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陶芸に携る方々の話を聞こう in 伊賀(第4回/全6回) 須釜優子さん/陶芸作家

HIS 地方創生チームが地域の皆さまと一緒になって、その土地ならではの魅力を活かし、地域をより元気にする、そんなプロジェクトが始まりました。第一弾の舞台は三重県伊賀市。伊賀焼振興協同組合さま、伊賀焼陶器まつり実行委員会さまと協同し、伊賀の陶芸の魅力を発信いたします。

その一環として、伊賀市で陶芸に携る6組さまにインタビューを行い、HISスタッフが素人目線でコラムを作成してみました。伊賀市に根付いた陶芸文化とそれに関わる人たち、その魅力が皆さまに届きますように。
(インタビュアー:HIS 宮地、田中/日時:2020年12月某日)

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須釜優子さん/陶芸作家

人々は、日々の生活を彩る食器をどのように選んでいるのだろうか。
「好きなものに囲まれた生活って素敵ですよね。その”好きなもの”の1つに、私の作品を選んでもらえたら、すごく嬉しい。」
穏やかな笑顔で話し始める須釜さんに、三重県伊賀市で陶芸作家になるまでをお伺いした。

心に色濃く残る幼少期の海外生活

埼玉県出身の須釜さんは、東洋大学で哲学を学び、一度は旅行会社で添乗員を勤めていた。それでも「陶芸がしたい、ものが作りたい。」という強い気持ちが消えることはなく、京都伝統工芸大学校に入り、3年間陶芸を専攻。2018年に陶芸作家として独立した。

落ち着いた様子で、ほがらかに、そして楽しそうに話をする須釜さんからは、陶芸への熱い想いを感じる。彼女の原動力は、幼少時代の思い出の中にあった。

須釜さんは、幼少期をインドネシアとシンガポールで過ごすという異色の経歴の持ち主だ。
初めての海外生活は「アチェ」と呼ばれるインドネシア・スマトラ島北部。首都ジャカルタから国内線で乗り継ぎ、さらにそこから小さなセスナに乗り換えて到着する小さな田舎町だ。
もちろん日本人学校もなく、英語も話せないままインターナショナルスクールに通うというタフな海外生活をスタートされた。

当時、その地域のインドネシアの人々は、身近な土を使って生活で使用するものを日常的に作っていたという。そんな人々の生活を見て過ごした1年間の後、2ヵ国目となった海外生活がシンガポール。ここで人生を変える出会いがあった。

「母の知り合いに陶芸の先生がいたんです。先生は、ご自身で作られた器や花器を生活の中で使ったり、置いて飾ったりしていました。今でも思い出します。自分の手で作られたもので生活をされている姿。その姿がずっと心から離れませんでした。」

幼い須釜さんを魅了した陶芸のある生活が、今でも「生活の中で使いたいもの、置きたいものを作る」というモノづくりの信念に通じている。

「自分で選んでいる模様がどこかオリエンタルなんでしょうね。幼少期の衝撃や見たもの、感じたものが自分の心の中にあって、ふとした時に出てくる。自分にしか作れないものを作れているのかなと最近感じています。」

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学生時代から惹かれた伊賀焼と、師匠との出会い

埼玉県出身、海外育ち、東京と京都の大学を卒業された須釜さんが、なぜ伊賀焼の陶芸作家となったのか。そこには、今でも窯元を訪ねる師匠との出会いがあった。

京都で陶芸を学んでいる時、本で見た伊賀焼にとても惹かれたそうだ。そこで、三重県伊賀市に行ってみたいと、2年生の時に伊賀焼陶器まつりへ足を運んだ。
そこで後の師匠となる谷本洋さんの作品に出会った。

「沢山の作品、作家さんがいる中で、一番心を動かされた作品を作られていた方が、後に弟子入りした谷本先生です。」

谷本先生の作品に強烈に惹かれた頃、学校に谷本先生のアシスタントの求人が出ていたそうだ。なかなか求人の出ない作家さんだったので、須釜さんは悩んだ。「すごく行きたいけど、3年生で釉薬の授業がある。それをどうしても学んでから卒業したい。」と思い、弟子入りを諦めたところ、たまたま卒業の年にも弟子の枠が1つ空き、求人が出たそうだ。

「運命だと思いました。面接に行き、無事弟子入りを受け入れていただき、谷本洋先生に就くことが出来ました。」

大半の人は弟子入りをしても3年ほどだが、須釜さんはなんと13年間もの長きにわたり谷本先生の弟子をつとめた。フランスやスペインの海外在住経験もある谷本先生とは、どこか通ずるものがあったのではないだろうか。

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「海外に住むと日本の良さが見えてくる」そんな言葉をよく耳にする。
モダンな伊賀焼スタイルも生まれている今日、お2人の作品は伝統的な伊賀焼だ。ぽってりとした柔らかい姿、土物らしいゴツゴツとした切り口、緑色の釉薬が織りなす自然の風合いは、1つとして同じものは無い一点物だ。

“自宅は向こうにあって、庭を歩いて工房に来ています”

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「先生には「シンプルに作っていい」と言われました。

生活の中で使われるものを作りたい。
重すぎると使いにくい。手で持った感じや口当たり、扱いやすさや使い心地を大事にしています。自分が使いたいもの、自分が置きたいものが、作りたいものにつながっていると思います。」

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須釜さんは、ろくろや手びねりの他、土を真っ平な板状に延ばし、好きな形に切ってフチを立ち上げる「タタラ」と呼ばれる手法も取り入れている。
そこに「印花(いんか)」と呼ばれるハンコのようなもので柄を描き、最後に釉薬をかける。

「松の灰が緑色になります。伝統的な伊賀焼の特徴ですね。私は、伝統的な伊賀焼をやりたいと思っていて、”THE 伊賀焼”というものを目指しています。」

窯の中で付着した灰が表面の溝に溜まり、濃淡のある美しい緑色が生まれる。

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須釜さんはたまに工房を離れ、奈良でワークショップを開いたりもしている。そこでは、若い作家たちが伝統工芸を次世代へ繋げている。

「やきものの産地を訪れても、なかなか直接作家や作品に出会える機会は少ないと思います。伊賀焼陶器まつりには、買うつもりがなくても遊びに来るような感覚で訪ねにきて欲しいです。沢山の窯元や伊賀焼がこれほど並ぶことは、なかなか無いと思います。作家と直接話したり、いろんな作品に出会える機会だと思います。」

須釜さんと話をすると伊賀へ足を運びたくなる。実際に手に取って器の肌ざわりを感じ、作家たちと会話を楽しみ、彼らのストーリーに耳を傾けたいと思う。”運命的な出会い”と呼べるような器を、自分の家という見慣れた日常生活の中に招き入れた時、その器は思い出と共に生涯大切にしたいものとなるのではないだろうか。
物が溢れる世の中で、丁寧に日用品を購入する事は、とても豊かだと感じた。

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