配県置班 ~茨城県の5地域~
1、配県置班
廃藩置県(はいはんちけん)。明治時代の政策。
それまでの国内政治の行政単位だった「藩」をやめて、「県」を置くことにした。これにより、中央集権の行政組織が固まっていった。
配県置班(はいけんちはん)。「イバーランドの県道」の設定。
県の状況に目を「配」り、地域区分をして「班」を置くこと。これにより、各市町村を地域別に分けて、効果的に紹介できるようにした。
今回は、私の市町村擬人化×ゲームブック「イバーランドの県道」のモデルとなった「茨城県」の地域区分について書きます。
2、分けることは分かること
たくさんの複雑な要素が入り混じった現実のことを、とりあえず便宜的に「分けてみる」。これが、分かること、理解することへの第一歩だと言われています。この「分け方」が良ければ、理解も進みます。
歴史で言えば「時代区分」ですね。江戸時代とか明治時代とか。実際には1868年でスパッと時間が変わるわけではなく、1867年と1868年と1869年は連続しているのですが、そのように分けたほうが理解や解釈がしやすいということです。
歴史には、このような「時代の境目」となる年というものがあります。日本史で言えば、794年「ナクヨうぐいす平安京」であったり、敗戦した1945年であったりです。最近では1995年なんかも、後々「時代の境目だった」などと言われそうですね。阪神淡路大震災、オウム真理教事件、Windows95発売など、時代の象徴とも言うべき出来事が多かった。
では地理はどうか。「地域区分」がそれにあたります。一番わかりやすい「国境」から見ていきましょう。
日本は島国ですので、比較的他の国との国境がわかりやすいです。もちろん、島によっては「どっちに属するんだ」ともめている島もありますが。地続きの国境はそうではなく、世界地図を眺めてみれば、いかにも人工的なまっすぐな国境もあれば、なんか色々もめて妥協してこうなったんだろうなと想像できるようようなグニャグニャの国境もあります↓。
では、国内ではどうか。「関東地方」などの地方での区分、「茨城県」などの都道府県単位での区分、そして今回の記事のテーマである「県内における地域区分」などがあります。これをどのように設定するかによって、それぞれの地域をどう理解できるかが変わってくるんですね。
ただ、繰り返しになりますが、これらの分け方は「便宜的」なものです。時間の中で線が引かれていたり、地上に線が引かれているわけではない。
「そのように分けたほうが理解や解釈がしやすい」というのは諸刃の剣であって、分け方によって無意識のうちに認識が偏ったりしますので、ご注意の程を。国境の認識なんてのは、その最たるものです。お互いがそれぞれの「偏った」見方で譲らずに主張すれば、相手にはなかなか通じにくい。エジプトとスーダンの国境には、「どっちにも属さない」という無主地があります。妥協です。そういう、人工的な「道具」としての分け方です。
前置きが長くなりましたね。では、茨城県の地域区分を見てみましょう。
3、茨城県をどう分ける?
まずは「茨城県(県庁)のホームページ」より。
◆県北地域(けんぽく)※けんほくと読むこともある
◆県央地域(けんおう)
◆県南地域(けんなん)
◆県西地域(けんせい)
◆鹿行地域(ろっこう)
この5地域に分けて、市町村が紹介されています。
次に「Wikipediaの記載」より引用します↓。
県域は、自然的条件から、広義では県南、県央、県北、鹿行に四分される。さらに社会・経済的特性とくに都市化を条件に加えると広義の県南は県南、県西に二分される[12]。
茨城県には32市7郡10町2村がある(町は全て「まち」、村は「むら」と読む)。それらは、県庁によって以下の5つの地域に区分されている。
茨城県は、全国47都道府県の内、11番目に人口が多い。総面積は全国24番目であるが、可住地面積では全国第4位である。これらの統計で見ると、特定の都市に一極集中せず、全体に広く人口が分布しているとも言えるが、地域圏でみると、人口約300万人のうち、約1/3が東京圏(列びにつくば都市圏)に含まれ、残りの200万人がそれぞれの地域で農業や小規模な商工業を基盤とした地域圏を形成している。
「ダイヤモンドオンライン」の記事も引用します↓。
だいたい5つに分けられることが多いようですね。
この中で、「ひたちなか市」「那珂市」「東海村」を、県北地域に含めるのかそれとも県央地域に含めるのかは、まちまちです。県のホームページでは「県北」、ダイヤモンドオンラインの記事では「県央」に含まれています。県庁所在地の水戸市を中心に考えると、その近辺のこの3つの市町村は「県央」、「那珂川という大きな川から北は県北」という観点から考えると、この3つの市町村は「県北」になるのかな、と思います(那珂川の北でも水戸市に入る地域はありますが)。このあたりはまさに「便宜的」です。
この5つ。「鹿行」だけ場所がわかりにくいと思います。場所的には東なんだから「県東」とか「県南東」で良くない?と思うかもしれませんが、鹿島郡の「鹿」と行方郡の「行」を合わせた、由緒ある呼び名だそうです。…というか、なんて読むんですか?と言われそうですね。「ろっこう」と読みます。「行方郡」は「なめがたぐん」。初見では読みにくいのですが…。
とにかく、5つ。
「イバーランドの県道」では、県庁方式にしたがって、県北に3つの市町村を含めて、次のように5つの「班」を置いて、44市町村をそれぞれ分けました。「配県置班」ですね↓。
「行方市」のように、難読地名もあるので、市町村の擬人化であるゼミ生は子どもでも外国人の方でも読みやすいように、基本、カタカナの名前にしています。名前を覚えてもらうことが、まず第一の目的ですから…。
それぞれの班には、「班長」がいます。例えば「県央班」の班長は、ミトです。男女それぞれいます。
男性は「好文のミト」です。野球部です。プロイバゼミ所属。
女性は「藩学のミト」です。オセロ部です。プロラキゼミ所属。
このように、44市町村×男女2人ずつ、プラス茨城県の擬人化(プロフェッサーイバラキ)で男女2人ずつ、88+2で90人の擬人化キャラが、「イバーランドの県道」に登場します。
4、各班・各市町村にはストーリーがある
いかがでしたでしょうか。今回の記事では、茨城県の地域区分について書いてみました。
なお、ここ5日間、それぞれの地域(班)から、1つの市町村を取り上げて、マニアックなネタをテーマにnote記事を書いております。もしよければ、お読みいただくと嬉しいです。どちらかというと全国的な知名度が低いと思われる市町村を取り上げました。
県西からは「五霞町」(ごかまち)。
県央からは「茨城町」(いばらきまち)。
(県北からは「常陸大宮市」(ひたちおおみやし)。)
県南からは「河内町」(かわちまち)。
鹿行からは「神栖市」(かみすし)。
各班・各市町村には、ストーリーがあります。知られざる魅力がたくさん眠っています。その一端でも、世の中に知られればいいなと思います。
…魅力ばかりじゃないだろ、課題も山積みなんだろ?と、ちょっとダークな茨城県を知りたい方は、こちらの本をどうぞ。白歴史あれば黒歴史あり。「イバーランドの県道」では、意識して魅力に的を絞って取捨選択して制作していますが、闇を知ってこそ光も輝くと言いますし…↓。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。