チャンプの背中
「この方は何の世界チャンピオンだと思いますか?」
なかなかの難題である。5年ほど前から幾度か来てくれているイケメンで背が高い春日くんは、その特技を匂わせるような外見的特徴を殆ど持たない。カウンターに座っていた他のお客様は初対面の遠慮を越えて春日君の容姿や体躯から何かを読み取ろうと様々な角度から視線を投げかけていた。
当たるはずがない。答えを知っている私はそう確信していた。ヒント無しに思いつくような競技ではなかったからだ。しかしそんな私の余裕は予期せぬ早さで崩落することになった。
「ヨーヨーですか?」
何気なく言ったのはチェコのプラハに3年住んだことのある明日香さん。彼女はもちろんチェコ語ペラペラ、旦那様はロケット開発に関わっていてお二人ともヴァイオリンを弾くという異色のカップルだが、それはまあ本論とは関係ない。「ヨーヨーですか?」と明日香さんが言ったその瞬間、春日君と私は目を大きく見開いて顔を見合わせた。まさか一回で当ててくる人がいるとは!
春日君は動揺を隠せぬ様子で「ノーヒントで当てられるのは初めてです」とこぼし、私は「どうしてわかったんですか!?」と興奮を抑えられぬまま叫ぶように聞き返した気がする。明日香さん自身も当たったことに驚きつつ、「手がすごく綺麗だったから」と爽やかに答えた。言われてみれば春日君の手は大きく、ピアノ奏者のように指がスッと伸びている。
それからはひとしきりヨーヨーの話で盛り上がった。ヨーヨーがフィリピン発祥であることを知って一同「へー」を連発したり、スケバン刑事がオンエアされた頃にブームが来たことを皆で懐かしんだり。春日君は10歳ぐらいからヨーヨーを始め、数々の世界大会で上位の成績を獲得してきたそうだが、10年前にニューヨークでチャンピオンになって以来栄冠からは遠ざかっていることを嘆いていた。先にシンガポールで行われた大会前には半年間殆ど友達とも会わずに練習を重ね、最高のパフォーマンスを発揮できた感触があったものの3位に留まり、酷く落胆している様子だった。
聞けばスポンサーとの関係で政治的なジャッジがあることも否定できない上、もはや審判員の技術を超えたところでパフォーマーが勝負しているので正当に評価されるのが難しくなっているという背景もあるようだ。
「もう大会に出るのは辞めようと思ってます」
力なくそう呟くチャンプを、我々は必死に励まそうとした。こうしたシーンにおける素人の激励が空虚にしか響かないことも知りながら。
そんな折、常連さんの徳岡さんがご来店され、「唐揚げください」と言いながら席についた。右隣にチャンプ、左隣りには漫画ドラゴンボールの背景を描いていたこともあるCGクリエイターの河本さんが座るその狭間である。
「徳岡さん、あなたの右か左に何かの世界チャンピオンが座っています。どちらがチャンプか、そして何のチャンプか当ててみてください」
来店するなりそんなクイズを店主が出すのはいかがなものと思われるかもしれないが、兵庫出身の素直な徳岡さんは両側の人物をそれぞれ見やって確認すると、「どっちやろ~?」と頭を抱えた。そう、まずどちらかを当てねばならない。河本さんは眼鏡をかけ、髭をたくわえ、髪はやや薄く、独特の狡猾そうな雰囲気を持っている。"チャンプ感"だけで言えば本物のチャンプにまったくひけを取らない。我ながらクイズとしては最高だ。河本さんもノリのいい方で、徳岡さんの探りの質問に対し、それまでチャンプから聞いていた話をもとにそれっぽく答えてくれる。「どこで優勝したんすか?」との問いに「10年ほど前にアメリカで」と言った絶妙な具合である。これではどっちがチャンプかすぐにわかるはずがない。
さて、チャンプの右側では若手コンサルタントのケンちゃんがハイボールに合わせて日替わり丼(通称ナンチャラ丼)を食べてくれていた。いつもは和風か中華風の餡かけ丼みたいなものを出しているのだが、その日は牛肉を使ったややエスニックな味わいのものを用意していたので、すでに私の中で抗えぬ流行となっていたクイズを出すことにした。
「その丼だけどね、今までのナンチャラ丼には使ったことのない食材が入っているんだ。当ててみてくれる?」
ケンちゃんは何口も食べながら「ケチャップは入ってますよねー。カレーのスパイスっぽいのも入ってるんだよなぁ」などと言いながらいくつも答えるもののなかなか当たらない。お手伝いとしてカウンターの中に入っていた真奈美も厨房に入って丼のトッピングを味見し、「生姜!」などと自信ありげに答えてみるものの大きく外れ。なかなか当たらない。気づけば時を隔てて3つのクイズが店内で交錯し、頭を悩ませるお客様が幾人もいたことになる。なんと愉快な光景であろう!
結局同じく日替わり丼を頼んでいた麻衣子ちゃんが不意に「ヨーグルト!」と力強く正解を叩き出して食材問題は解決。予想もつかないところから正解が出る日だなぁと思って私は面白がっていた。一方、
「実はね、お昼も唐揚げ弁当を食べたんですよ」
と言いながら私の揚げた唐揚げを美味しそうに食べる徳岡さんを妙に愛おしく思いながら見ていたら、「チャンプはこっちだと思うんですよね」と春日君の方を指した。「おお!」と歓声が上がる。おそらく根拠などない。河本さんのノラリクラリ感が怪しすぎただけだ。問題の半分を答えてもなお競技がわからず「何やろぉ~」と頭を抱える徳岡さんはもはやただのチャーミングなオッサンでしかない。
答えを知っている他のお客様も応援する側にまわり、身振り手振りを交えてヒントを出し始めた。もうどう考えてもわかるよね?という段になってようやく徳岡さんが「ヨーヨー?」と半信半疑で言うと、店内には拍手が溢れた。奇妙すぎる一体感であった。ご本人も最後は満足そうに微笑み、「いやぁー、来てよかった。これで今日はゆっくり眠れますわ」と言い残して帰っていった。クイズを出されて、悩みに悩んで、ようやく答えられて満足して帰る。しかも、その日二度目の唐揚げを完食した後だ。この人はなんとおめでたい、しかしなんと可愛らしい人なんだろうと思いながら見送った。
チャンプもようやく区切りがついたのか、「楽しかったです。また来ますね」と言って帰途に就いた。ガラス張りの壁の向こうで夜道に揺らめくその背中は、得体のしれない寂寞のようなものをまとっていた。彼にとってのヨーヨーはきっと我々の想像を遥かに超える、掛け替えのない大切なものなんだろうと、その後ろ姿を見て想った。そしていつかこの店のお客様にも春日君の超絶技巧を見せてあげる機会を作ろうと決意した。
余談。その夜の営業後、普段とは異なる火照りの冷めぬ店内で様々なシーンを反芻しながら片付けをしていると、チャンプの特技を一発であてたあの明日香さんから以下のようなメッセージが届いた。ご縁というのは本当に不思議ではかり知れないものだ。
「帰りに世界チャンピオンの春日くんのことを
思わずググってしまいましたが、
なんと同じ高校を卒業してました!すごい親近感!!笑」
(了)
*これは事実に基づいたフィクションです。登場人物のモデルになった人物の実名は出していません。
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