【わかりやすく解説】日本遺産・炭鉄港とは?歴史と文化のストーリー【北の産業革命】
炭鉄港とはなんぞや?
いままで書いてきた記事の中でもしばしば使っていたこの言葉ですが、じつは、ついこの間まで私は「炭鉄港」という言葉を知りませんでした。
読んでくださる方の中にも聞きなじみがないという方が多いのではないでしょうか?
それもそのはず、「炭鉄港」は日本遺産に登録された新しい言葉なのです。
どうやらこの言葉には、近代からの歴史と、人々の思いが詰まっているようです。
今日はそもそも日本遺産とはなんなのか? から解説。
日本遺産・炭鉄港を紐解いてみます。
日本遺産ってなぁに?
「炭鉄港」が登録された「日本遺産」とはなにか。
以下は文化庁公式サイトから引用してみました。
言葉を聞くと、世界遺産の日本版かな? と思いますが、実際にはちょっと違うようです。
日本遺産は、歴史遺産を個ではなく複数まとめて、そこに共通する文化・伝統を語るストーリーのこと。
主体はストーリー。
それを構成する文化財や資料館、あるいは食文化などが付随して、各都道府県で魅力あるストーリーがつくられているようですね。
今日は炭鉄港を取り上げますが、ほかにはこんな日本遺産があるようです。
北海道では「カムイとともに生きる上川アイヌ」「『鮭の聖地』の物語」といった、北海道の中の1地域を舞台とした日本遺産があります。」
また、北海道から香川県までの日本海・瀬戸内海沿岸の港町・船主集落に関する「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間」という、広域にわたる遺産も登録されているのが日本遺産のおもしろいところです。
炭鉄港のいま
さて、話は戻って炭鉄港について、すこし解説していきます。
炭鉄港とは、炭鉱・鉄鋼・港湾という、近代化の流れの中で北海道で栄えた3つの産業を合わせて呼んだもの。
炭鉄港の産業は、北の産業革命とも呼ばれ、この流れの中で北海道の人口はそれまでの100倍に増え、戦前から戦後のある時期まで大いに栄えました。
それからは、石炭から石油へとエネルギー源が変わり、それらの産業はだんだんと勢いが衰え、人口も減少、かつての炭鉄港の建造物はやがて遺産となったのです。
こうした炭鉄港の歴史を物語るものとして、45件の構成文化財と4つのストーリーが日本遺産に認定されています。
構成文化財
現在は、空知では炭鉱遺産、室蘭では工場景観、小樽では港湾、そのほか各地に往年の炭鉄港のすがた、人びとの生活を偲ばせるスポットが残っています。
当時に想いを馳せながら、炭鉄港のスポットを巡るのがおすすめですよ。
芦別市の星の降る里百年記念館でも炭鉄港について学べる展示があります。
炭鉄港めし
炭鉄港の産業に従事した人びとが、英気を養うために食したという、その土地土地に独自の料理があります。
それが近年、炭鉄港めしとして有名になっています。
炭鉄港めしには、芦別のガタタン、美唄/岩見沢の美唄焼き鳥、赤平のがんがん鍋、夕張のカレーそば、室蘭の室蘭やきとり、小樽のもち菓子などがあります。
先日書いた記事では芦別のガタタンをご紹介しましたので、下記リンクからぜひご覧ください!
まとめ
今日は日本遺産と炭鉄港について簡単に解説しました。
日本遺産・炭鉄港は、北海道の近代産業の歴史と文化を知るための大切なキーワードです。
北海道の空知・室蘭・小樽などのエリアでは、楽しくその歴史に触れられるような観光施設やグルメがたくさんありますので、どんどん取り上げていきたいと思います!
今後の投稿もお楽しみに。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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