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恥ずかしさが快感に変わる時、ヒトは爆速で変わっていく

執筆日:11月12日


皆さんは日頃生活している中で「羞恥心」を感じることがあるだろうか。


「羞恥心」。簡単に言えば「恥ずかしい」って感情。


授業中に爆音で通知が鳴ったとか、何も無いところでつまずいたとか。


人に見られているところではもちろん、誰もいない一人の時でさえ「何やってんだ僕は///」と恥ずかしくなる。


これが羞恥心!


ということで今日は、『羞恥心のすぐ先にあるものを求めて』というnoteからネタをパクっていこうと思う。



看護師さんの仕事の一場面、「陰洗」と呼ばれる仕事がこのnoteの舞台。


僕は医者でも看護師でもないし、入院経験も無いから実際を知らないけど、「動けない患者さんの排泄を助ける道具を清潔にしておくこと」って仕事だと思う。


想像だけでも恥ずかしいよな。


でも文章を読む感じその恥ずかしさは1回目だけで、2回目以降は「見てもらえる」という快感を覚えているように見える。


で、「人間は変態である!」と締めくくっている。


うん。知ってた。



僕がnoteを書き始めた2個目の記事でそれはネタにしている。


やっとそこに気づきましたか。


少し調子に乗りすぎた。反省。



排泄をする部分も、するところも、見られるのは恥ずかしい。


だからトイレは性別で分けられてるし、同性でも個室に分けられる。

(男の立ちショントイレも隠せてるからセーフ!!)


見られるのは恥ずかしいし、見たいものでもないから隠す。


だけど見られなきゃいけない時がある。見なきゃいけない時がある。


そうやって恥ずかしさの殻を破った時、ヒトは快感を覚える。


それって今、僕がやってることと同じだよね。


僕は今、noteを書いている。


それは自分の想いを表現すること。


自分の想いを相手に伝えて、相手に反応をもらう。


これには告白みたいな恥ずかしさがある。


最初は「好き」の一言を言うだけでも恥ずかしい。


だけど次第に「好き」と言って反応してもらえることが快感に思う。


noteを書くってのも同じ。


好きなものを「好き」と言って、何故好きなのかを説明していく。


最初は書くことすら恥ずかしい。


さっき出した僕のnote読んでみ?


導入部分長すぎて飽きるわ、文章のまとまりが無いわ、行間の使い方も下手。


自分の考えを書くことが恥ずかしいし、それを表現する文章も下手すぎて恥ずかしい。


恥ずかしいなら止めればいいのに、いつの間にか楽しくなって、気づけば昨日で300記事出していた。


羞恥心、恥ずかしさの先にある快感。


感覚の話をするけど、物事を始める時にワクワクが8割、不安が2割くらいの感情分布がある。


その不安2割のうち、恥ずかしさが半分を占めている気がする。


こうゆう感情分布を感じられたら迷わずGOだ。


不安2割の半分である「恥ずかしさ」が、やってくうちに快感に変わる。


そうなればワクワクと快感の9割感情が行動のブーストをしてくれる。


ヒトは誰もが変態だ。


けどそれに気づかないヒトもいる。


そんな中で未来に少しの恥ずかしさを感じられる物事があるのなら、それはとても幸せなこと。


是非、変態道を邁進していただきたい。


「自分は変態じゃないから」と言う人もいるのだろうが、僕はnoteを書いてただけなのに変なことしてる妄想をしたのはどうゆうことだい?


ということで終わり!読んでくれてありがとう。いいねやコメントよろしくね。


じゃあ、また。


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