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80年代の日本ロックシーンを辿る旅ver.3、~ 瞬間風速的なバンドブームが生んだもの

80年代の日本の経済状況:一極集中

80年代は、日本がどんどん豊かになっていった時期。そして、都市部、特に東京への一極集中も盛んになっていった時期。

時間軸の長い話をすると、この時、1980年代に起きた東京への一極集中という状況が、30年~40年たった現在(2010年~2020年)、地方の衰退、地方の町村の限界集落化につながっていると考えることができます。

また少しサイクルを短くして20年~30年スパン(2000年~2010年)で見てみると、10年時をさかのぼっても変わらずに、東京への集中が地方都市の衰退にもつながっていることが見て取れます。夕張の破綻などがちょうどこの時期に当たります。

ここから何を見出すか。やはり、人の世は20年~40年というサイクル(世代の循環サイクル)で、すべてが変わっていくのだという事の再認識です。

80年代の日本の経済状況:核家族化の進行

80年代中盤以降、「若者の大学進学率向上」「大卒者の新卒入社」「24時間戦えますか」「財テクブーム」などの事象がありました。

その果てに、「核家族化」(若者が実家や田舎を出る。そして都会で夫婦暮らしの増大による)の問題が起きてきました。

大家族、一つの家の中に祖父母がいるような生活スタイルが崩壊。このあたりから、これまでは皆が一つの家にいたからこそ表面化していなかった「介護問題」がクローズアップされてきます。

また、古き家長制もこの段階で崩壊、「父権喪失」「(理由のない)若者の内にこもった憂鬱」が顕著になってきました。

80年代の日本の経済状況:自由を手にした若者は。

自由と一定のお金を手にすることができた若者は自分自身の表現、自己表現の方向に向かいました。それが過激なほうに出てしまった結果が「不良~暴走族」ですね。(ドラマ「スクールウォーズ」で顕著)

また、一方では楽器を手にし、音楽に思いを叩きつけるようにもなってきます。

自己表現の一つとしての音楽、そしてブーム化

そうやって音楽を自らの自己表現に使うようになっていく母数が増えていくと、それが沸点に達し、ブームが生まれます。ブームというものが起きるときには、あこがれの対象となるもの、カリスマが登場してくるものですが、音楽的に言えば、80年代はボウイ、RCサクセション、レベッカらが彼らのあこがれの対象となっていたと思います。

そして、彼らに憧れる者たちが、さらに上京、東京に集まってくる。さらなる一極集中化。そんな彼らが自己表現をする場所の一つが原宿の歩行者天国でした。(大勢の人も集まっていたわけですし、表現の場には好都合)80年代前半に登場した、たけのこ族なるものがその先駆けでしょうか。

ある世代には、なつかしの一世風靡セピア(柳葉敏郎、哀川翔が在籍)がパフォーマンスしていたのもこの時代でした。

アマチュアバンドたちも、この場所で自己表現をし始めていきます。ジュンスカも懐かしいですね。


ブーム化の果てに、、、大衆化、、、からの衰退

この自己表現手法が確立されていき、いわゆるパフォーマーやバンドが世の中に飽和してきます。多種多様な面々が出そろったというか、正統派もいれば、自分たちの個性を出していくようなキワモノ的なグループ(個性の出し方を誤解しているようにも見える)もいました。

そういう人たちが、メジャーになるきっかけの一つだったのが、TV番組。たくさんのバンドが出る番組がありました。

しかし、このバンドの隆盛がブームで(2年くらい)終わってしまい、後世にあまり影響を残していないのは、正統派ロッカーに加え、キワモノ的なバンドが出現してきたからですね。

ブームはすべてそうだといってもよいと思いますが、TOPレベルのグループ、その下に追随する実力派グループのほかに、キワモノ的なグループが生まれてきます。

この差は、そのブームになったものが、、音楽が本当に好きで、好きが高じて自分自身を表現するものになってしまっているか、単にブームだからのっかってみたか、、、の違いでしょうか。

形だけまねしても中身が無い。誰でも形だけは真似することができた。。

その中でも、まあ、、、というのが以下の2つのバンド。。かなと。。

1、マルコシアス・バンプ。
演奏はすごいと思います。ベースがすごい。インストグループならば、これでよいのですが、楽曲の良し悪し、、、ですね。楽曲が弱かった気がします。

ブームの弊害か、、、何か浮上のきっかけがあったなら、、と思いますが。。

彼らのようにデビュー当時は、あまり印象的ではなかった。けれど、大きく躍進を遂げていったグループがイエローモンキーや、エレファント・カシマシ。

イエローモンキー
デビュー当時は、さほど、、、、だったんですけど、当初のレッド・ツェッペリンルーツ丸出しから、徐々に、幅を広げていった結果だと思うんですよね。


エレファント・カシマシ
彼らも同様。宮本氏は、忌野清志郎に憧れて、デビュー時はそのまんま忌野清志郎だったんですけど、楽曲が弱かった。。そこからの悩んだ過程を経て、脱却し、独自の個性を生み出して行った。。


2、たま
、、も印象的な楽曲で、それはそれでよいのですけれど、、やはり、ブーム後に残らなかったのは、最初のイメージの延長線上で、良い曲を作れなかったからと思いますね。。


ブームで消えていく芸人みたいに、そのいわば一発芸だけが独り歩きしてしまうというか。(2000年以降、多数いましたよね。ボキャブラ天国とかエンタの神様とかいろいろありましたけど、残っているのは、その一発芸に頼らず脱却して行った面々ですよね。))

というわけで、ブームが過ぎ去っていったあと、音楽的な遺産としては、何も残らなかった。。のかもしれませんね。ただ、世の中高生が楽器を手にして、自己表現をしやすくなったという世相的な影響はあったのでしょう。

ブームはすぎ、あの熱狂的な歩行者天国のブームもなくなって。。。ブームの渦中にいたグループはこぞって解散か活動縮小となっていきます。

消えゆくバブル時代と、来るべき90年代

一世風靡セピアは、某TV番組がなくなりブームが消えていくその前に、活動を終えていきます。

その時、夜のヒットスタジオにマンスリーで出演していて、歌ったSHIBUYAという曲が、なんというか、ブームの儚さや、時代の変遷(90年代へ。冷戦崩壊からの世界的な開放への動き)を別れと出会いの観点から歌っているような気がして、感慨深いものがあります。


とうわけで、80年代日本ロックシーンでした!


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