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《毒親サバイバーの葛藤》子供が苦手…の裏側。

多様性の一環として、子供好きさんにも、子供苦手さんにも、許容範囲内家庭のひとにも、許容範囲外家庭のひとにも、こっそり伝えたいこと。

「こんなひともいますよ」って、私 こっそり伝えたい。

私は子供が苦手なのを人には言えません。
「しんじらんな〜い」
「え…、うそ…?」
「……ふ〜ん」
かつて、どうしてもお伝えしなければならない場があり、私は古傷をえぐられたような感覚がありました。






自分は子供が苦手なんだって思い知らされることが増えた。


出先で子供に遭遇すると身体が強張る。


自分が家族から大切に扱われなかったから、モヤモヤっとするんだろうね。


なんでこの子は大切に扱われているのだろう。
なんで私は物として扱われたんだろう。


最近はモヤモヤっとどころじゃなくて、いきなり『ギリギリギリッ…』と上半身の筋肉が強張ってしまって。
筋緊張性疼痛を一気に悪化させる。
その場からそそくさと逃げ出すので精一杯。


『い、いたたたた💦(心で言う)』
肉離れのようなピクピクを背中や首筋に感じながら、微笑を保って私は退場。


決して子供に『怖い目』を向けない。

これは私の意地。




虫の居所の悪い母の般若の目。

アルコールの臭気を放ちながら私をじろじろ見る父の目。


私は彼らのような目を子供に向けたくない。



誰にとっても『怒りに満ちた目』は怖いもの。

ましてや、体の小さな子供にとっては大人が睨みつけてくるなんて、とってもとっても怖いこと。


それは私自身がよく知っている。



私は怖い思いをするおチビを減らしたい。

自分のトゲトゲでおチビを傷付けたくない。

自分がかつて受けたトゲトゲを目の前のおチビにぶっ刺すなんて、絶対いやだ。



もちろん、「あのひと、子供嫌いだな」と後ろ指を指されるのも正直いやだ。
人格を疑われているような、あの感じは本当に辛い。


世の中、いろんな人がいるのに……と思うのだけど。




小さな子供がのびのびと子供らしく遊んでいることは良いことなのに。
目の前の子供は何も悪いことしてないのに。


頭でわかっていても、虐待(毒親)サバイバーの心は周りには聴こえない音を立てて軋んでいる。

今にも倒壊しそうなボロボロの小屋みたいに。


家に着く頃には泣けてきちゃうときもある。


(もちろん、目の前の子供が大切に扱われているように見えるだけ…かも知れない。)





もし。

もし、あなたの周りに「子供が苦手なんだろうな」という雰囲気の人がいても、そこにフォーカスしないでほしい。

もしかしたら、複雑な事情を抱えて戦っているかもしれません。




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