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自己紹介★番外編・その参★ラ・ヴィータ

みなさん
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北煌樹@Arther(ほくおうじゅあーさー)です(*´▽`*)
本日もご来店有り難うございます♡

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ラ・ヴィータ 当時の台本

前回の自己紹介⑦ で少し触れました、大人の演劇について少しだけ。

その時経験していた(観劇も含め)本格的なお芝居は、森は生きている(詳しくは前回の記事をご参照ください(^^))だけだった私にとって、仲間が新たに作り出すその演劇は、当然とても新鮮なものでした。
当日の小屋(お芝居をする会場を小屋と呼びました)も、森は生きているとは違う、小規模のものでしたが、そこはお芝居やお笑いライブなどの専門の小屋だったため、森は生きている上演していた多目的ホールのソレとは全く雰囲気が違いました。
壁も、椅子も、天井も、その全てが黒色で染められており、ある種荘厳な空気さえ感じる空間でした。
その小屋に入った瞬間、正に’’異空間’’に入り込んだ感覚に包まれたことを覚えています。

そう、私のわがままで、これも経験、ということで、仕込みから本番当日のスタッフ、撤収までをお手伝いさせていただけることになったのです。

ラ・ヴィータ

私は、いつも遠くへ行きたかった。
今、自分が立っているところより、ずっと遠くへ...。
私はここまできて、何をとまどっているんだろう。
もう、ここまできてしまったと言うのに...。
まずは、生きてみなけりゃわからない、
そう思って生きてみた。
だが、私にとって、人生は意味があったんだろうか。
私のまわりには、もう誰ひとり、私を知るものはいない。
時間とともに、みんな去っていき、
思い出とともに、みんな消えていった。
果たして、自分はどうだったのか、
語ってくれる者は、誰もいない。

主人公である老人の独り語りで始まるこの物語。
当時この役を演じたのは、私の兄貴的存在であり、前回の私のわがままをたしなめてくれた、和実さん。
この冒頭のシーンに、心を奪われました。

「死」は気づかないうちに訪れる。
ずっとそう思ってきたし、そうあればいいと願ってきた。
なのに、今になってそれが耐えられない。
信じれらない話だが、この私が、
自分で自分を認めたがっている。
生きてきた意味を肯定したがっている。
自分がこの世から消えていく前になって。

そう、この物語は、この老人の死ぬ間際の物語。

更に老人は続けます。

私は幼い頃から母親に、
意味のある人生を送るように育てられてきた。
「つまらないものは作らない方がいい、
    完全を得られぬ時は無を選んだ方がいい」
彼女はいつも私にそう言っていた。
私はその教えを忠実に守った。
そしてその結果、
私には何も残らなかった。
だから私の存在を認めてくれるものは誰もいない。
私はひょっとして、
自分に一番ふさわしくない道を選んでしまったのでは...。
だとしたら、だとしたら、
私は...。

ママ「もう、下手な台詞ね、聞いてられないわ。」

老人の独り語りはママによって遮られます。

ママ
「あなたが始めて主役になれるっていう時なのに...
あなたのセリフね、とっても中途半端。あなたの人生が中途半端だったからそう聞こえてくるのかもしれないけど...。」

母親とは思えない台詞( ゚д゚)ポカーンw

そしてまた老人は、最初から台詞を繰り返すが、
「だめね...もういいわ、聞いてられないわ。」
と、老人はママに見放されてしまう。

時間ととみにみんな去っていき、
思い出とともに、みんな消えていった。
果たして、じぶんはどうだったのか、
語ってくれる者は、
誰ひとりいない......。

その後、その老人の元に、父親、ママ、妻、娘、弟、友人、愛人、が次々と現れて、老人にここぞとばかりに罵声を浴びせる。

父親「お前のしてきたことは私に対する腹いせだ!どうしてお前なんかに私の大事な妻の時間を奪われなければいけないんだ!」

妻「あなたはいつも完成品を求めていた。気に入らないとすぐに壊して。壊せるものなら、あなた、私のことも壊したかったんでしょ。」

娘「パパに見つめられると、とても息苦しかったわ...私は求められてこの世に生まれてきたんじゃないって、その時、いつも、感じたの。」

弟「生きている意味がわからない、って、兄さん、よく言ってたけど、本当は、生きていても仕方がないって、言いたかったんじゃないの。」

友人「君は、他人には徹底的に個人主義だった。だけど自分には、これこそ自分だというものをぶつけることができなかった。それが敗因だって僕は思うよ。」

愛人「みんな何かしら使命を持って生まれてきているものよ。それがあなたには見つからなかっただけ...。」

うなだれる老人。

そして、最後の晩餐と言わんばかりに、老人をよそ眼に夕食会が始まります。

その後、ママとの時間。
生まれてくる瞬間の父親との時間を経て、
生まれてきた自分と出逢います。

そしてさらに、愛人と妻との板挟みとなる時間。
父親と友人と弟との時間。
娘とその友人たちとの時間を経て、
また生まれたばかりの自分自身と対峙します。

少年「ジェットコースターの順番待ちの時ね、いつも長い列見て思ってた。」
老人「何を?」
少年「どんなに人が並んでても、必ず、僕に順番が回ってくるんだなって...また、会えるかな。」
老人「いいや、これでおしまいだ。」
少年「まっくら。土の中だね。炭酸ガスと水と」
二人「カルシウム」

少年「じゃ。」
老人「じゃ。」
握手をし、老人、少年をだきよせる。

少年「(去ろうとして立ち止まり)やっぱり、生まれてきて、よかったよね。」
老人「ああ。」

老人「ごめん、ホントに、ごめん...。」

泣きじゃくる老人に、みんなが次々に現れ、言葉をかける。

そして老人は、最期の言葉を残す。

この世に生まれた時から、死は少しずつ、体の中に混じっていって、ある日、老いという装いをして、私の前にやってきた...。
 ~中略~
人は、誰でも一生のうちで二度は主役になれるという。
生まれる時と、死ぬ時。
誕生の赤ん坊が、自分が主役であるという意識を持たないのは、仕方がない。だから、死ぬ時位、自分が主役を演じているという意識をもちながら、死にたい、そう思って、私は、この死のステージを自ら演出してみた。
 ~中略~
私は、今まで出会った人々を誰ひとりとして受け入れることができなかった。何をそんなにかたくなになっていたんだろうか。ここにきて、初めて感じるこの解放感。今ならみんなを受け入れることができる。愛することができるように思える。これから人生がはじまるんだとしたら、どんなに...
よそう、これが私の人生だ、私の...
 ~中略~
私の人生の幕が、今、閉じようとしている。
消えていくものから一言。
今がすべてだ、今がね...。
無から生じたものは無に帰る。
来たところにもどるだけだ。
私にとって死とは消滅。
体も魂も...

消滅である。


もちろんここで全てを紹介することは難しいですが、
どんな物語なのか、というのは、人それぞれ。

私にとってこの作品は

『死をもって生を知る』

というテーマであると感じました。

生まれてこなければよかった。
こんな中途半端な自分を生み出した両親を恨んだ。
私の人生に意味などなかった。
しかし死ぬ間際になって、本当は愛にあふれた人生であったことに気付いたが、
人生はやり直すことはできない。
そして、死はいつも隣り合わせであり、いつ自分が死を迎えるのか判らない。
だから、『今』を必死に生きる。

小学校のころ、仲間だと思っていた人達からイジメを受け、自分の居場所はこの世に無いのではないか。
ならいっそのこと居なくなってしまった方がいいのではないか。
と、自殺が頭をよぎった経験が、この時すでに私にありました。
そんな私にとってこの物語は、ガツンと心に突き刺さりました。

それもあり、この物語は私にとってとてもとても大切な作品となったのです。

ラ・ヴィータ、とは、’’人生’’という意味です。
私にとって初めて、所謂『人生観』というものが生まれた瞬間でした。


自己紹介⑧へ続きます(^^)/

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それでは


有り難うございました
٩( 'ω' )و


令和3年9月吉日 北煌樹

※出典
  ラ・ヴィータ    作 高泉淳子 より

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