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堅破山
両親と堅破山(たつわれさん)に行く。
目的は、太刀割石(たちわりいし)を見るため。
堅破山や太刀割石をネットで検索すると、鬼滅の刃の聖地だとか、都市伝説の動画で紹介されていて、なんだかとんでもない場所のように思えるけれど、怪しい場所ではなく、森林浴のできるハイキングコースがある場所です。
黒前神社の看板のある交差点を曲がり、進む。
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看板を曲がった後は、ほぼ一本道なので、迷うことはないけれど、進めば進むほど、道は細くなる。堅破山の入口に近づくと、車が一台通るだけで精一杯。大きい車で行くと大変かも。
途中、鬼越地区に行くと行き止まりという案内看板がある。鬼越っていう地名が、鬼滅の刃っぽいね。
駐車場に到着。
約20台駐車できる駐車場には、誰もいない。
あんまり人気ないのかな。
堅破山のトイレは、ここが最後。水道が凍結した時の為に、バケツに水が溜めてある。水が出るかどうか、どきどきしたけれど、蛇口を回したら、水が流れてほっとする。
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バケツの水を使ったら、トイレ脇の川で水をくんで下さいと書かれていた。助け合いですね。
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朝9時頃、登山開始。
とても良い天気で、気持ちがいい。
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ハイキングコースには、たくさんの見どころがあるので、紹介します。
(1)不動石(ふどういし)
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盤上に不動明王の石像が祀られ、その足元をきれいな清水が流れ落ちています。この石像は、明治になってから祀られたもので、石そのものはもともと黒前神社の祭神が浜降りの時、神輿の休み場所であったと言われています。
(2)烏帽子石(えぼしいし)
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八幡太郎義家が堅破山の神霊に参拝した時、かぶっていた烏帽子に似ていたことから名がつきました。
(3)手形石(てがたいし)
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石いっぱいに右手の5本の指の跡が深くえぐられているように見えます。八幡太郎源義家が石を押した時についた手形と言われています。
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(4)畳石(たたみいし)
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畳を積み重ねたように大きな石が4段に裂けるように割れています。八幡太郎義家が腰を下ろして休んだので「腰かけ畳石」と呼ばれたことに由来しています。
写真を上手く撮れなかったけれど、別の場所から見ると、畳石の上で座禅が組めそうな場所だった。ただ、畳石の上に行くには、かなり身軽でないと移動が大変そうです。天狗や忍者なら、とんとんとーんと跳びながら行けそう。とはいえ、登ってはいけない場所だと思うので、ご注意下さい。
(5)明神鳥居
雷杉や、あかめやき窯、弁天池をすぎたら、
明神鳥居に到着。
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明神鳥居前にある雷神降臨杉を見上げていたら、
パッと体を広げて、別の木に移動する生命体に遭遇。
モモンガだ…!!
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野生のモモンガ。本当に体を広げて、飛ぶんだ。
忍術みたいだ。可愛かった。
別の木に飛び移った後は、素早く木を登ったかと思うと、私たちの様子を伺って、じっと動かずにこちらを見ていた。驚かせてごめんね。
(6)仁王門
明神鳥居の先にある仁王門。門前には右大臣と左大臣。後方には、厳重に囲われた仁王様がいる。薄暗い中にいる仁王様を見るのが、なんとなく怖くて、あまり覗かずに通り過ぎる。
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門前には右大臣・左大臣の木像が配置されており、門の呼び名である仁王様は、後方にある畳半畳ほどの板張りの囲いの中に収蔵され僅かに格子窓を透かして見ることができます。普通の仁王様は総じて朱色ですが、この仁王様は眼のふちだけ僅かに赤みを残して、あとは御影石の地肌のままの姿でたっています。以前は、仏教像である仁王様が堂々と配置されていましたが、慶応4年(1868年)に発布された「神仏分離令」によって黒前神社として継承され、神社形態の随身門として右大臣・左大臣に置き換えられました。本来は処分されるべき石像の仁王様を隠しながらも大切に守ってきた背景には、仏教霊場として佐竹時代に広く恩恵を受けた地元の強い信仰が伺えます。現在に残す神仏混淆の珍しい門となりました。
なるほど。それで、あんなに厳重に囲われていたのか。仁王様を処分せずに、大切に守ってきたと知ると、仁王門がまた違って見える。どんな仁王様だったのか、しっかり見なかったことを少し悔やむ。
仁王門をくぐると、石の階段が続く。
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石段を登り、少し進むと黒前神社の釈迦堂に到着。
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釈迦堂の前には、甲石と舟石がある。
(7)甲石(かぶといし)
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元禄(1688年)以前は「堅破和光石」と呼ばれ、薬師如来が隠されている石として信仰され、正面に石をくりぬいた祠があり、その中に薬師如来の12神将像が祀られています。水戸光圀翁が仏教色の強い「堅破和光石」を「甲石」に改名したと言われています。
ちなみに、甲石に祀られていた12神将像の一部が盗難にあって失なわれた為、現存する6体は黒坂の集落で保管されているそうです。
(8)舟石(ふないし)
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甲石の前にあり、土に半分埋まっているような舟型の石でその形が珍しいとされています。
釈迦堂に参拝後、左側に階段があるのを見つける。黒前神社の本殿へ続く階段だ。その先に、展望台と胎内石があるらしい。
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石の階段を登り、黒前神社の本殿へ。
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石段の途中で、東京スカイツリーと同じ高さであることを知らせる看板あり。
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黒前神社の本殿にも参拝し、山頂展望台と胎内石を目指す。
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(9)山頂展望台(標高658m)
展望台からは、神峰山や高鈴山が見える。
天気が良ければ、富士山も見えるらしい。
360度、どこを見ても山ばかりだけど、気持ち良い。海も好きだけど、山も好きだ。山道を歩きながら、自分が案外山好きであることに気づく。
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(10)胎内石(たいないいし)
山頂展望台から、さらに山を進む。山頂展望台が一番高い場所だから、山を降ることになる。なんだか山深いし、ロープをつたって大きな石を降りたりして、ちょっと尻込みする。それでも、行く。
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黒坂命が陸奥(蝦夷)遠征の帰路、山の麓で疲れていた体を休めていた時、一人の童子が馬を引いて通りかかり、あまりに疲労した黒坂命を見て、その馬の背に乗せ、急坂の山肌を一気に駆け上がり、この岩窟に休ませたことから「胎内」という名がついたと言われています。
なんで休ませたことから「胎内」につながるのか分からないけれど、そうなんだ。
胎内石を見学していると、上の山頂展望台の方から声が聞こえる。他にもハイキングに来た人達がいるみたいだ。人の声にほっとしつつ、人が少ない内に見学できてよかったとちょっとだけ優越感を感じる。
胎内石を後にして、難所に感じた石のルートを避けて、黒前神社の本殿に戻る。途中で、他の登山客とすれ違い、挨拶を交わす。
階段を降りて、釈迦堂に戻り、さっきの案内板を見る。
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左に黒前神社本殿。
そして、中央にそれよりも高い展望台。
右下に降ると胎内石。
忠実に位置関係を再現してる…!
実際に行ってみて、分かる。
この案内板の忠実さ。凄い。拍手!
いよいよ、太刀割石へ向かう。
仁王門に降りる石段を降りずに、太刀割石方面へ。
(11)太刀割石(たちわりいし)
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寛治元年(1087年)、八幡太郎源義家が、奥州征伐の折、戦勝祈願のために堅破山に立ち寄り、巨石の前で陣を引いて野宿をしていると、夢の中に「黒坂命」が現れ大太刀を差し出しました。目覚めた義家が自分の前におかれた大太刀を一振りすると、巨石が真っ二つに割れたといわれています。元禄3年(1690年)に隠居した水戸光圀翁が元禄6年(1693年)にこの山に登った折、「最も奇なり」と感銘し石の名をつけたと言われています。以前は「磐座(いわくら)」と言って、神の宿る石として信仰され、石の回りにしめ縄を張りめぐらし、みだりに石の上に上ることはできませんでした。
なんか盛りだくさんなんだけど。
【疑問1】
そもそも何度も出てくる八幡太郎源義家さんは、何者?
八幡太郎=源義家。
平安時代後期に活躍し、後に鎌倉幕府を開いた源頼朝や室町幕府を開いた足利尊氏などの祖先に当たる人らしい。
【疑問2】
黒坂命さんは、何者?
【黒坂命 くろさかのみこと】
「常陸国風土記(ひたちのくにふどき)」にみえる武人。神八井耳命(かんやいみみのみこと)を祖とする大氏の一族。茨城郡の語源伝承によれば、茨蕀をもって土着先住民の国巣ほろぼしたという。信太郡名の由来を記す同書逸文では、陸奥の蝦夷を討ったとつたえる。
堅破山は、江戸期まで巨石・山岳信仰の山であった。山頂に黒坂命(くろさかのみこと)を祭神とする黒前(くろさき)神社がある。
常陸国風土記によると、陸奥で蝦夷を討った黒坂命が帰る途中に多珂郡の角枯山で死んだので、角枯山を黒前山と改めたとある。黒前山は現在の堅破山に比定する。
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よく見ずに写真撮ってたけど、ここに書いてあるじゃないか(爆)。
黒坂命は、武将で、堅破山で亡くなって、黒前神社に祀られたということか。
亡くなった事と、黒坂命が休んだ場所を胎内石と呼ぶようになった所以も、何か関係あるのかな?
仏像の内部を胎内と呼ぶから、黒前神社に祀られている黒坂命が休んだ場所自体を、仏像と同じく神聖な存在・場所として「胎内石」と名付けたのかな。
ちなみに、黒坂命の遺骸が葬られた場所であるという伝承がある大塚古墳1号は、稲敷郡美浦村にあるという。結構遠いね。
それにしても。
「磐座」として神の宿る石として信仰されていた石を、「太刀割石」と名づける事が許された水戸光圀翁、凄いね。隠居しても、きっと力があったんだね。凄いね。
八幡太郎源義家の伝説は伝わっていたんだろうし、太刀割石と呼ばれる前は、なんて呼ばれていたんだろうか。
その八幡太郎源義家に大太刀を授けたのが、武人であり、堅破山で命を落とし、黒前神社に祀られた黒坂命なのが、またおもしろい。伝説をつなげてくるね。
黒坂命が授けた八幡太郎源義家の大太刀が残っていたら、さらに神秘的でかっこいいのになあ。
大太刀で岩を割ったという伝承が、鬼滅の刃の聖地説に繋がるんだね。きっと。
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太刀割石は、水戸光圀翁が「最も奇なり」と言った通り、本当に不思議な石です。大きい石が、パッカリと割れているのは壮観だし、残り半分の石が、今も倒れずに立っているのも不思議でしょうがない。何かで支えてるのかなと訝しんでしまうけれど、簡単に支えられるような大きさでもない。東日本大地震ほどの地震に耐えたのも凄い。ほんと不思議だ。
倒れている石と、立っている石。
くっつけたら、ひとつになるのかな?
ひとつの石を、大太刀で割ったという伝承はあるけれど、果たして同じ石なのか。謎はあるけれど、確かめなくてもいいや。
だって、この石を見るだけで、なんか浪漫があるじゃないか。カッコいいじゃないか。
山の中に、突如現れる巨石。
それだけで、信仰したくなる古代の人たちの気持ち、私は分かる気がする。自然の偉大さへの畏怖と尊敬。
今は、ハイキングコースとして整備されているから辿り着けるけれど、道なき道を歩み、堅破山を進んだ黒坂命や八幡太郎源義家、水戸光圀翁、そして古代の人達を思うと、山の中で、太刀割石と出逢ったら、そりゃ、崇めちゃうよね。納得の存在感です。壮観です。
ずっと見てみたかった太刀割石。
やっと見に行けて、嬉しかった!
太刀割石から、さらに神楽石や奈々久良の滝へ進むルートもあるけれど、今回は太刀割石を見ることが目的だったので、明神鳥居へ戻るルートを選択する。
堅破山は、ハイキングコースとして整備されているので、落ち葉などは片付けられている。日々整備して下さっている方、ありがとうございます。
子ども達や高齢の方もハイキングを楽しんでいたし、装備はそんなに必要ではなく、身軽にハイキングを楽しめる。それでも、枝が伸びていたり、蜘蛛の巣があったり、枯れ木が倒木しているなど、山道であることに変わりはない。暑い季節になっても、長袖で行く事をおすすめします。ストック(トレッキングポール)もあれば、なお良し。
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ハイキングでは、休憩も楽しみのひとつ。おにぎりや、バナナ、お菓子を持っていって、食べる。その荷物の中に、私が小さい頃に使っていた、ピンク色のおしぼりケースが入っていた。濡れたおしぼりが入れてある。なんだか、懐かしくてほっこりした気持ちになった。
今は、携帯用の除菌シートがあるし、濡れたおしぼりを持ち歩く機会はなくなった。実際、この日も、私が持参した除菌シートを使ったので、おしぼりの出番を奪ってしまった。除菌シートは、布のおしぼりより、確実に除菌効果はあるけれど、せっかく両親が用意してくれていたのにな。ちょっと申し訳ないような、センチメンタルな気分になった。
今後、おしぼりケースを見たら、過去の懐かしい記憶だけでなく、2023年に両親と堅破山を登った記憶も思い出すんだろうな。それは嬉しいな。
休憩を終え、下山すると、駐車場は、ほぼ満車だった。結構、人が来るんだね。人気ないんじゃないかと疑ってごめんね。
堅破山の帰り道、たかはら自然塾でお昼ごはん。
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天ぷらそばを食べる。いなり寿司が付いてきた。
地域の人も利用している様子だった。いいね!
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茨城百景でもある堅破山。
これからの季節、おすすめです!
おわり
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