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PERCHの聖月曜日 96日目
味覚はもちろん触覚である。甘いも、辛いも、酸いも、あまり大まかな名称で、実は味わいを計る真の概念とはなりがたい。キントンの甘いのはキントンだけの持つ一種の味的触覚に過ぎない。入れた砂糖の延長ではない。
乾いた砂糖は湿った砂糖ではない。印度人がカレイドライスを指で味わい、そば好きがそばを喉で味わい、鮨を箸で食べない人のあるのは常識である。調理の妙とはトオンである。色彩におけるトオンと別種のものではない。
五官は互に共通しているというよりも、殆ど全く触覚に統一せられている。いわゆる第六官といわれる位置の感覚も、素より同根である。水平、垂直の感覚を、彫刻家はねそべっていても知る。大工はさげふりと差金で柱や桁を測る。彫刻家は眼の触覚が掴む。いわゆる太刀風を知らなければ彫刻は形を成さない。
彫刻家は物を掴みたがる。つかんだ感じで万象を見たがる。彼の目には万象がいわゆる「絵のよう」には映って来ない。彼は月を撫でてみる。焚火にあたるように太陽にあたる。樹木は確かに一本ずつ立っている。地面は確かにがっしりそこにある。風景は何処をみても微妙に組み立てられている。人体のように骨組がある。筋肉がある。肌がある。そうして、均衡があり、機構がある。重さがあり、軽さがある。突きとめたものがある。
ーーー高村光太郎「触覚の世界」『緑色の太陽』岩波書店,1982年,pp117-118
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Old Kingdom
ca. 2465–2150 B.C.
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