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2014ワーホリの1年@豪州

1年間の記憶、
忘れないように、記録に残します。

無事に帰ってこれたから思い出は全て美しい

◾️2014年 2月 入国@ゴールドコースト

語学学校生活スタート エレメンタリークラス
人生初のホームステイ。ビーチ、パーティー、ビーチ、ラクロス

◾️3月 語学学校生活2ヶ月目

まだエレメンタリークラス
シェアハウスへ移動。
ビーチ、パーティー、ビーチ、サーフィン少々、ラクロス

◾️4月 語学学校生活3ヶ月目

祝日が多い週があったので1週間ホリデーを取る
ようやく一つ上のレベルのクラスに進級
ビーチ、パーティー、ラクロス、筋トレ、ランニング

◾️5月 1週目 語学学校卒業
     2、3週目 暇人。マラソンに備え海岸線をよく走った。
     そして脱臼、現地の病院へ強制送還。
     4週目 ゴールドコーストから移動
仕事を見つけ電車でゴールドコーストからビーワーという街へ移動。
と、電車で移動の途中で連絡を取っていた人から『やっぱ仕事ないわごめん』、
という連絡が来る。おいっ!

焦る

ビーワー駅到着後、頭フル回転させ考え、ブリスベン友人宅へお邪魔する。
そして次の日、語学学校の友人を頼り、運命の地ガトンへ移動。
オーストラリア1汚いと噂のガトンキャラバンパークへ。
ターニングポイント1
そして初仕事のネギファーム。

◾️6月 ガトン
ネギファームを一日で辞め、次の仕事を探す。
以前手渡されたコントラクター(仲介業者)一覧を元に
ガトン名物、鬼電、鬼メッセージ。
そして仕事が決まる。

噂だと日本人大好きコントラクターSさんから、仕事をいただく。
ベビーコーン、ベビーブロッコリー。
ベビーブロッコリーは日本でいうところのスティックセニョール。

このコントラクターは女好きなのか、安定して仕事に入れる日が少ない。
毎日送られる仕事名簿に女の人の名前多くないか?
外国人労働者は大変。
暇だから朝6時からみんなでワイン飲んだり、
夜はサッカーWカップ観たり。

◾️7月 ガトン
・マラソン大会出るから休みをください!
と、コントラクターにメッセージを送ると、
なんと太っ腹、長期休暇。いや、仕事が一切なくなった・・・。

休みたいという人は扱いづらいから嫌いなのだろう。
替えはいくらでもいる。それがワーホリ、海外の農場。

・ゴールドコーストマラソンに出場。3時間46分で完走。自己最高。走りやすい良いコースでした。

・マラソン後、日数は激減したがちょこちょこ仕事がもらえるようになる。
ただ安定せず、流石に生きてくのが大変そうだから、
どこか違うところへ行くか考え出す。

そして運命の日はすぐ訪れた、

コントラクターがいきなりクビになった。

内容はこうだ。

たまたま入っていた仕事中、
畑にコントラクターが仲介していたファームのお偉いさんがいきなりやって来る。

そしてその時働いていたメンバーに

直接雇用か、コントラクターと一緒に辞めるか考えろと言われる。
『direct or fired?』

もちろん全員一致で直接雇用を選ぶ。

まさかの展開!
コントラクターによるピンハネが無くなり、
当時の最低時給が支払われることになった。
コントラクターの気分で仕事を外されることも無くなり、
外仕事なので天気次第ではあるが、
月から金の週5たまに土と安定して仕事に入れるようになった。
ちなみにガトンで一番有名なRファーム

ターニングポイント2

◾️8月 ガトン
直接雇用になり生活がV字回復。
そしてベビーブロッコリーチームのスーパーバイザーになる。
ただ給料は他の人と一緒。
オーストラリアでプチ管理職体験。
仕事より、人の管理の方が大変
日本で管理職したこともないのに、
日本以外の国の人も含めて管理しないといけない。
給料一緒なのに違う国の人に英語で教えて英語で注意する。
細かい衝突はまぁ起こるよね。
詳細はいつか深掘りして書こう。

◾️9月 ガトン
まだまだベービーブロッコリー好調

◾️10月 ガトン
まだまだまだベービーブロッコリー好調
ようやく会社側の体制が整ったのか、オージーのスーパーバイザーがやってくる。
コテコテの訛り英語。細身だけどイカついおじさん。
少しは精神的なところから解放される。

◾️11月 ガトン
・そろそろシーズンの終わりが見えてくる
そして11月10日に突然終了。
いくら良いところで働いていても突然無職になる。

・その後、玉ねぎ掘りの仕事を始める。
完全歩合制。1コンテナ溜めて40ドル。
当日に現金でお支払いされる。
コンテナの大きさは1m✖️1m✖️1mだったか?忘れた。
韓国の子の車に乗せてもらい仕事に行ったが、その時によく流れていた
Bruno Marsの`count on me`を今でもよく思い出す。

そして玉ねぎファームの収穫の風景はすごい。まさに戦場。陣取り合戦。チーム戦でもある。写真あったかな。そして周りにトイレは無い。女の子は大変だ。
当日現金支払いの完全歩合制なので、ビザが怪し目な人も多い。みんな上手いこと生きていくんだろう。

・玉ねぎの仕事帰りに10t車の横転現場に遭遇。
特に何もできなかったがすごい光景。
運転手は『やべー俺クビになるやべー」と狂いながら叫んでいた。
トラックから大量に出ていたのはパック詰めされたとうもろこしだった。

・事故の翌日、前に働いていたRファームから工場内の仕事があるからするか?
と連絡をもらう。もちろんYES
前日に人助けをしたからか、前日に大量のコーンがダメになって人手が必要になったのかはわからない。(トラックのコーンは多分Rファームのコーン)ただ、縁を感じる。
・ガトンから一人、二人とどんどん人が離れていく。仲のいい人もいなくなり、残された人でまた仲良くなったり。だんだんと日本人も少数派へ。

◾️12月 ガトン
クリスマス直前まで働く。
最初は工場勤務だったが、最後の方は外のベービーコーンに回された。
そこで働いていたインド人の基本不真面目だけど、人がくるとピシッと見せるところは面白かった。ガトンの街もどんどん寂しくなっていく。

23日にゴールドコーストへ移動。バッパーに泊まる。
デポジットを払って泊まっていたが、次の日がクリスマスの祝日でバッパーは朝から従業員が一人もいない。
払ったデポジットが返ってこないと自分も含め何人もの人が揉めていた。
安宿には安いだけの理由がやはりある。
クリスマスぐらいケチらずいい所に泊まりなさいということですね。

そして真夏のクリスマス。暑くて変だ。
サンタはアロハシャツ。汗かきながらツリー見てもしっくりこない。
クリスマスはお家でケーキじゃなくて、ここはビーチとビールだなと。

クリスマス後、シドニーへ移動。年越しへ

・年越しシドニーは人が多い。
何人かはガトンで一緒だったが語学学校の人達と再会。
空いている店も少なく食べ納めはマクドナルドへ。
花火は綺麗。メインはオペラハウスよりハーバーブリッジらしい。

◾️1月 シドニー→タスマニア→メルボルン→ケアンズ→マレーシアへ出国

旅行を開始する。
一人旅行。要所要所はきちんと押さえた。
タスマニアとか特にわざわざ日本から行くこともないだろうからじっくりと滞在してみた。
出張で来ていた南米のおじさんに日本人は働きすぎだと言われた。
でも祝日多いよねとも。
夜まで明るく、夜の9時でも外の公園で子供の声がする。

メルボルンはいい街。アジアカップを現地で観た後、
全豪テニスの取材できてた修造さんに会い写真を撮ってもらった。熱かった。
ケアンズは意外とこじんまり。
無料プールは最高。
グレートバリアリーフへはお金を払わないと辿り着けない。
個人的には石垣の方が綺麗だったな。

しっかり1年間滞在し、
ビザが切れるので出国。
マレーシアへ

文字数3000字超えてしまった・・・・・。

そして2年目へ to be continued…




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