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情景# 06.「住み良しの浜」【掌編小説 at カクヨム】

今回ご紹介する掌編小説は、カクヨム投稿の『あなたが見た情景・追録』から「住み良しの浜」です。

実りを得た後の暮らし。
不変と安寧の陽を浴びつつ微睡む自分。
これが正しい。正しいはず……。
なのに。
心の中で舞う澱のような、何かが。

なりたい自分と、今の自分とのギャップ。
求めていたはずの姿と、たどり着いた先で佇む自身のありよう。

坂の上にある一朶いちだの白い雲を求めて必死に駆け上がった……その先で、果たして自分は何をして過ごしているのでしょうか。

この情景は、書き手側である自分の個人的な感覚のみで言うと、トップクラスと言えるほどにお気に入りの情景です。

ただ、読む側に立って改めて見たとき、コレってどうなのかな、と振り返る情景でもあります。

自分の手クセ……もとい、得意とも言える、場の陽光と風の感触。
その晴れやかさ、静けさ、鳴った音の存在感や佇む自分の馴染んだ感じ。そのあたりが気持ちよく書けました。

が、それだけではありません。
どうにもとらえどころのない、ゆらゆらとした情景に映ってしまうなと、そう思う部分もあるのです。
「なんか、わかりづらい?」
「むずかしい」
「晴れてるのはわかるけど、ようスッキリせんわ……」
といった風に。

この情景に出てくる人物は、面持ちが後ろ向きなのか前向きなのか、いまひとつ判別できないようになっています。

目指す先があって、そこにたどり着いた。
それで満たされたはずが、なぜか身動きが取れないもどかしさもほのかに感じている。それに気づかないフリをしている、ような。

自分は恵まれているはず。
成果を得て安定した今こそ、求めていた暮らしのはず。
豊かな陽をあびて微睡む穏やかな今こそ、手放してはならない今のはず。

なのに、どうにも心が落ち着かない。いまいちすわりがよくない。
これはきっと、悩みと呼べるほどではない。ないけれども、この微妙なずれ。
すれちがい。

ただ、こうして今のありようと心の向かう先がどことなく噛み合わない情景も、現実にはある思うのです。ですから、掛け合わせてみようと思い、こうして少し後ろ向きにも受け取れるような情景を書き表してみました。

実際に文章で描いてみることで、自分を含めて読んでくださったみなさんが、自身はどう在りたいと思うのか、そのヒントが見えてくるかもしれませんから。

陽がたっぷりと溜まっていく部屋で、場は風もなくとても静か。そんな誰もが羨む静けさの中で、飽きを感じ始めている自分がいるようです。

ただのわがままでしょうか。
いっときの気の迷いかな。
どちらだとしても、安定した今の暮らしを、手放せるわけがないのに……。

ところで、この題や内容をお読みいただいて、古典に明るい方はピンときたかと思います。

住み良しの浜の題にある通り、この情景の掌編は、伊勢物語に登場する住吉のくだりから着想を得ています。有名な発句がありますね。

雁なきて 菊の花さく秋はあれど
春の海辺に すみよしの浜

これは、情景の中で語った通り、豊穣たる秋を起点に、住吉で過ごすのどかな春のよさを、「住み良し」とかけて素直に謳ったものです。

ただ、実際に微睡むなにがしかを想像したときに、ふとしたもやを感じたことがあって、それを書き起こしたのがこの「住み良しの浜」でもあります。
部屋の中にいるのに浜なのは、その名残り。まァ、寄り辺ということですね。

ともあれ。
住み良しの浜でほのかにもどかしさを覚えた大人の情景。
ちょっと、むずかしいかもしれませんが。
何卒、お楽しみください。


あなたが見た情景』と『あなたが見た情景・追録』は、目の前の景色を眺めるように情景を思い描ける、ちょっとしたお話のあつまりです。

どこからでも何話からでも好きなところから読みはじめて大丈夫。
気になったタイトルをひらいてみてください。



最後までお読みいただきありがとうございます。ぜひ感想を聞かせてください。