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鹿児島、知覧①

みなさま、こんばんは。
歌って踊れる生活習慣サポーターのひよりです。

わたし、小学生の頃から第二次世界大戦にものすごく興味があって
漫画で読む日本の歴史とか図書館でしょっちゅう借りて読むような子でした。

わくわくした興味、というよりは
なぜ、あんなに大規模な戦争が起きたのだろう。
といった意味での興味でした。

そして十数年前。
穴澤利夫」という特攻隊の方をとあるテレビの放送で知り
それと同時に知覧特攻機地のことも知りました。

特攻隊」という言葉は元々知っていたし、
どういった方々の集まりかというのも理解していた
つもりでした。

でも、知れば知るほど、彼らのことを全く理解していなかったと感じ
「なぜ自ら志願して南方の海に飛び立っていったのか」
(命令だったという記述もありますし、拒否することを許されなかったということは今回は省略させてください)
という死生観を知りたいと思い、様々な文献を読みました。

「特攻隊」と聞くと「カミカゼ」や「零戦」を連想する方が多いと思いますが
特攻隊は海軍と陸軍で呼び方が違います。

海軍が「神風特別攻撃隊」という名称で
陸軍は「陸軍特別攻撃隊」という名称です。

最も性能が良かった戦闘機は
海軍が「零戦」
陸軍が「隼」
です。

有名な映画だと
「永遠のゼロ」は海軍。
「俺は、君のためにこそ死にに行く」が陸軍。

と、異なる点がいくつもあります。

雑談はここまでにして。

最初の方にお伝えした穴澤利夫さんは陸軍の特攻隊の方でした。

穴澤さんは福島県喜多方市の出身。
中央大学を繰り上げ卒業して、学鷲として自ら志願し、
陸軍の第一期の特別操縦見習いしとして教育隊として入隊。


わたしも福島県が出身だった為、勝手にご縁を感じ
陸軍特別攻撃隊のことを深く知るために様々な文献を読むようになりました。
(穴澤利夫さんについてはまた別の記事でくわしく書きます)


長くなるので次回へ続く。