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我慢の果てに見つけた自由~「書く」という自己肯定、自己主張~

子どもの頃から我慢することが得意だったと思う。むしろ我慢しなきゃ今まで生きては来られなかった。
振り返ってみるとモラハラ系の父はすぐに怒るというかムキになるため、父を怒らせないように、我慢することが多かった。父は母がちょっとミスしたりするとすぐに機嫌が悪くなったし、自分自身のミスも許せないらしく、短気でプライドが高くて、一緒にいると未だに疲れる。たった一度でも侮辱されるようなことがあれば、長年恨み続ける。子どもたちのことは自分の思い通りに躾けようとした。そのため叱られることが多く、子どもの頃は泣かされることも少なくなかった。私にとって父のいる家は安心できる居心地の良い場所ではなかった。

しかし当時は金銭的にそこそこ余裕のある家庭だったため、我慢さえして、父の思い通りの子を演じていれば、好きな物は買ってもらえたし、生活には困らないし、父に抗おうなんて考えたこともなかった。そもそも子どもの頃は自分が我慢を強いられているという状況にさえ、気付けていなかったかもしれない。父親や家庭というのはこんなものなんだろうと違和感さえ分からないまま、もしくは分かろうとしないまま、平穏に暮らしていた気もする。
我慢に気付いたのは妹が荒れ始めたからだと思う。「こんなボロ家にいつまで住まわせるんだ、早く新しい家を建てろ。」なんて急に妹がキレたことがあったことを私は覚えている。中三くらいから癇癪がひどくなった妹はそれまでの我慢を爆発させるかのように、荒れることが増えた。大人しかった妹が人格が変わったように発狂するものだから、「あぁ、実はうちって異常だったんだな。いろいろ我慢させられていたんだ。」とようやく気付けたようなものだ。

金銭的に余裕があったのは、とにかく浪費せずに最低限の生活を維持して暮らしていたためで、父も母もお金には厳しい性格だったから、気の合わない二人の唯一の共通の趣味が慎ましく暮らして貯金することだった。だから祖父の所有地にあった、かなり古い家で生活し、家にお金をかけることもなかった。
妹とそれから祖父がそろそろ持ち家を建てたらどうだと言い出したものだから、念願だった新築の家に住めるようになったのだが、私はというと、ボロ家にさえ愛着があったらしく、妹とは反対に引っ越したくないと泣いた記憶も残っている。古い家で水洗トイレもシャワーもなく、至る所に虫が出没し、快適とは言えない家だったけれど、自然に囲まれていて、ある意味孤立していて、自分にとっては嫌いではない家だった。
快適な新しい家で暮らせるようになったから、我慢が減ったかというとそうでもなかった。むしろ我慢することはどんどん増えていった。ローンも組まずにキャッシュで家を建てた父はますますお金に厳しくなった。新しい家に住めば妹の癇癪も落ち着くかと思いきや、ますますわがままになり、荒れる頻度も多くなった。

この頃から私は我慢というより、むしろ諦めが勝り、何も求めず期待しない方が楽、無気力状態で、ただなんとなく生きてさえいればいいかと、親たちから刷り込まれたなるべくお金をかけずに生活することを実践するため、大学も実家から通っていた。本当は学費をかけないために推薦で国立を狙っていたけれど、落ちてしまったから、仕方なく私立大学に行くことになった。私立大学に決定した時点で、私は自宅から通うことが決まったようなものだった。そもそも一人暮らしをしたいとか、自由なキャンパスライフを送りたいとか考えたこともなく、学費にお金がかかるなら通うくらい当然かとその珍しいケースをすんなり受け入れた。最初、一緒に通っていた子は脱落し、普通に一人暮らしを始めた。私だけ卒業するまで、実家から大学に通うことのみに専念した。遊びや学業より、通学時間往復6時間に全力を注いでいたかもしれない。今となれば努力ポイントがズレすぎているよなと通学に費やした時間がもったいなくも感じる。我慢して諦めて6時間もかけて通学していたことが馬鹿馬鹿しくも思える。それをおかしいとも言わず、当たり前のことのように、一緒に努力した親たちもまたやっぱり変わっていると思う。

妹はというと、私の諦め我慢生活とは正反対に、好き勝手にやりたいことをやるようになっていた。現役高校生の頃からわざわざ予備校に通い、大学に受かればあっさり一人暮らしを始めた。もちろん全部親からのお金で…。数年後、本格的に精神不調になり、一度は一人暮らしをやめて実家に帰ってきたものの、大学院に行くことが決まるとまた新たに一式家電を買い揃えてもらい、別の場所で一人暮らしを始めた。発達障害ということが分かり、精神状態が悪化すると、また実家に戻ってきた…。我慢をやめて自由を手に入れたはずの妹は結局、廃人になって家に戻ってきた。そして新たな我慢生活が始まった。妹にはやりたいことができない悔しさが残っており、こんな自分になったのは全部お姉ちゃんのせいだと私に当たるようになった。(私に対する暴力沙汰で緊急入院になったことが起因で…。)

私はモラハラ系の父にずっと我慢していたはずなのに、今度は父より妹に我慢をしなければならなくなった。皮肉なことに、妹が精神不調になったことで、父はモラハラを少しは我慢しなければならなくなり、妹の前では大人しくなった。だから父に我慢することは減ったかもしれないけれど、妹との同居生活は父と一緒にいる時より、精神的に疲れる。それは私だけでなく、もちろん母も。
私より母の方がずっと我慢し続けているかもしれない。でも父を選んだのは私ではなく、母だし、自業自得とも言える。妹を産んだのも母だし、娘の介護をするのは仕方のないことかもしれない。しかしほぼ家から出られず、軟禁状態で妹に監視される生活を送っている母が不憫だし、助けたいとも思う。私と同じで長らく我慢生活を強いられていると、どうせもう先の長くない人生だからと諦めも強くもなるらしい。

私はずっと我慢して親の言いなりになって、逆らうこともせず、ひっそり生きてきたけど、妹に攻撃されるようになって、気持ちは少しずつ変わってきた。現状の生活に我慢すること、耐えることは身体に染み付いてしまっているから、急にはやめられないけれど、でもこんな我慢生活の中でも何か自由は見出せるのではないかと、自由に「書く」ことを覚えた。発達障害の妹のおかげで、社会に対する鬱憤も募っていたし、書いて発信することで、少し自分が我慢・忍耐生活から解き放たれ、自由になれる気がした。
書くことで自分が長年思っていたことを発散できるようになったし、想像力を働かせれば理想通りの憧れの人生を歩む主人公の物語を描いて心を満たすこともできるようにもなった。
そうやって書いたものを誰かに読んでもらえたり、誰かから認めてもらえたりすると自分を肯定できることにもつながった。たまに文章で収入が得られるとさらに自分に自信がつく。自分の人生なんてと諦め、我慢していたのに、「書く」という選択肢を選んだことで、私は今、少しずつ自由を取り戻し、自分らしい人生を歩めている気がする。

自分はまるで「赤毛のアン」そのものだったと最近よく思う。親はいるけれど、精神的に孤児の私は、空想にふけって物語を書いて満足している。我慢を知っていればこそ、自由に想像できる力が養われるのではないかと思う。我慢したことのない人は、想像する必要はないだろうし、リアルの生活で満たされてしまえば、何も思ったり考えたりする必要もないだろう。書く必要なんてないのだ。
我慢することが当たり前で、その延長で諦める人生を覚えた私が、これまでの自分の人生を否定しないためにも、無駄な努力や時間が無駄じゃなかったと肯定するためにも、私は自由に「書く」ことを続けていきたい。「書く」ことが専業になって、それで生活できるくらい収入が得られるようになれば、我慢も悪くなかったと、父のことも妹のこともすべてひっくるめて認められるようになるはずだし、そうなりたい。
そうなりたくて、才能なんてなさそうだけど、まだ諦めずに書き続けている。

横柄にふるまう暴君に見える父もまた、実家では我慢を強いられていたことを時々知らされる。末っ子の父は、何をするにも兄や姉に負け、結局おこぼれしかもらえなかったらしい。嫌な役を与えられることも少なくなかったらしい。だから自分がやっと得たものは死守しようとするのだろう。家柄上、忙しい親たちからの愛情も長男長女と比べたら少なく、愛情に飢えていた子ども時代だから、まっとうな愛情も知らないのだろう。父もまた我慢を強いられた家の犠牲者だった。
私は父のようにはなるまいとそれだけは決めている。父のようにだけはなりたくない。利他的に見せかけて利己的で、妻のことは毛嫌いし、子どもに対しては妙な重い愛情を注ぎ、酔っ払うと人格も変わる父…。
そんな父に育てられ、すっかり性格が歪んでしまった私だからこそ、物書きになれたよと報告してみたい。我慢を強いられる家で育っても、我慢の中でも自分なりの幸せは見つけられることを社会に示したい。社会はそんな家庭や親が悪い、どうして逃げないの?ということばかり言う。逃げて、我慢を断ち切るのは正しいかもしれない。けれど、それではこんな家庭やこんな父親のことを全否定することになってしまう。たしかに嫌いではあるけれど、全否定するのはちょっと違う気がする…。それぞれの家庭やそれぞれの親たちには、それぞれ事情や育ってきた環境がつきまとっているのだから…。それぞれの人生を全否定することなく、少しでも肯定したいなら、「書く」ことが最善策ではないかと思う。我慢せざるを得ない状況に居ても、書くことで、わずかな自由やささやかな幸せを感じられたら、そんな生活は悪くないんじゃないかと。

妹のように身の丈に合わない自由を求めたが故に、結局、さらに過酷な我慢生活に戻ってしまう人もいる。私は高望みはせず、架空の自由で満足できる質かもしれない。物書きになりたいってこと自体、高望みかもしれないけれど、結婚や就職よりは、まだ可能性はある気がしている。むしろこれしか自分には残っていない。我慢の果てにやっと見つけた、高望みかもしれない夢を追いかけながら、生きている。

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