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「何を」するかじゃなくて「どんな状態で」するか

最近ね、また自己対話が進んでるのですわ。私が私の中にいる可愛い私自身(ひとちゃんと呼ぶ)とお話しするのです。(一般的にはインナーチャイルドとかって呼ばれるのかしら?)いつもいつもこの子の存在を忘れがちになってしまって、気がついたら頭でっかちな現実世界の私(ひとみさんと呼ぶ)が優位になってしまっているのだけれど、今はね、結構、常日頃会話してる。何か大きな変化がやってくるタイミングとか、日々のアップダウンを何かキッカケとしてよく顔を出してくれる。「そろそろ私の話聞いてー!」とわんわん泣き出すのがひとちゃんだ。

どういうことって思う人もいると思うけれど、一度やってみると確実に自分の中に小さい小さい自分がいるのを感じる。そしてその子と話しながら本当に色んなことに気付かされるここ数日を過ごしているのです。

「ねーねー、ひとちゃんは何するのが幸せ?何をしてる時が楽しい?」と、ひとちゃんに聞いてみた。別に私自身何かに悩んでいるわけではないけれど、今日は何をしたらいいかな?代わり映えのない毎日に何をしたらもっと毎日楽しめるかな?と考えることがあって、ちょっと意見を問うてみた。

「なーんでも、どんなことでもひとちゃん楽しい!!!!キラキラキラキラ」と、お腹の中の輝く目をした私自身からまさかの答えが返ってきた。なんでも楽しいことあるか!とツッコミをいれたくなった私は、すぐその言葉の意味を理解した。私は、楽しく生きるため、幸せに生きるために「何か」をしようとしていた。「何か」をすることで楽しく幸せに生きることを目的として、そもそもこの質問していたことに気づいてしまったのだ。

でもこのひとちゃん様は違った。どんなことでも楽しんで幸せに生きることができるらしい。「何か」をプラスすることで楽しく幸せになるのではなくて、もうすでに楽しく幸せでいるから、楽しく幸せであるってだけの話。シンプルすぎて笑えてくる。いやもう、間違いないよ君。

そもそも本当は「楽しく幸せを感じること」が目的でその「何か」はただの手段であったはずなのだけれど、その「何か」をするという行為そのものが目的になってしまう、ということが私にはよくある。目的が手段になってしまうことで、結局その目的が果たされることはそう多くないのも知っている。何より驚いたのは、この子はそれをもう生まれた時から知っていたみたい。そしてそのチカラが私にはそもそも備わっていて、むしろその方が得意らしい。

なんということだ。今までは楽しく幸せに生きることを目的にしてきた結果、楽しく幸せに生きることを難しくしていた。今回ひとちゃん様には大事なことに気づかせてもらった。つまり、楽しく幸せに生きたかったら、今すでにある状態を「楽しく幸せに生きる」ことに尽きる。幸せを感じたかったら笑いながらやればいいし、楽しみたかったらスキップでもしながらやればいい。

私の中のぴゅあぴゅあで可愛い小さな私から学ぶことは日々たくさんある。きっと頭がガッチガチになった世間体で生きてる私(ひとみさん)よりも、よっぽど世渡り上手で全てを動かす力を持ってるのがこの子なのだろう。私の生きる主軸をこの子に渡してあげたほうが、間違いなく願いが叶うスピードも早いし、生きたい人生を生きるまでの道のりも断然短くなるんだろうな。

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