私の芸術運動60岐路

生活のための仕事をして絵を描いています

その生活のための仕事とは決して将来を約束してくれるものではなくて、今を生きるための資金稼ぎでしかありません

そして私の描いている絵も今を生きるための絵です、しかし絵は私の社会生活を助けてくれるわけではありません

つまり生活のための仕事も、画業も、私のこの綱渡りの様な人生に安心を与えてくれるものは何一つないのです。

そう考えると悲観的ですが、心の充実感で言えば私の人生に大きく貢献してくれていると感じます

どんな人にもこのように大なり小なりでしょうがそういう面を持っていると思います

私1人の側面からのみ物事を見れば前述した通りの現実が見えるものです。

しかし人生は多面体ですから私1人の不安で全てが不安に包まれていくものじゃないです、私は今の自分に対していろんな面から見てこの生き方が良いと今選んで生きているということに他ならないからです。

社会人の立場からのみ見れば私はいかがなものかと思いますが、画家の立場から見ればグイグイと背中を押される思いです。笑

このバランスを取るのが難しい

しかしこのバランスを取ろうとする事が画家の私に足踏みをさせます

何が私にとって幸いとなるのか?今の私はその分岐点で綱渡りしているのです

私は画家に振り切って綱から落ちてしまっても良いのですが、反対に社会人としての責務によって綱から落ちてしまってはとても耐えられはしないのです

しかし結果としては綱を挟んでどっちに落ちても結果は同じになるという不思議を感じています

なぜなら浮世から離れても生きてゆけませんし、浮世のみに生きていてもいつか死んでゆくでしょう?

板子一枚下は地獄です。

結局は、社会に生きても、画家に生きても、社会に関わりを求めて生きてゆくことになってしまうという事です。

今はこの視点から私は人生を眺めていますが、生きていれば状況も変わってゆくでしょう、どのみちこのままなんて事はあり得ないのは自分が一番よく知っているのですから。

自分の芸術を私は放棄できませんので、答えは決まっているようなものですが今は綱渡りを楽しんでやろうと思います。、笑

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