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「好きかどうかわからない」で付き合った恋人たちの末路【前編】

片想いし続けた人にフラれてから約1か月後、人生で初めて恋人ができた。

切り替えがはやいだろうか。
いや、恋人とは「好きかどうかわからない」状態で付き合ったから、すぐに気持ちが切り替わったわけではない。
「好きかどうかわからない」のに、付き合ってみた私たち。
そこから得たあまりにも多くの感情、学んだ価値観、忘れたくない記憶について綴りたいと思います。


「好きかどうかわからない」けど、恋人になった

彼と出会ったのは、例のごとくマッチングアプリだった。2020年11月末の退会間際に知り合った人で、退会後もLINEでやりとりを続けていた。
といっても私は別の人に絶賛片想い中だったため、それもすべて彼に話していて、「恋人というより、友達になってくれませんか?」と言われたので、了承して友人関係を続けていた人だった。
石垣島に逃亡している間も彼に電話して、好きな人に対する感情を吐露し続けた。彼は自分の意見を述べたりしないで、ただ話を聴いてくれた。当時の私にとってはいいサンドバックだったのだと思う。一方的に愚痴や不安をぶちまける相手だった。

ひとつ年下で、海外の大学に通っている学生。(卒業間際ですでに日本に戻ってきているらしい)
年上しか好きにならないと思っていた私にとって、犬みたいに懐いてくる年下男子という存在は初めてで、弟のようにかわいがっていた。

石垣島から帰ってきて、好きだった人にフラれて清々しい気持ちでいた頃、彼から想いを告げられたような気がする。私は友達としか思っていなかったので恋愛相手として見ることに苦慮したが、人として興味を抱いていたこと、嘘がつけない性格で信頼できると思ったことから、話し合いのすえに付き合うことになった。

彼は、私と同様に「好き」がなにかわからないで模索している人だった。
だから告白の時も「好きかどうかわからないけれど、一緒にいたいと思うし、会いたいと思うから」と言われて、なんだそりゃと思った。思ったけど、私だって「好き」がなにかわからないのだから、好きじゃないという確信もなく、人として興味があるからいいか、と思って付き合うことにした。12月26日、クリスマス翌日のことだった。


彼を「好きだ」と直感した言葉

彼は「誠実」であることを目指している男だった。
嘘をつくことが何よりも許せない、ありのまま正直に伝えることが絶対正義であるかのような価値観を持っていた。
その誠実さを私は好んだが、傍から見れば生きづらそうなことこの上ない。「不器用」という言葉を体現したような人。そして奇跡的に、私はその不器用さを愛した。

私たちは似た価値観を持った人間だと感じることが度々あった。すべての価値観が合うことはないけれど、意見に相違があるとしても相手を尊重して受け入れられる程度の差異だった。関係性を根本的に揺るがすような違和感はない。だから一緒にいてもストレスがなかった。

私たちはよく電話をした。
夜、突然かかってくることもあって、明け方まで寝落ち電話をする。どちらも夜型人間だから全然眠れなくて、結局4時くらいになって電話を切るという自堕落ぶり。だけどその時、確かに幸福を感じていた。
ドキドキした。彼の声が好きだった。ずっと話していたいと思った。

年末年始の休みの間、何度か家に泊まったりもした。人肌の温もりを知り、幸福を知り、愛おしさを感じていた。


彼を好きだと思った瞬間がある。あまりにも素敵だったから、書き残しておきたい。

私が将来の生き方を見つめ直して、やりたいことを仕事にするために悶々と考えあぐねていた時のこと。今より確実に収入は減るが、やりたいことができるかもしれない選択肢へと舵を切ろうか迷っていた。
安心して生活できるだけの収入は確保したい、だけどやりたいことに挑戦する時間が欲しい。今のままではその余裕はないから、働き方を変えなければならない。
電話で相談した時、彼は新しい働き方をおおいに応援してくれて、そしてこう言った。

外見にお金をかけて着飾っている人より、やりたいことをして輝いている人の方がよっぽどきれいだよ

その言葉に身震いするような衝撃を受け、次の瞬間には「好きだ」と直感した。
なんて素敵な考え方をする人なのだろう。あなたの心がすでに美しい。そしてそんな言葉を投げかけてくれる優しさに、胸が締め付けられるような愛おしさを覚えた。


愛することの意味を知る

付き合って3週間のうちに、めまぐるしい勢いで多くのことに気づいていった。

人を愛し、愛されるということ。
それはあまりにも不安定で、つかみどころのない感覚に確証を得ようと必死になる。「好かれているという実感」と「好いているという確信」を互いに伝えていかないと不安でしかたなくなる。
愛されていなかったらどうしよう、私のどこかに嫌気がさしたら、もう一緒にいてくれないのではないか。つかの間の揺らぎが脆い心を崩壊させてしまう。
だから人は愛を言葉にして伝える。
こまめに愛情を伝えていくことで、相手から好かれているのだと実感できる。そしてまた、安心して相手を愛することができる。

「愛する」とは、すなわち相手を大切に想うことを意味するのではないだろうか。相手を慈しむこと、不安を抱かせないように思いやる気持ち、それらを互いに抱くことができたなら、信頼と安心で結ばれた恋人になれるのではないだろうか、とそんなことを思った。


もう引き返せないところまできているという感覚はある。それは彼という存在が確実に私の人生を豊かにしていたから。

私の恋人が彼だから、日常はこんなにも豊か。

街中を散歩する。落葉を眺めて山道を歩む。料理をする。一緒にご飯を食べる。手をつなぐ。ハグをする。ぬくもりを感じる。

それらすべて、彼だからこの豊かさは存在するのであって、他の誰かによって同一の喜びがもたらされることはない。この豊かさが消失するということは、なにものにも代えられぬ唯一無二の存在を失うことを意味する。

想像するに、この先ちゃんと彼のことを愛したとして、彼を失えば私の一部は崩壊するだろう。そうならないためにいくら予防線を張ったところで傷つくことは目に見えている。

もう、手遅れ。だから諦めて、愛してしまえばいい。いっそ開き直って、未来の私が傷ついてしまえばいい。

未来の自分に借りをつくって、代わりに今の幸せをください。
ごめんなさい、今の私の幸せのために、未来の私は傷ついてください。
そうしてでも彼を愛したい。愛したいという意志を持っていた。


「好きかどうかわからない」で始まった関係だけど、このままいけば彼を好きになるかもしれないという予感がした、はずだった。

私の彼に抱く感情が明らかに変化していた時、同時に彼の私に対する感情も変化していた。真逆の方向へと向かって――


私のために死ねない彼

付き合って1か月ほど経ったある日の夜、酔った彼から電話がかかってきた。酔っているにしては冷静な声。重々しい空気に嫌な予感がした。

「好きかどうかわからない」

苦しそうにそう呟く彼に、そんなことわかっていると思いながらも虚脱感が襲った。

私たちはお互いに「好きかどうかわからない」状態で付き合ったわけで、付き合ってみたけど「好きかどうかわからない」状態に彼がまだいるというだけのこと。
だけど、私は好きになれる予感がして愛情を抱いていたから、彼との感情の落差に胸が痛んだ。

「彼女のためなら死ねる。今まで好きだった人には、みんなそういう感情を抱いた」
「私には抱かないと?」
「・・・うん」
そう言って口をつぐんだ。

頼むから私のために死んでくれ。
誠実を目指す彼は自分の感情にも嘘がつけない。

それくらい強い想いがないと、人は人を愛してはいけないのだろうか。むしろ愛するからこそ、そういう想いを抱くのではないのだろうか。

好きだという確信がないまま付き合った我々は軽薄だったろうか。
そんな覚悟、付き合って1か月で持てないよ。

電話口で言葉を続ける彼。

「だけど、会いたいし一緒にいたいから、どうしたらいいのか自分でもわからない」

都合のいいことを言う彼に「じゃあ、1か月の期限をつけたら? 1か月経っても好きになれなかったら別れるとか」と条件を突き付けていた。


1週間後に会った時、彼はなにごともなかったかのようにふるまっていたが、私はその頃から不安を抱き続けていた。彼に愛されているという実感がないことが、こんなにも悲しくて痛いものだとは知らなかった。

私はショックだったことを伝えた。
彼は「自分でコントロールできるものでもないからなぁ」と言った。
そんな無責任なこと言わないで。

好きかどうかわからない人をどうして抱けるのだろう。
好きかどうかわからない人にどうして貴重な人生の時間を割くことができるのだろう。
彼に対して不安しか抱かなかった。気丈にふるまっていたが、内心はいつフラれてもおかしくないという恐怖を抱いたまま過ごした。


そして1か月が経ち、月曜の深夜、彼の名前を表示して再び携帯が鳴った。


<つづく>

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