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以前から気になっていた。

SNSネット社会になって情報発信がカンタンになり、すぐつながる利便性に反し、負の側面があることだ。

誰もが発信できるし誰もがすぐに相手への攻撃ができるものだから、気に食わない発言や気に入らない存在を見つけると、すぐに攻撃し、話題のタネにし、注目を浴びる。そうやって目立って行く。

目立ちたがり屋で人の批判を何とも思わない人は、いまの時代を喜ばしいと思うだろう。しかしそうではない繊細な人はちょっとしたことに傷つく。

特に名も知れない人からのいわれもない攻撃にさらされることはとてつもない痛みだ。無意識のうちに防御的になり攻撃的になることもある。

ある意味ロシアのウクライナ侵攻からはじまる展開は誰が予想できただろうか。

一国への侵攻からヨーロッパ、アメリカ、世界を巻き込む論争は危険な水域へと入り込もうとしている。

人口4千万の小国ウクライナが世界を相手にアピールし続けられるのは、俳優兼英雄ゼレンスキー大統領のなせるわざだ。

デジタル世代のスマホを駆使するそのアピール度合いは、ロシアの兵力をもってしてもまったく歯が立たない状況だ。

むしろその被害状況をリアルタイムに提供し、映像として取り入れ、加工し、提供できるのはプロデューサ―でもあるからだ。

しかしちょっと待ってほしい。

ゼレンスキー大統領の現地リポート(自撮り)、国会での演説を観て行くと、あまりにでき過ぎたシナリオのように感じる。

・現地で自撮り(兵士と2ショット写真)

・国会演説(イギリス、カナダ、アメリカ、ドイツ)と演説内容を相手国のツボ狙いのセールストーク

・各国の武器・経済支援・ロシアへの圧力を取り付ける

・ますます戦いは激しくなる。

彼は、平和を望むと言いつつ一方で、わざわざ相手の神経を逆なでするようなデリカシーの無さがあると感じる。

ウクライナ内の紛争、7割欧米派、3割ロシア派。紛争を収める協定ミンスク合意をスルー。

ロシア近郊で軍事演習、NATO加盟入りを熱烈にオファー。

飛行禁止区域を設定せよ

西側諸国は最大限応援している。それに加えてさらに強い要求をしているのは、和平への道すじ(協力)ではなく、武器供与、経済支援なのだから。

だから私たちはいま一歩引いて全体を俯瞰しなければならない。

善悪・白黒をはっきり付けてしまってもいいのだろうかと。

冷静さを失うと、一方的に肩入れして思わぬ事態を招くのだから。


私の父は外では善人、内では悪人のような人でした。

ひとたびキレるとヒステリーを発したように別人に変身するのです。

ふだんはクラシックを聴く温厚な紳士、文化をこよなく愛し、オシャレ好き。社交的で人当たりもよい。

しかしそれは人からの評価を異様に気にする性格からきていたのです。

だから、ほんのちょっとでもプライドが傷つけられると、延々と恨み節を言い始めます。

それこそまるでプーチンのように。

子どもながらどんなに訴えてもわかってもらえなかった父の姿に何度も絶望を感じました。

なんでこんなにわかってくれないのか。なんでこんなに否定するような言葉ばかり投げかけるのか、と。

ある日のこと、自分の人生を変えるセミナーというものに参加しました。

友人の誘いからです。

そのセミナーでは自分のものの観方がいかに偏っているか、自分の人生がいかに幼き頃からの体験に基づくか、追体験することで親との和解(トラウマの完了)するというものでした。

ほとんどの参加者は両親との和解のワークを通じて、実際の親とも和解しました。アシスタントとしてお手伝いもしていた私は、参加者の方々が次々と和解していく様子を目の当たりにし、遂には自分の父とも――と淡い期待をしました。

両親に自分の想いを吐露し、嫌いだった過去、いまでは心から尊敬していることを伝え、セミナーの説明会にきてもらいました。

父はいまの仕事ぶり(退職後のライフワーク)を滔々と述べ、にこやかに団らんしていました。

父との和解をしたかった私はそのセミナーに参加してほしい旨を述べました。

すると私の胸からこみ上げてくるものがあり、父に参加してほしい(わかってほしい)と訴えていると、涙がこぼれました。

すると父は鬼の形相に変わり、「なんで男が泣くんか! 恥ずかしい」と言い出し、怒り出しました。

体裁を人一倍気にする父は、大の大人の私が泣くのに耐えられなかったのでしょう。

しかし当時の私は最後の砦を失った気がして、茫然自失の状態になりました。

まるで飛行機が翼を失ってダッチロール現象(墜落への序章)に陥ったかのようでした。

説明会が終わり、控室で待つよう父にお願いした私は、同じセミナーの仲間や、講師の先生と終わった後の話をしました。

「すごい偉いお父さんじゃない」

みな、口々にほめたたえました。紳士然として悪口一つ言わない父を観て、みな感化されたのです。

しかし私は父の別の顔を知っていました。表ではいい顔をし、裏では悪口を言う、陰ひなたのある性格をです。

案の定帰り道で父はセミナー仲間の悪口を次々と口にしていました。

「なんだねあの人たちは。どうせ大した職にはついていないんだろう。ああいうのに参加するというのはね、どこか自分に足りないものがあるからなんだよ。

ひろが参加するのはいい。でも僕はいい。あまり深入りしないほうがいい」

私は予想していたコメント通りだったからやっぱりなという諦め感にさいなまれました。

やっぱりわかってくれないんだ。やっぱりムリなんだ。

ふつうは涙の和解となるシーンのはず。それなのに私の場合は真逆に作用し、泣けば泣くほど目が怒っていった父。

まるでいまのプーチンみたいな状態です。

しかし、

それからいまの妻との結婚を10年目にして決め、父へ認めてもらうとき、いままでの私とはまったく違うアプローチができていました。

10年反対していた父がすぐに了解し、あの怒り狂っていた父のヒステリーを秒でしずめるわざを手にしたのです。

もしもゼレンスキーがプレゼン力だけでなく、相手の心情、痛み、懐にまで入り込み、向こう側からこちら側を眺めれば、こんなにも戦争は長引かないと思います。

あの父、そして数々のクライアントの敵が大人しく、やさしく、別人のように変わって行ったのだから。

いまの争いは、人間の中に潜む二面性が表面化したもの。善人と悪人の双方を統合できていないからだと感じています。

自分のなかでの平穏さ、平和の芽がどんどんと伸びて行ったとき、世界はさらにもう一段上の段階に上がって行けます。

誰もが平和を望んでいます。ゼレンスキーだって酒飲み友だちでいたいと思っています。プーチンだって慕ってくれ真摯に接してくれたら大事にしたいと思っています。争いは相互の無理解、不信、理解力、想像力不足からきているのですから。

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