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アンプラグドによるアイデンティティ復興 ~【再掲】90年代の音楽シーンを辿る旅Vol.2

MTVアンプラグド

今では、アコースティック主体の演奏形態を「アンプラグド」と呼ぶことは当たり前になっています。

このアンプラグドという演奏形態が広まっていった背景には、「MTVアンプラグド」というテレビ番組の影響がありました。

「MTVアンプラグド」は1989年に番組がスタート。番組が始まるきっかけは、なんとボン・ジョヴィのジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラの演奏なんだそうです。


彼らがMTV Video Music Awardsでアコースティックで演奏した代表曲「Livin’ on a Prayer」「Wanted Dead or Alive」のパフォーマンスが、装飾をはぎとったことで楽曲本来の魅力にあふれていて、生々しい演奏は視聴者の心を打ったのだとか。

この成功体験から、他のアーチストでもこの形態での演奏を展開しようということになり、「MTVアンプラグド」という番組が出来たのだそうです。

アーチストの本質を浮き彫りにする

余談ですが、この事実から分かることは、ボンジョヴィの本質はシンプルな音だったという事です。

彼らは、元々哀愁のあるハードポップのバンドでした。しかし一転、1986年『Slippery When Wet』というアルバム(「Livin’ on a Prayer」「Wanted Dead or Alive」」含む)ではキーボードを効果的に配して、メロディアスかつキャッチーなポップにやや転換し、きらびやかで明るいな80年代ハードロック色を強めました。

このアルバムの中には、ある意味異色な「Wanted Dead or Alive」というアメリカ土着のブルーズに近いアコースティックな曲がありました。1曲だけかなり浮いているように聞こえます。これはおそらく、きらびやかなロックの中にも、自分たちはルーツを忘れないぞという意志表示だったような気もします。


彼らはその後「New Jersey」という同じ路線のアルバムでロック界、音楽界の頂点に君臨することになります。しかし、80年代のいわゆるバブリーな音が本来の彼らの興味関心から離れ売れ線狙いになっていっていることや、有名人になったことによる周囲の喧噪から離れようとする意識が同時に芽生えきたようです。

結果、焦燥しきった体を休めるため、数年の休息期間を挟むことになりました。

復帰後のアルバム「Keep the Faith」では、ブルーズへの原点回帰が起きた90年らしい生々しいソリッドな、装飾を少し抑えた音になっていたのも記憶に新しいです。


つまり、ボン・ジョヴィの本質には土着の音楽であるブルーズへの回帰があり、それをキーボードやバンドサウンド、重厚なプロダクションで包んでいたのですね。ポップなイメージはここからきています。でも実は装飾を取っ払ったところに、彼らの音楽的な本質もあったということだと考えています。

ボンジョヴィのアーチストとしてのクリエイティビティの境目の時期にあたったのが、MTV Video Music Awardsでのアコースティックパフォーマンスなのだと思います。

また、ボン・ジョヴィ以外でも、ブルース・スプリングスティーンも元々はキーボードを取り入れたゴージャスな雰囲気の曲が多かったんです。しかし、アルバム「Nebraska」ではアコースティック路線に。


シンプルな音への回帰〜アイデンティティ復興運動。歴史とのリンク

シンプルな音への回帰です。80年代のキーボード主体のきらびやかな音から、シンプルで生々しいアコースティックへの意識転換が80年代後半は進んでいたと考えられます。

ブルースの場合は、一旦ゴージャス路線に戻りますが90年代初頭から再びシンプルな音を志向しています。



装飾を外して、生身の体で、自分のルーツと向き合う。そして、それをシンプルに最小単位の楽器である自分の声を、より一層際立たせるような演奏形態で演奏していくようになった。

その意識変革のタイミングで「MTVアンプラグド」が始まった。これは、80年代のまばゆいばかりの光に疲れたアーチストにとってはまさに救いの神のようなものだったのかもしれません。アイデンティティ復興活動のような。

この後の歴史もそれを追うかのように、より生々しい現実を我々に見せつけていきます。

80年代末からの冷戦崩壊の構造の中で、ソ連は崩壊し、東欧諸国では独裁者の打倒から民族としてのアイデンティティ復権活動が起きます。東欧諸国で民族運動が爆発したのもこれとつながっています。

そして、世界を巻き込んだユーゴ内戦や湾岸戦争が始まってしまった。冷戦は崩壊したが、新たな戦端が開かれた。

冷戦とは、=平和のための均衡状態ではなく、その名の通り、戦争をフリーザーの中に押しやっていただけの見せかけの平和であったことが周知になってしまった。

そして、世界的に人類の気持ち、マインドは次第に暗く、落ち込んでいき、、、。そしてこういう時には新たな文化やデザインが誕生していくのですが、この時は、その鬱屈とした気持ちを叫んだグランジやニルバーナの登場へと向かう音楽シーンの動きもありました。彼らは生々しい感情を包み隠さず、叩きつけたんです。

そう考えると、時代の流れを汲みとって(いたのだと思いますが)グランジファッションの原型をすでに80年代に生み出していたデザイナー、マルタン・マルジェラのすごさも際立ってくるわけです。

エリック・クラプトン

こんな流れの中で、とある著名なギタリストが、アンプラグドシーンに登場してきます。

このギタリストのアンプラグド出演が、この番組やアンプラグドという言葉と、彼が愛してきたブルーズを結果として広く伝播するきっかけとなりました。

そのギタリストは、アンプラグドで生身の人間性を出す事になるエリック・クラプトンです。

1991年、ロイヤルアルバートホールでのライブを成功させ順風満々だったエリック・クラプトンは、不運な事故で愛息を亡くしてしまいます。彼の焦燥はいかほどのものだったでしょうか。

クラプトンの人生は、歴史的名曲「レイラ」を共に演奏したギタリスト、デュアン・オールマンとの死別や、この曲のモチーフとなった出来事である「親友のジョージ・ハリソンの恋人を奪ってしまって結局別れてしまう」とか、かなり波乱万丈。あるときは、自暴自棄にになり、酒におぼれ、復活も危ぶまれることも多数。

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