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【デンマークでインタビュー#1】デンマークのヘルパーさんに聞く、ヘルパーとして心がけていることとは。

Trust=信じること

北欧留学でデンマークを選んだ理由。
高福祉の国にある特別な学校
エグモントホイスコーレンで
障害者と健常者が共に暮らし学ぶ学校を
体験したかったからである。

その日、学校のお手伝いを終えて
私はコペンハーゲンへ向かう予定だった。

たまたまその日に外出するというから
学校から1番近い大きな駅まで、
ついでに車で送って行くよと
言ってくれたのが
ヘルプ ティーチャー(以下:HT)の
アンドレアスだった。

彼はエグモントでHTとして、
障害のある生徒達の
授業のサポートをしている。

ヘルプティーチャーは
普段のアシスタントとは異なり、
毎朝その日に、教頭先生から
「今日(このクラス)は○○についてね。」と言われ、日々異なる生徒のサポートをしている。

彼は幼い頃、ダウン症の子と出会い、
『僕はこの子を
助けられるのかもしれない。』
と思ったのが障害を持つ人達と
関わるきっかけだったという。

私が思う彼の魅力は、
冷静に物事を予測・判断しつつ、
優しい笑顔とゆったりした声。
それでいて、
むちゃくちゃにはじけるお茶目さと、
フットワークの軽さである。

HTを1年終えた今だからこそ、
駅に向かう車の助手席で
彼にこんなことを聞いてみた。

《HTとして心がけている事は?》

「僕はいつも相手を信じること、
どんなこともやって見せることを
大事にしていた気がする。

同じ人間同士だから、
信頼関係を築くのはすごく難しい。
だからこそ 、
僕は相手の言ったことや
できることを信じてサポートする。
それから一緒に何かをやってみて、
きっと一人じゃ諦めていたことも
一緒ならみんなと同じや、
それに近いことができるという
自信に繋げることで相手との信頼関係を
築いていた思う。」という。


障害があるから、
それは(私/君)にはできないよ。
危険だ。
責任は誰が?
というようなことも、
ここでは本人や仲間達が、
その《自己決定》や《可能性》を信じて、
行動しようとする姿をよく見てきた。

それはきっと
毎日の中で、HTと学校が
たくさんの成功体験と
本人の自己決定を尊重し、
可能な限り実行する
不可能でもトライする姿を
生徒達に見せているからだろう。

ここに留学していて
「クレイジー」という言葉が
肯定的な意味を持っていることを知った。

ここでは
本来なら到底、無茶なことに
最初から諦めてしまうことがない。
なぜなら、
誰もそれを諦めていないのだ。

本人がそれを
口に出していないだけで、
どうせダメだと言われると思い込んで、
ダメだと言われた経験を元にして
諦めてしまったり
自分にはないものとしている。

実際のところ、
私がアシスタントしていた
車椅子の同期は
『僕にはもうできないことと諦めてた。』
と口にしてくれたことがある。

でも、それじゃあ
あなたの意志や情熱は誰にも見えない。

もしかしたらそれは、
できないかもしれない。
でも、それができなくても
信頼できる誰かとなら
それと同じかそれに近い経験が
できるかもしれない。
そんなことを思わせてくれる体験が
この学校には溢れている。


当時の校舎

例えば、
あなたが『山に登りたい』と言ったら、
馬鹿げていると笑う人がいるかもしれない。
でも、ここでは
ほとんどみんなが拍手をして
「君はクレイジーだよ」と言って支え、
実行に向けて進み出すのである。
ここではそれが
《問題》とか《課題》という言葉ではなく
《チャレンジ》とか《トライ》に変換されるのである。

言葉の問題?
でも、言葉って
すごい力を持っていないだろうか。

そして、隣で支えるアシスタントとして
HTと同じように私自身がいつも思うのは
その経験は、
あなたがいなければ
あなたがそれを「やりたい」と
言葉にして言ってくれていなかったら
私は経験できなかったことなのである。

それが障害を持つ人にとって
どれくらい大変なことで
どれぐらいの装備や人が必要で
どのくらい身体に負荷をかけるのか。
どれだけのリスクがあって、
その時どうするか。

自分1人で山を登るよりも
遥かにたくさんの知識や
経験を共有していることに気付かされて
私自身も学ぶことが多々ある。

できる、できないは
一旦ちょっとそこら辺に置いておいて
《今自分は何をしたいか》
《どんなふうに生きていたいか》
そんな根本的な事を
教えてもらった気がした。

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