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中村天風とエイブラハム

同じこと、言ってる。読んでいて、そう思った。

常に、心を穏やかに保ち、いい気分を感じる事。

自分の良い思考に集中する事。

すべての人に価値がある事。

1.心身統一法と宇宙の法則と内観療法

中村天風さんは、1919年(大正8年)心身統一法の講演活動を開始(以下、天風哲学とする)。

エイブラハムの教え「宇宙の法則」は、1986年(昭和61年)にエスターさんを通して伝えられた。ちなみにエイブラハムは個人ではなく、愛に満ちた複数の存在を指すグループ名みたいなもの。

国も、時代も異なるけれど、メッセージは共通している。それがおもしろい。もちろん、エイブラハムのメッセージをチャネリングで伝えるエスターさんが、どこかで天風哲学を学んでいた可能性もあるかもしれないけれど、内観療法にも共通の教えがある。

それは、どんな状態でも、幸せを感じて生きる事。

地球上のさまざまな宗教にも共通する教えがあるはずだ。宗教については、詳しくないから分からないけれど(ごめんなさい)。

2.中村天風の教え

天風哲学では、積極的な心と、心、善、美(心を清く、尊く、強く、正しく)を大事にする。人間として完全な活き方をする為に、これを正しく理解し、正しく応用すると、命に限りない強さと喜びと安心と平和が与えられ、人生をもっと尊く活きられる。

当時、死病といわれた病気(粟粒結核)を、心の持ち方を変えて治した経験が、天風さんの言葉に凄みを与えている。生命の価値、命の使い方、ただ生きるな。今日、生きている幸せに気づけ。グズグズと不平不満を言うよりも、今ある幸せに感謝して、喜べ!喝!みたいな。

「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」

何が起きても、心は常に乱されない。
幸福の方面から人生を考える。

“It had better to pretend as very happy when you are blue.”
“お前が、がっかりした時に、ああ、俺は、とても幸福だなあ、と、嘘でもいいから、そうするがよい(英国の諺)”

こうして心を切り替える。自己暗示でもある。

環境を呪い、運命を悲しむのは止めて、生きている事を、ただありがたく感謝する。生きている事が憂いと思う人は、早く死ねるようにしてくれる。心が切り替わると、死ぬはずの体が治り、生き続ける。生きているという事は、生きろという事なのだ。たとえ身に病があっても、心まで病ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。呼吸をして、心臓が動き続けて、生きているのは、大きな愛と呼ばれたり、神とか宇宙などと表現される存在に常に守られ、包まれている。

人の強さと、真善美のみ考える(真は心とも表記される)。
とは、偽りのない誠。自分に嘘をつかない。
とは、偏頗なき愛をもって、ものに接する行為と言葉。
 ※ちなみに、エイブラハムの善は、人々が欲しいものであり、
  善悪は、欲しいか欲しくないかを区別する方法にすぎない。
とは、調和。

【三芴三行】
怒らず、怖れず、悲まず
正直、親切、愉快に

知っているのと、できるのは違う。実践が伴わなければ知らないのと同じ。心のあり方が、行動を決める。己れを守れるのは、己れだ。

創造と生成(Werden)。to be(在る)ではなく、to grow(生成)。人生は、ただ生きるのではなく、生成を心がけるべきというのが天風哲学。いかに生きるかという鼓舞。報酬は目的ではない。幸せになる為に、お金を得る為に、この教えがあるのではない。人間としての当然の生き方であり、終わりはない。常に続ける。何があろうとも、心の平安を確保し、強さを持つ心を持つ。

3.エイブラハムの教え

エイブラハムといえば、引き寄せの法則。この法則を知らなくても、信じていなくても、全ての人が、自分が関心を向けたものを、常に引き寄せている。

引き寄せの法則は、関心を向ける方法を教えている。嫌な事を考えるのではなく、望む事を考える。感情はナビゲーションシステムであり、良い気分なら、自分とズレていない事を教えてくれる。そして、叶った時に感じる良い気分を先に味わう。行動よりも、感情が先。良い気分を感じる思考によって道を作り、行動で遊ぶ。

どんな事があっても心を穏やかに保つ。宇宙の法則に従って生きる事は、結果を期待するのではなく、何が起きても心を穏やかに保つ事が目的。

4.自分本位と自己中心的、そして自己責任

「自己の人生に生ずる全ての出来事は、全て自己に責任があると自覚して処理しない限り、完全な人生は作為されない。積極という事は余程注意を慎重にしないと得てして制約のない楽天主義になる(天風哲学)」

天風哲学では、自分本位で我儘な心のあり方で生きると、感情の示す道筋は、逸れてしまうとされる。嫌な事から逃れて、自分勝手な理屈をつけて、平安を保とうとする心は、真理の生き方ではないとの事。

エイブラハムは「自分達の教えは自己中心的だとよく非難されるし、確かにそうだ」と前置きしつつ、自己中心的というのは「自分自身を意識する」ことであり、「自分の内なる存在と結びついた生き方をしなければ、他人に何かを与える事もできない」と話す。そして、起きた出来事はすべて自分の思考によるもの、自己責任であるとする事で、自己中心的である責任は自分に返ってくるし、だからこそ、自分に集中するのだと話す。

自分に良い事だけ起こるのではない。良くも悪くも自分が意識を向けた事が起きる、という引き寄せの法則は、厳しくもある。他者の動向は関係ないし、人は人。自分がどうしたいか、そして、どうするのか。できる事は自分に集中する事だけ。

天風哲学とエイブラハムの教えは共通する。違う点は、エイブラハムは正邪の視点で話さないという事かもしれない。天風哲学も、エイブラハムも、真理は一緒だ。

自分の人生は、自己責任であり、自分で良くする。

その力をすべての人が持っているのだ。

5.天風哲学と宇宙法則の言葉

厳密には違うけれど、大まかにまとめてみる。

中村天風≒エイブラハム
真理≒宇宙の法則
積極的な心≒意図的な創造の方法
縁≒引き寄せの法則
進歩と生成≒成長と拡大・創造
寛容≒許容し可能にする術
調和≒調和
宇宙霊≒ソース(源)エネルギー・内なる存在

ちなみに、天風哲学では、
宇宙エネルギー=宇宙霊=気とし、気=霊=心。
これを人々はいわゆる神や仏などと呼んでいるとの事。

「人間の健康も、運命も、心一つの置きどころ(天風哲学)」

欲しいものに関心を向ける。健康でも、運命でも。

6.誰かと自分の為に、できること

「他人に与える事ができる最大の贈り物は、相手の成功を期待する事だ(エイブラハム)」

欠点に目を向けるのではなく、できている事に目を向ける。

「自分が望む生き方をし、人もそれぞれ望む生き方をする事を認める為に、この世界にいる(エイブラハム)」

人を変える事はできないし、人に代わって何かを引き寄せる事もできない。

できる事は、人が何をしようとも、自分自身はバランスをとって自分の喜びを感じる事。人がそれぞれどんな生き方をしても、許容できるようになれば、自分がネガティブな感情に振り回されることもない。

瞑想は、天風哲学とエイブラハムの共通の技。自分を幸せにしない雑念を鎮め、自分の状態をフラットに戻す行為。自分の内側とつながり、自分の望みに焦点を当てる。

そして、自分が先に幸せになる。いつも幸せでいる。その為に、幸せになるコツを、いくつも持つ。音楽を聴いたり、動物と触れ合ったり、美味しいものを食べる等、自分で自分を幸せにする。

「すべてを「一つ」と考える時、理屈なしに、人間の心の中の一番尊い愛の情というものが発露する(天風哲学)」

7.いい気分を選ぶ

天風哲学が大切にしている事は、信念、人としての生き方、真善美、真人としての真の気高さ、自己統制、思いやり、本心良心に従って行動、感謝と歓喜、人間として生まれたこの生を生き切るという覚悟、どのように生きるか。第一義的人生(心身統一の生活)を価値の高い真人生とし、油断なく努力し、世の為、人々の幸福の為に、統一道を実践する。

その力強さに圧倒される。自分の消極さを指摘されているように感じるからかもしれない。消極を選び続ける事は、生を活かしていないと鼓舞されるのは、強烈でもある。自分の為だけでなく、世のため人のために何をするか。命をどう活用するか。それを問われているから、ちょいと苦しいのかもしれない。

いま、何もできていないから。

でも、何もできていない自分を責める事は、どこかで他の誰かを責める事になる。何もできていない自分さえ、寛容に許容する。天風さんには、甘えるな!と喝を入れられてしまうかもしれないけれど。

強い自分を保てない時もあるから。
こういう時があるからこそ、見える世界は広がる。

すべてひとつ、私なのだとしたら
どんな私も許容したい。

そして、成りたい自分に思考を向ける。

天風哲学とエイブラハム。
突き詰めれば、どちらも同じ。

いかに人間としての命を生きるか。
より良く生きる為の導き。

知っていても、知らなくても。信じても、信じなくても。
全ての人が使っている法則。辿り着く真理はひとつだ。きっと。

中村天風でも、エイブラハムでも、その他でも。
好きなものを、読んでみて下さい。

もちろん、なんか嫌だな、不快だなと思ったら、
その感覚は当たってる。今は読む時期ではないのかも。

なんか好き、なんかいい。その感覚に従う。

おわり

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