#00 オリンピックとあきらめが悪い37歳
2021年7月24日。東京オリンピックの競技を一通り見終えて、0時を回っていることに気がつく。今日は自分の誕生日だ。
金メダル第1号の髙藤選手は28歳、日本選手団の主将、山縣選手は29歳。
37歳を迎えた今振り返る29歳の自分は、全裸で身体検査をされたり、ココアにしるこサンドを浸すのが楽しみだったり、テレビ画面に映る彼らとはそれはそれは違いました。
誕生日を迎えて久しぶりに自分の情報をエゴサーチしてみると、自分が体験したことのほんの上澄みしか記録には残っていないことに、無念さや憤りを感じました。
書籍にしようにも、最低出版ロットや、書いていいこといけないこと等さまざまな障害があるようでした。
なので、とりあえず、今の思いを、noteに少しずつ書き記していきたいと思います。
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2013年6月。28歳の私は、たくさんの人たちの応援によって美濃加茂市長に就任しました。
それから1年後の2014年6月。ある朝突然連行され、21日間の取り調べ、そして62日間の勾留を余儀なくされました。
一審無罪、二審有罪。
人が行うことは万能ではないのかもしれませんが、不条理と理不尽な判決に怒りが込み上げました。
2016年12月、市長を辞職。翌年、1月には悩んだ末の出直し選挙でしたが、結果としては史上最高得票で当選し、復職することができました。
喜びもつかの間、一縷の望みをかけた最高裁ではあっけなく上告棄却をされました。たったの三行半でした。
懲役1年6ヵ月。
執行猶予3年間。
追徴金30万円。
同時に公民権の停止が決定し、市長職を離れました。
「可哀想に、藤井君は嵌められた。気の毒だ。」
応援の意味を込めて、そんな言葉をいただくことがあります。
しかし、私は嵌められただけなのでしょうか。
私の事件は、詐欺師の証言が全ての引き金にはなっていますが、警察官、検察官、裁判官、そして多くの報道関係者が事件の中身を深く知っていました。彼らは真相を理解していたはずです。
私はこの事件を通して、社会の中でそれなりの立場にある人が、現実や事実と向き合ったときに、自分への影響や、同調圧力に屈し、真実を語ることができない世の中となっていることを、はっきりと見せつけられることになりました。
そして、これは私の事件に限った話ではありません。
中学生の時、あれは冬休みの正月の真っ昼間。
私と友人数名は、愛知県名古屋市の繁華街のど真ん中で、よく分からない不良青年たちにボコボコに殴られたことがありました。
驚くほど豪快に殴られた田舎者の私たちは、手も足も出ず...財布の中身を取られてしまった友人もいました。
そのとき、何十人もの人々が、私たちのことを見て見ぬ振りをし、歩き去っていきました・・・。
それから私は、「間違ったことから目を背けるような人には、なりたくない」と思って生きてきました。
あれから、何年もの月日が経ちました。
法廷での決着は一度ついてしまっていますが、諦めたわけではありません。
また、社会の闇との闘いは、人生を賭けて続けなければならないと思っています。
理不尽で悪しき体質から変われない社会を、何もしないで子ども達に渡すわけにはいきません。
次の世代に同じ思いはさせたくない。
「義を見て為ざるは勇無き也」
私はこれからも政治家として活動します。私を「汚職政治家」と信じている人、事件がよく分からず何となく見ている人も多くいらっしゃると思います。
なぜ、まだ私が政治家にこだわり、社会の闇と闘おうとしているのか、1人でも多くの人に知っていただけたらと思います。