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ヨガと保育の共通点の話

仕事が終わった帰り道、八百屋さんの店先に並んでいた桃を買った。

他の人からしたらなんてことない桃だけど、
私からしたらもうそれは特別なもので、宝物を見つけてしまったような
気分だった。心の中では小踊りandスキップさえしていた。
(大人だから実際にはやらない)

小さい頃から桃が好きだ。
でも桃って安くていつでも買えるものでもないと思っている。
私の育った家は裕福とはいえず、4人兄妹ということもあって
桃は本当に特別な時にしか出てこないようなものだった。
それでもスーパーに並んだ桃の美味しそうな匂いに魅了されて
大人になったら桃をいっぱい食べるんだーーなんて思っていた。

今の季節、果物コーナーで桃の匂いでいっぱいのスーパーに入ると
すごく幸せな気持ちになる。
しかも今日はスーパーでもコンビニでもなくて八百屋さんで買ったことが
さらに私の中で特別感を増大させてくれた。

だから八百屋さんの桃を手に入れた私の今日の生活と心はとっても豊かだ。

そういえば
最近知った言葉でこんなものがある。

QOL : クオリティーオブライフ。

「生活の質」や「人生の質」といった意味だそうで。
生活や人生が、物質的だけでなく精神的な満足度を含めた
豊かさを持っていることへの指標となる概念だそう。

そう言われてみれば、私の生活の豊かさってどうなんだろう?
毎日、心が満たされている感覚ってどれくらい作り出せているだろう。

先日、体調を崩してしまって起き上がることも外に出ることも
ままならないことがあり、その時にも豊かさについてが頭をよぎった。

豊かな暮らし。

簡単な言葉だけどこれって結構難しい。
豊かさって人によって違うから。

豊かさを求めるには、自分を振り返ったり向き合ったりすることも必要。
それも結構、レベルが高い。いわゆる”意識高い系”と言われるのかも。

ヨガの教えにこんな言葉がある。

Take yoga off the Matt

直訳すると、マットを降りてヨガをしよう。
「ヨガマットの上で培った学びを生活や日常の中に活かしていく」という意味。

ヨガと聞くと、大半の人はストレッチだったり
ちょっと奇抜なポーズをとることを思い浮かべるでしょう。

あのポーズを完成させることが一番の目的ではなくて
ポーズをとりながら自分の内側を観察して(内観と言います)
今の自己と向き合うことが大事なのだ。

私はOff the Matt、マットの外でも瞑想やマインドフルネス、
生活の中で自分との対話を通して、内観することを意識している。
(まだまだ雑念も多いですが…。それも自分!)

つまり私にとってのヨガとは
自分と共に生きることそのもの
なのです。

それは保育にも似たようなものを感じる。

私にとって保育とは誰かに何かを伝える・教えるものではなくて
「私」という人間が「子ども」という人間と共に生きること
だと思っている。

学生時代に習った、保育とは見て字の如く、子どもを保ち育てるという
考えもあると思う。
私は保育に関してのどの考えも否定はしないけれど
大人が子どもを”育てる”なんて感覚はちょっとおこがましいような気がする。

確かに子どもは大人が守らなくてはいけない存在である。
けれど、育つ力は子どもたち一人一人がそれぞれに持っている。
私たち保育者は、大人たちは、ただそばに寄り添って
人間の仲間としてその育ちを見守っていけばいいのではないかな。
”見守る”と一言で言ってもその時々に合わせた具体的な関わり方が
必要になるので、子育てや保育は難しいと感じてしまうのだけれど、

でも、だからこそ保育は深い。

だからこそ、子どもと生きるのは面白い。

保育とヨガの共通点は”生きる”ということ。

ヨガはサンスクリット語で「つなぐ」という意味がある。

私と子どもをつなぐ。

子どもと子どもをつなぐ。

私と私をつなぐ。

体と心をつなぐ。

生きるということへの豊かさを感じられる保育者であり
ヨガ講師である私は幸せだ。
(と、いつも思えるようになりたい。)

さて、明日はどんなことでQOLを高めていこうかな。

どんなことで自分を喜ばせてあげようかな。

心を整えるだけでなく、栄養を与えてあげることも大事だなあと
思わせてくれた特別な桃との出会いに感謝。

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