の最終行は、明らかに元歌を踏ま

          PERCHの聖月曜日 86日目

          PERCHの聖月曜日 85日目

          その晩、マクネとコットマンとぼくは、持ち主のいない建築用地のはずれの背の高い草のあいだで寝た。この季節にしては寒い夜だった。だれもたいして眠れなかった。コーヒー一杯にありつくまえに、長時間、暗い気持ちでうろつき回ったのを覚えている。バルセロナに来てはじめて、ぼくは大聖堂を見に行った——近代的な大聖堂で、世界でいちばん醜悪な建物のひとつだ。まさにライン・ワインのビンの形そのままの、銃眼模様の尖塔が四つあった。バルセロナの大半の教会とは異なり、革命のときに損傷をうけなかった。「芸

          PERCHの聖月曜日 85日目