毎日がちょっぴりしんどいあなたへ~左奥歯の痛みが教えてくれた勇気~

辛抱強い性格だ。
そう思っていた。

野球部の練習のキツイしごきも、
社会人になってからの理不尽な
ハラスメントも全部含めて
いい意味で自分に耐えられるよう、
しのいできた。
ずっと。


少々のことではへこたれない。
そう思っていた。
いや思い込んでいたのかもしれない。

この数日、急激な左上奥歯の激痛に襲われた。

ただの虫歯である。

ヘルスケアビジネスに関わる
自分としては恥ずかしいことこの上ない。

痛くて痛くてたまらない。
人生でこんな経験ははじめてだ。

歯の痛みで床にうずくまった
経験のある人は少ないはずだ。

そのとき、その瞬間だった。

「こんな辛いこと、いままであったけ」

自分への問いかけから、
突然フラッシュバックが始まった。

長い人生、人間ふとした時に
追い込まれることはある。

そのとき選んだ選択肢が誰もが
驚くようなことでも、
本人は平然と実行していたりする。


「なぜあの人が……」

年間自殺者数がここ最近10年で
1万人以上減少した日本でも、
諸外国との比較では自殺率の
高い国と言われている。

自殺は健康問題、経済問題、
家庭問題などあらゆる要因が
重なって起こるものであり、
遺書などが発見されたとしても、
その詳細はなかなか明らかに
ならないことが多い。

また厚生労働省の自殺に関する
令和元年の統計によると、
その原因や動機が不特定な方は26%におよぶ。

何が彼ら、彼女を追い込み「死にたい」
という気持ちを
人生最後の行動に移させてしまったのか、
不明なものも少なくない。

これは「自殺衝動」と
呼ばれる「今すぐ死にたい」という
強烈な衝動が影響していると思われる。

ただ何となく「生きるのがつらいなー」と
思っている程度では
衝動にかられ行動に起こすことはない。

私は健康経営コンサルティングに
従事している。

企業の従業員が健康で元気よく、
生き生き働けるように、
会社の人事や総務にいる方とタッグを
組んで仕事をしている。

その中で、数千人以上の従業員を
抱える大手企業の契約を数多く担当し、
メンタルヘルスに不調をきたした
就業が難しい方のサポートや、
また残念ながら従業員のご家族で
ご不幸に合われた方や、
その同僚、上司のケアといった
場面にも携わってきた。

そして何より私自身が強烈な
自殺衝動にかられた経験があり、
その苦しみは人一倍経験しているつもり、
わかるつもりだ。

ありきたりだけど、なんとか40年近く生きて
きた取り柄もないおっさんの言葉を聞いてほしい。

長い間、生きていれば人生いろいろある。いい事も悪いこともある。

いまはダメでも、いつか良くなるかもしれない。

いまは良くても、いつかダメになるかもしれない。

いい事も悪いこともずっと続くとは限らない。


このストレス社会において、
そんな人生全般について、
潜在的に感情の浮き沈みを
持っている人は少なくないだろう。
そんなあなたにはっきり伝えたい。

「何があっても生きてろよ。
そして生きていてほしい」


こっちだって辛いんだよ。
無責任なこと言うなよ。


そんな反論が聞こえてきそうだ。
痛いほどよく分かる。
以前にも書いたことがあるが、
僕の話をしよう。

地獄から天国に変わった踏切音

何があっても、生きていくと決めた
きっかけがある。
ありきたりな話につきあってほしい。

浪人生として迎えた、19歳の冬。

予備校を特待生で迎えられるなど
いいスタートを切り、
受験勉強生活は順調。

模擬試験でも国公立の志望校の
合格ラインをクリアしており、
すでに1年遅れでスタートする
大学生活に青写真を描いていた。

そんな気持ちで迎えた2回目の
受験だったが、地獄が待っていた。

結果はなんと大惨敗。
なんと現役時に合格していた、
滑り止めの私立大学まで落ちる
という言い訳の通らない始末。

何が起こったのかわからなかった。

この日から「勝負は時の運」という
都合のいい格言に逃げるように
なったっけな。

本当に笑いたくても、笑えなかった。

不合格通知のハガキの冷たい感触
は今も忘れることはできない。
そのまま何も言わずに家を飛び出した。

今となっては、当時の自分には
こんな言葉をかけてくれる大人ばかり
だっただろう。

「1、2年の遅れなんてどうってことないよ。
また来年頑張れよ」


きっと読者もこんなことで
人生追い込むなんて
大げさに思われるだろう。

もっと悲惨な困難な試練にあっている人は
世の中にいっぱいいるのだから。
今になってよくわかる。

でも当時の自分は気づけなかった。

またその頃は自営をやっていた
父親の事業もうまく
いかなくなり始めていた。

500万円以上の学費をアルバイトで
稼がなければならない
ことも決まっていたことも
影響していたかもしれない。

気がつくと、私は踏切の前に立っていた。
その横にはストッパーの壊れた
自転車が横たわっていた。

不合格通知を受け取ってから
15分も経っていなかったと思う。

当時住んでいたJR中央線沿線は、
まだ高架化が進んでいなかった。

あと数歩前にでれば、数分後に
快速電車が通過する
線路に立つことができる。

「逃げたい、逃げたい、逃げたい」

あと一歩で遮断器を超えられる
位置まで来たときだった。

「カーン、カーン、カーン」

踏切の音は徐々にボリュームが
上がった気がした。
来たるべきときのカウントダウンの
音だと思い込んだ。

そのときに後ろで小さな甲高い
子どもの声が聞こえた。

「もうすぐ、あの電車でママが迎えにくるよ」

はっと我に返った。振り返ると、
私の後ろに祖父母と思われる
二人に両手を繋がれた幼い男の子が立っていた。

時間がゆっくり流れ始めた。
バラエティ番組の再現ドラマの
スローモーションのようだった。

私は涙が止まらなくなった。
自分の幼いころの光景と重なったからだ。
愛情で存在を精一杯肯定された日々、
自営業の共働きで両親との幼い記憶が
ほとんどない中の自分。
それでも両親の代わりに存分の
愛情を注いでくれた
祖父母のもとで幸福に満たされた日々。

仲良く手を繋いで、
電車に乗って迎えにくるのであろう
母親を待つ子どもとその祖父母の姿を見て、
その幸福の記憶が蘇ったのが分かった。

その瞬間、まだ生きていてもいい気がした。
いや違う。生きたいって思ったんだ。
あんな満ち足りた日々をもう一度
味わいたいって思えたから。
思い出したんだ。

だから生きるということを選ぶことができた。

「カーン、カーン、カーン」

あの瞬間から、踏切の音は、一瞬で最悪へのカウントダウンから私にとって幸せを思い出すシグナルの音に変わったのだ。

あの瞬間がなかったら、
いまの私はない。絶対にない。
偶発的な導きに救われたのだ。


その衝動は誰にでも突然やってくるかもしれない

いま思えば些細なことかも
しれないと思う出来事。
それでも一人一人のメンタルや
周囲の状況によって
「最悪の衝動」にかられる可能性は
あるのではないか。

どんなに満ち足りた人生であるように
見えたとしても、
本人にしか見えてない景色で闇は
どこかにある気がする。

理由が、若気の至りという言葉で時が経てば済まされるものであったとしても。その闇が突然牙をむく瞬間があるのではないか。

自分がコントロールできるものであれ、
できないものであれ、
必ず手に負えないような
困難はやってくるタイミングはある。

真剣に自分と向き合って生きている人なら、
なおさらそうだろう。

いかなる理由の出来事であれ、
それがマイナスであろうとプラスであろうと、
生きてさえいれば、そのさきの困難を
乗り越える推進力になる


大きなエネルギーに変えることができるきっかけに必ず変えることができる。人にはそんな力がある。そう信じたい。

日常生活における左上奥歯の激痛がこんなことを
思い出させてくれるなんて思いもしなかった。

あなたにもそんな可能性があるはずだ。

だから、もう一度言おう。 

「何があっても、生きてろよ」


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