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ブレマー 自由市場の終焉 European View Dec.2010

(解題) ブレマーの話題の著書の著者自身による抜粋である。ブレナーの著書を初めて読んだとき、その「国家資本主義論」はレーニンや毛沢東などマルクス主義の古典を踏まえた、資本主義と社会主義との間にある「国家資本主義」の問題の議論と重なるものと早合点したのだが、改めて読み返してブレマーの議論は、そこまで深読みしなくていいものではないかと判断した。そのことは金融恐慌と国家資本主義の台頭を結びつけて、社会主義の問題とは切り離して議論している点からも端的に伺える。彼の懸念は金融恐慌後、新興諸国が、国家資本主義と自由市場資本主義との間でどちらの方向性を選択するのかにあるように見える。問題にする対立軸が、国家か市場かではなく、国家か民間部門かであることも以下の引用では明確である。
用語  権威主義 国家資本主義 自由市場資本主義 国有企業
    政府系ファンド ブレマー 金融恐慌 社会主義

Ian Bremmer, Article Commentary: The End of the Free Market: Who wins the war between States and Corporations?  European View Vol.9 Issue 2 Dec.2010

(要約)権威主義政府の指導者たちは、資本主義制度capitalist systemを、彼らのの国で経済成果を最大化するだけでなく、その政治的目標を促進し、自らの政治的影響力を高める目的で、しっかり受け入れているembraced。この振る舞いが、国家資本主義現象を生じさせた。世界の資本主義制度にとり厳しい恐慌の時において、国家資本主義state capitalismは自由市場資本主義free-market capitalismに概念上も理論上も挑戦している。それは新興経済の指導者たちに魅力的な代替物を提供しており、資本主義の効率性を歪めておりdistortsかくして将来の回復を弱めているundermining。自由市場の国々はこの二重の挑戦に、彼らが説いている自由貿易と開かれた市場の教義を実践しつつ、賢明なsmartな規制の招請the callで答えて対応する必要がある。

新たなシステムの登場
 金融恐慌と地球規模の景気後退の間、巨大な市場崩壊はグローバル化にとり最初の本当のストレステスト(訳注 システムの耐性を調べる試験をストレステストという。通常は机上計算シミュレーションで負荷を与えるが、ここでは金融恐慌が実際のテストになったことを指している。)となった。先進及び発展途上の両世界の政治的役人たちは、通常は市場の諸力に任せている決定の責任を、数十年の間、見られなかった規模で担った。主要金融機関の爆発implosion(訳注 外圧により破裂すること)に世界中の諸政府が反応した。或る市場で救済された会社は「倒産するには大きすぎる」とみなされた。国家支出を大量服用させられたカギになる経済部門は成長に弾みをつけること(kick-start growth)を期待された。企業の統制権をつかんだ国家は、産業の旗艦flagship (訳注 最も重要な組織)とみなされた。彼らはすべてのことを行った。というのは彼らは其れが必要だと信じたからであり、誰もできないと信じたからである。
 金融の資本から政治的パワーの資本への市場力の移転は、上海から北京、SaO PauloからBrasilia,  MumbaiからDelhi, SydneyからCanberra, DubaiからDhabiへと世界中で起きた(訳注 この文章は国家資本主義国の例示なのかどうか。国名は、中国、ブラジル、インド、オーストラリア、アラブ首長国連邦。最後のDhabiはアブダビAbu Dhabiのことである)。
 国家資本主義は、21世紀版の社会主義中央計画の再現ではない。それはそれを実践する各政府にとって官僚が運営するengineered資本主義の形態である。それは、国家が主として政治的成果のため市場を支配している体制である。この傾向が進むと、国際政治には摩擦が、地球的経済成果にはねじれが、生み出されるだろう。

国家資本主義:それは何で、いかに生じたか 
 自由市場(資本主義)と国家資本主義の間には、2つの基本的な違いがある。第一に政策の作り手たちは、国家資本主義を、破壊された経済の再建、あるいは脱出する跳躍のために、一時的な連続のステップとして受け入れたのではない。それは戦略的に長期の政策選択である。第二に国家資本主義者たちは、市場を個人にとっての機会のエンジン(動力源)としてよりは、主として国民的利益あるいは少なくとも支配エリートの利益に奉仕する道具とみている。国家資本主義者は、市場を社会の内側でも国際的段階においても、彼ら自身の政治的そして経済的影響力を拡張するために使う。
    国家資本主義を実践する人は、しばしば厳しい個人的経験から統制経済が最終的に失敗を運命付けられていることを知っている。なぜなら政府は、不足する資源を決して直接供給できないし、市場ができるようには財貨やサービスに効率的かつ知的に価値を付加できないからである。(そこで彼らは)市場を制限するのではなく、彼ら自身の目的のために市場を制御することを試みるのである。
 国家資本主義を管理するために、政治的指導者たちはさまざまな仲介機関を使っている。国家はいつも日々コントロールするわけではない。しかしこれらの道具にかなりの直接の影響力をもっている。これらの中で最も重要なのは、国有の石油(そしてガス)会社(NOCs)、その他の国有企業(SOEs)、私的に所有された国内トップ企業そして政府系ファンド(SWFs)だ。これらの組織の幾つかが存在することは、自動的に国を国家資本主義にするするものではない。ノルウェイ政府は、政府系ファンドを運営し、世界最大のオフショア(海外で運営される)石油ガス会社SatoiHydroの60%以上を所有している(訳注 しかしノルウェイ政府は国家資本主義ではない)。大事なのはどのような道具をもつかではなく、いかに道具が使われているかだ。(他方で)これらの4つの組織全てを持つ国は、国家資本主義となる傾向がある。

(中略)
 西欧の金融危機と地球規模の景気後退により、自由市場資本主義のチャンピオンたちはますます懐疑的な国際的聴衆に直面している。国家資本主義の中国のような国々(そしてインドやエジプトのように国際貿易が比較的小さな割合である国々)は、アメリカやヨーロッパの自由市場パワー(諸国家)に比べて(景気)後退からはるかに少ない打撃を受けた。その他の発展途上国は過去数年以上にわたり合衆国の政治的経済的文化的覇権に切り込んだ。そしてワシントンは、少なくとも相対的にその偉大なパワーの優位が縮むのを見た。もしすべてのこれらの生じつつあるパワーズ(諸国家)が自由市場資本主義を受け入れるなら、アメリカはずっと大きなパイの幾分小さなピースを依然保有し続けるだろう。合衆国そして自由市場民主主義にとっての危険は、国家資本主義が生み出す歪みが、間もなく食べるパイが十分に膨張することを保証しないことにある。それは生活水準を脅かすだけでなく、ついには世界の自由市場民主主義の安全を脅かすであろう。
(中略) 
 自由市場資本主義には一つ以上のモデルが存在し、アメリカ人と欧州人は自身のものの相対的な良さをしばしば議論している。US/Anglo-Saxonのモデルは、政府にあまりに多くのパワーを与えるシステムへの不信から成長した。ヨーロッパの社会民主モデルは、個人の権利の保護者としての国家により信頼を置いている。比較的に言えば、それは労働者への保護protections
について予防safeguardsに好意的である。これは長い時間の中で成長率を低める可能性があるが、事態が悪化した時により広汎な社会の安全網を提供する。二つのモデルは別物であるが、核になる仮定を共有している。それは成長が強く、持続可能であるためには、国家ではなく民間部門が経済拡張の主たる動力源(エンジン)でなければならないということである。自由市場資本主義と国家資本主義の間には根本的な違いもある。前者(自由市場資本主義)は、政府は成長を助けることが出来ると認識している、他方、後者(国家資本主義)は政府が管理する成長は政府にさらに権力を与えることが出来ると主張する。この本で概述したすべての理由から、国家資本主義は、地球規模で自由市場システムの生産的潜在力を制限している。それが、自由市場資本主義を信ずる者が自ら説いたことの実践を続けることがなぜ重要であるかの理由である。
(以下略)



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