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心理学の話:人事評価における差別がなくならない理由

差別の問題は、長く議論されてきた根の深い問題であることは皆さんご存じだろう。

ある程度教育を受けた人ならば、「差別はいけない」という言葉には誰でも賛同する態度を見せる一方、現実の差別は一向になくならない。

そしてこれは人事評価にも常についてまわる問題だ。学歴や性別による差別は、「正確かつ公正な人事アセスメント」の障害となるだが、なかなかそこから脱することはできない。

それはなぜだろうか。

差別の構造には様々なものがあるため、一括りに論じることはできない。ここでは、特に人事評価と関係の深い「統計的差別」について集中的に述べてみたい。

例えば、これまで社内で目覚ましいパフォーマンスをあげた人々を100人リストアップしたとしよう。その結果、9割が男性だった。これを純粋に統計的に見れば、「男性の方が女性よりもハイパフォーマーとなる確率が高い」と判断するだろう。この判断に基づいて、採用を決めるならば、「男性を優先して採用すべし」という結論に達してしまう。

同様に、ハイパフォーマーの9割が特定大学の出身者だったとしたら、「特定大学出身者を優先して採用すべし」という結論になってしまう。

その結論は、確率論で考えると「合理的」である。だがこれは差別なのだ。なぜか?

それは、「性別がパフォーマンスの高低を左右する」という因果関係を見出せないからだ。因果関係が見出されない以上、それは差別である。

学歴についても同じだ。「学歴が高いほど、パフォーマンスが高いという因果関係があると言えない」ならばそれは差別だ。

これらについては、しかしながら根強い反論もある。よりわかりやすい学歴を例にとってみよう。

代表的な反論は、学歴と仕事のパフォーマンスには因果関係はある、というものだ。日本において学歴が高いことは、入試で偏差値の高い大学に合格したことを意味する。そのためには、忍耐力、論理的思考力、文章力、読解力などが高くなくてはならない。そしてそれらは、ビジネスにも必要とされる重要な能力だからだ、という論だ。

その論理は正しい。だが、では高学歴の人がすべてハイパフォーマーかというと、そうではない。高い確率でハイパフォーマーかもしれないが、そうでないものもいる。そして母数が大きくなれば、その絶対数は無視できない大きさになる。

ここで重要なのは、真の因果関係は「忍耐、論理的思考、文章、読解などの能力⇒パフォーマンス」にあるのに、そのシグナルに過ぎない「学歴」こそを原因だと思ってしまっていることにある。

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学歴はパフォーマンスと相関関係にはあるが、因果関係にはない。つまり、パフォーマンスの高さを予測するために学歴を使うことは、やはり差別なのだ。これを統計的差別という。この差別があると、能力は高いのに何か理由で学歴が低い人が不当に評価されてしまうことになる。

だが、問題はもっと根深い。上記のようなことは、人事に携わるものならば、誰もが感じているだろう。にも拘わらず、学歴によって差別が起こるのには理由がある。

釣りをするときに、たくさん魚がいるポイントを狙って釣り場を変えることは合理的だ。それと同様に、能力の高い人材を得たい場合に、高学歴の者を優先するのもまた合理的なのだ。少数の外れ値を探すより、確率の高いところで採用を行う方が、「手間が省ける」からだ。

統計的差別がなくならないのは、その合理性のためだ。そのために、本当に能力の高い低学歴の人は、不当に低待遇となり、何かの理由で能力の低い高学歴の人は、不当に好待遇になる。

理想的には、仕事に必要な能力をよりダイレクトに測定できれば良い。そうすれば学歴に依らず、本当に能力という「原因」を見ることができるからだ。

だが、新卒採用では数千から数十万とくるエントリーシートを人の目で見ていては、そういったことをいちいち判断するのは不可能だ。また、エントリーシートや履歴書のどこに、そういう情報があるのかも判断しにくい。

そうすると、どうしても学歴などのわかりやすいシグナルに頼ってしまうのが、人間の心理だ。そして、そういう心理的なメカニズムはわかっていたとしても避けられないものなのだ。認知心理学で知られていることだが、人間は認知処理を行うとき、できるだけ認知資源を節約しようとする。つまり「あんまり考えずに楽して決定したい」と思うようにできている。特に疲れているときや早く決断しなくてはいけないときには、無意識のうちにそれが顕著になる。

人事部の方々がどんなに誠実にエントリーシートを読んでいても、大量の数をこなし、期限が迫る中でそれをやっていると、どんなに気をつけていても「認知的節約のワナ」に囚われてしまうのだ。結果として、無意識に統計的差別を行ってしまう。

この差別は人々の心がけを変えても無くせないものなのだ。

弊社、ヒトラボジェイピーでは、そういった差別を排し、公正で正確な人事採用を可能にするにはどうするべきかを、議論し、考えてきた。

その当時、AIの活用についての議論が活発に行われていたため、AIがソリューションになるのではないかとも考えた。実際、そのころ日本を含め多くの国で、AIの人事への導入を高らかに謳う人事コンサタント会社が、山のように出てきた。

だが、私たちは、AIの安易な使用は避けるべきだと考えた。例えばAIにある人物の過去の採用時の人事情報(エントリーシートや履歴書情報)と、その後のパフォーマンス評価を学習させ、人事評価させるようなことは、間違っていると考えたのだ。

簡単に言えば、その理由は、過去の人事評価に差別が含まれているならば、AIはその差別をも学習してしまうからだ。実際アマゾンがAI人事に失敗したのは、それが原因だと私は思っている。


そこで私たちが考えたのは、もっと別の方法だ。それは、本当に差別やバイアス抜きで人事評価できる「人事のプロ」の持つ職人技を、コンピュータで再現できないか、という試みだった。

アイディアとしてはIBMとオランダの大学がレンブラントの筆致をAIに学習させ、そのAIに疑似レンブラントの「新作」を発表させたプロジェクトと同じだ。

レンブラントの「職人技」をコンピューターに再現させることが可能ならば、人事分野でもそれができるかもしれない、と考えた。

企業秘密なので、そのために何をやったかは、これ以上書けない。ただ、現在弊社の提供している「マシンアセスメント」は上記の問題意識から生み出されたサービスだ。もちろんアイディアを形にするまでには、さまざまな試行錯誤を経た。そして、いくつかの大きな幸運にも恵まれた。そのおかげで、2017年にこのサービスの最初のバージョンが完成した。

以来、このサービスは絶え間なくアップデートしている。もちろん現時点でもまだまだ発展の余地がある。だが一方で、これまでのところは、かなりうまくいっているという手ごたえもまた得ている。

弊社のサービスにより、人事の差別撤廃に貢献できること、これが私たちの目指すものであり、大げさに言えば日本企業、日本社会の活性化につながるものと、私たちは信じている。

文責:渡部 幹

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