PERCHの聖月曜日 86日目
三月二日付の『朝日新聞』に紹介されたもので、神奈川県で採集された次のような替え歌である。
(四)
公衆便所に入ったら 紙がない
財布を開けたら 千円一枚
ふいたらもったいない ふかなきゃ帰れない
ルルルルルル きょうは悲惨な日
(三)と見くらべると、小さなバリエーションの範囲を越えるほどの歌詞で、独立した替え歌に加えてもいいほどだが、ただトイレに入って紙がなく、紙といえば千円札一枚でどうしようとなやむ内容はまったく同一である。そしてこの(四)の最終行は、明らかに元歌を踏まえたものとなっている。
また、ここでも例によって大人が眉をひそめる下ネタが使われているが、この「用を足そうとして紙がない」という発想は、先にとりあげた「静かな湖畔」の替え歌にも見られた。ということは、たんに下ネタが好きというだけでなく、もう少し奥行きの深い問題がかくされているように思える。
それは、子どもにとって「トイレに入って紙がない」という状態は、大人が考える以上に大きく深刻な一種の極限状況だということだ。だれしも子ども時代には体験したにちがいないので、よく思い出して欲しいが、あの気の狂いそうな絶望感、不安感、そして恐怖と恥ずかしさ、おそらく子どもの人生にとって、これ以上の極限状態はないのではあるまいか。大人になれば、職業上のことなどで、大きなピンチに遭遇したり、思わぬパニックにおちいったりすることもあるので、「トイレに入って紙がない」ことなど特にどうということはないかもしれない。しかし、子どもの場合には、ほかにそれほど大きなピンチやパニックに出会うことが少ないぶん、これはやはり大事件といっていいだろう。
そのことは同じ状況からたくさんの学校怪談が生まれていることにも通じる。つまりこのような現代民話や現代わらべ唄が生まれる背景には、少なくとも子どもにとって、こうした状況が最大の関心事の一つである、という事実が横たわっていると考えてよい。
ーーー鳥越信『子ども替え歌傑作集』平凡社,2005年,pp216-217
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