PERCHの聖月曜日

毎週月曜日に、芸術文化にまつわる言葉とともに、言葉と結びつく(かもしれない)芸術作品を…

PERCHの聖月曜日

毎週月曜日に、芸術文化にまつわる言葉とともに、言葉と結びつく(かもしれない)芸術作品を紹介します。 月曜日が「自分自身の気晴らしと楽しみの日」(『パリの聖月曜日』より)となりますように。(PERCHスクール校長 木原進)

最近の記事

PERCHの聖月曜日 88日目

昭和五十一年七月三十一日(土)[木内克先生応接室] こんど西武美術館で「ドガ展」をやるらしいね。 踊り子、馬、裸婦とドガの主要作品が全部展観出来るらしいから、うれしいな。 油彩、パステル、デッサンそれに彫刻も加えられている、立派な展覧会になるようだ。 大体、ヨーロッパで名の知られている画家の絵は、どれも彼も、彫刻をやれるような絵を描いているんだよ。 日本の場合、彫刻をやれるような絵を描いている人は少ないな。 パリにいた、若い頃、ロワイヤル通りに彫刻だけを扱っている画廊があっ

    • PERCHの聖月曜日 87日目

      民衆の側における生活の自立・自存にたいしてブルジョアの仕掛けた撲滅運動は、下層の平民大衆が、経済的に別々にされた男性と女性からなる、清潔な生活をいとなむ労働者階級へと変化したときにはじめて、大衆の支持をかちとることができた。この階級の一員として、男性は自分の雇用主と共謀することになった。両者はともに経済の拡張に関心をもち、人間生活の自立・自存の抑制に関与したのだった。とはいえ、こうした撲滅運動にさいして資本と労働のあいだのこの基本的な結託関係は、階級闘争という儀式によって隠蔽

      • PERCHの聖月曜日 86日目

        三月二日付の『朝日新聞』に紹介されたもので、神奈川県で採集された次のような替え歌である。 (四) 公衆便所に入ったら 紙がない 財布を開けたら 千円一枚 ふいたらもったいない ふかなきゃ帰れない ルルルルルル きょうは悲惨な日 (三)と見くらべると、小さなバリエーションの範囲を越えるほどの歌詞で、独立した替え歌に加えてもいいほどだが、ただトイレに入って紙がなく、紙といえば千円札一枚でどうしようとなやむ内容はまったく同一である。そしてこの(四)の最終行は、明らかに元歌を踏ま

        • PERCHの聖月曜日 85日目

          その晩、マクネとコットマンとぼくは、持ち主のいない建築用地のはずれの背の高い草のあいだで寝た。この季節にしては寒い夜だった。だれもたいして眠れなかった。コーヒー一杯にありつくまえに、長時間、暗い気持ちでうろつき回ったのを覚えている。バルセロナに来てはじめて、ぼくは大聖堂を見に行った——近代的な大聖堂で、世界でいちばん醜悪な建物のひとつだ。まさにライン・ワインのビンの形そのままの、銃眼模様の尖塔が四つあった。バルセロナの大半の教会とは異なり、革命のときに損傷をうけなかった。「芸

        PERCHの聖月曜日 88日目

          PERCHの聖月曜日 84日目

          「モリスはオーウェルと近づきになってまもなく、彼とBBCの喫茶室にお茶を飲みに行ったことがあった。例によって混雑していて、二人が座ったのは先客のあるテーブルだったが、オーウェルはすぐさま紅茶を受け皿にあけて、大きな音をたててすすりはじめた。モリスが普通のやり方で自分のお茶を飲みつづけたとき、彼は無言のまま、かすかな挑戦的な表情を浮かべて、モリスの顔をじっと見つめた。同じテーブルに座っていた二人の門衛は、憤慨したような面もちで、やがて立ち上がって出て行った。」これがその文章であ

          PERCHの聖月曜日 84日目

          PERCHの聖月曜日 83日目

          二十世紀初期に活躍したアメリカの美術史家バーナード・ベレンソンは、フィレンツェにかまえたイタッティという名の館で、よく美術品の鑑定をおこなった。彼は派手好きで、一般の道徳や常識を超越した生まれながらの鑑定家だった。ベレンソンは仲間たちに、ある作品が贋作か、それとも未熟な模造品かを鑑定するときに、なぜ自分が細かい欠陥や矛盾に気づいてしまうのか、どうしてもうまく説明できないとこぼしたという。ある美術品を鑑定した際、ベレンソンは自分の腹がだめだといっているとしか説明できなかった。奇

          PERCHの聖月曜日 83日目

          PERCHの聖月曜日 82日目

          41 同食の禁 いわゆる食い合わせてわるいものが多いので、ここに記して注意したい。 豚肉に、生姜・そば・胡荽・いり豆・梅・牛肉・鹿の肉・すっぽん・鶴・鶉などがわるい。 牛肉に、黍・にら・生姜・栗・などがいけない。 兎肉に、生姜・橘の皮・芥子・鶏・鹿・かわうそなどがいけない。 鹿に、生の菜・鶏・雉・蝦などがいけない。 鶏肉と卵に、芥子・にんにく・生葱・糯米・すもも・魚汁・鯉・兎・かわうそ・すっぽん・雉などがいけない。 雉肉に、そば・きくらげ・胡桃・鮒・なまずなどがいけない。 野

          PERCHの聖月曜日 82日目

          PERCHの聖月曜日 81日目

          野坂昭如さんが衆議院選に出たとき、運動員のひとりとして手伝ったことがありました。で、ある人に「デザイナーをやめて今度は選挙屋になったんですか」って言われたが、ぼく自身、野坂さんみたいにすごい体験はしていませんけど、ああいう生き方というのは人間的に非常に好きだし、世代もちょうどぼくも同級生のお兄さんの年代なので、共鳴する部分が多いんです。あの頃、『四畳半襖の下張』の裁判があって、ぼくは本質的に人間の感覚にまで国が線を引いてもらっては困ると思うし、もしぼくの作った椅子が猥褻だから

          PERCHの聖月曜日 81日目

          PERCHの聖月曜日 80日目

          普通の市民と市民運動 一九八〇年三月七日 「サザエさん」が安楽な日常生活を愛し、それに満足しているということは、六〇年代から七〇年代にかけて日本にすでに現れている経済的帝国主義を見逃すという傾向をつくっているでしょう。しかし同時に、「サザエさん」の思想のなかにはまだまだ二つのブレーキが働いています。一つは、たとえば、日本の海外における経済的利害を守るために軍隊を派遣すべきである、という戦前の日本がもっていた思想が、影さえも見られないことです。もう一つは、平均の人間の生き方、

          PERCHの聖月曜日 80日目

          PERCHの聖月曜日 79日目

          パリで始まった全国博覧会は、四九年を持って終わりをつげ、一八五一年、ロンドンにおける万国博覧会によってその新しい時代が始まる。 ロストウは産業革命を背景とする民族国家の形式過程を〈離脱〉とよんでいるが、彼によれば、離脱をもっとも早くなしとげ、次の成熟の段階へと入る転換を一八五〇年としている。だから多くのモダン・デザイン史が、その出発点においているのは正当である。この博覧会は、デザインに関係する、まったく異った印象を世人に対して強烈に投げかけたのである。それは水晶宮に見られる

          PERCHの聖月曜日 79日目

          PERCHの聖月曜日 78日目

          芸術家が順応したり追従したりしなければならぬというのはただ一方だけのことではない、新しい芸術作品がつくり出されるとき起こることは、その前に出たあらゆる芸術作品にも同時に起こることである。現在残っている著名な作品はおたがいのあいだに理想的な秩序を形成しているが、この秩序は新しい(ほんとうに新しい)芸術作品がそこへ入ると変更されるのだ。現在ある秩序は新しい作品があらわれないうちは完結しているわけだが、目新しい作品が加わった後でも持続したいというのなら、現在ある秩序全体が、たとえ少

          PERCHの聖月曜日 78日目

          PERCHの聖月曜日 77日目

          アブー・ヌワースはアラブ世界で最も著名な詩人の一人である。八世紀から九世紀にかけて、アッバース朝イスラム帝国の最盛期に活躍した詩人で、特に酒の詩人として名高い。酒の詩人といえば、我々日本人には唐の李白が第一人者としてまず頭に浮かぶ。また、一部の人はペルシャ の学者詩人オマル・ハイヤームを思い浮かべるであろう。しかし、ここに李白やオマル・ハイヤームに恐らく比肩するもう一人の酒の詩人をあげることができそう。アブー・ヌワースがその人である。 三人はいずれ劣らず酒を愛し、酒を礼讃す

          PERCHの聖月曜日 77日目

          PERCHの聖月曜日 76日目

          次々と移り変る印象を楽しもうとする人は自己の認識能力を鈍らせる。何かを享受したあとで、この楽しみから何かを明らかにさせる人は自分の認識能力を育成し、向上させる。ただその際必要なのは、楽しみの余韻だけをひびかせるのではなく、そこから受け取れる楽しみをあきらめて、内的作業を通して享受したものを消化しようとする態度である。危険をまねく暗礁は非常に大きい。内的な作業を行う代りに、つい反対のことをやってしまい、その楽しみをいつまでも完全に味わいつくそうとしたくなる。神秘学徒の眼につかぬ

          PERCHの聖月曜日 76日目

          PERCHの聖月曜日 75日目

          最も有名なスキンダイバーは、日本の海女だろう。素潜りで海中の貝やナマコ、タコ、ウニ、海草などを採集する女性たちだ。これらの魚介類や海草は、日本では昔から珍味とされている。また、真珠の養殖に使うアコヤガイも主に海女が採集してきた。海女の起源は2000年以上前と古く、伝統的に女性ばかりである(男性は海士)。浮世絵の画家たちは、若い美しい女性が上半身裸で海に潜り、高価なアワビを集めるようすを木版に刻んだ。中宮定子に仕えた女官の清少納言は、約1000年前に次のように記している。 海

          PERCHの聖月曜日 75日目

          PERCHの聖月曜日 74日目

          結び 私は民藝館の蔵品について、そのあらましを述べましたが、次にその特色について述べてみたく存じます。いずれの国にも民藝品はあり、互いに多くの共通点を示しておりますが、自然と歴史という二つの大きな背景により、必然に各自独特の性質が示されております。 まず日本の品は、遠く深い歴史を持ち、伝統を背負うことにその特色があります。史実以前の時期は別と致して、ほぼ千年に近い歳月の基礎が見られます。次に日本は厚く海洋に囲まれているため、歴史に大きな外寇がなく、これが日本の品々に固有さ

          PERCHの聖月曜日 74日目

          PERCHの聖月曜日 73日目

          1 聴覚的空間 感情へ話しかける音 耳は人間の感情生活と密接に結びついている。それはもともと生存のためだった。ワトソンは「突然の大きな音」は、幼児に衝動的な(学習によらない)恐怖反応をひき起こすと考えたが、この「突然の大きな音」は成人にも急激な(条件反射による)恐怖反応をひき起こす。これは自動車の警笛を考えてもわかる。救急車の場合でも、最初に警告を与えるのは、くるくるまわるブリンカー灯でなくて、サイレンではないか。タクシーも、通行人に危険を知らせるのに、旗かなにか目に見え

          PERCHの聖月曜日 73日目