私の芸術運動90人生の尺度

前回の記事がまさに私の心の中の現在の状況です。

それに世界に対しても同じ事を感じてます。

私の中で人生を、世界を測る尺度に矛盾が生じてきた様に感じます

どういうことかというと

私の一生について昔から何かとよく考えています、これは多分誰しもが考えたことがあると思います、その前提として人間はいつか死にます

しかし世界は永遠の様に続いていくように感じます、しかし世界もいつかは終わります、永遠なんてものはそんなにたくさんありません。

空に輝く星もいつかは消えますし、この星も例外じゃありません。

そんな有限中の有限な私達の一生

その中の一つが私です、そして絵を描いている。

私の心の中には無限に湧くエネルギーと芸術と無限に続く様な芸術運動が今も稼働しています、とても虚しく感じる時がありますが、限られた今を生きる熱は私にとって永遠であり、それを持って生きてゆく人生は無限に感じます

大きな視点で見ればちっぽけな私ですが、永遠性を秘めているという矛盾です

自分への過大評価といえばそれまでですが、過大評価とはなんですか?

仕事ができるとか、金持ちだとか、モテるだとか、そんなものはちっぽけなことだと私は感じます、仕事ができて金持ちでモテる人でもその生きた過程で他の人には何もいい影響を及ぼさなかった人もいる事でしょう

金のために人を殺そうと考える人すらいます

そんなものの中に永遠性があるわけもなく、本当の価値とは程遠いものに感じます。

私は誰もがこの永遠性を帯びたり、または感じた事があるはずです、没入感というか、時間感覚がグイーンと引き伸ばされる感覚。

自分の欲望に没入している人もいるでしょうが

それが終わった後の感覚でその真価がある程度わかるものです

欲望は底無しですから終わった後からまた心がすぐ乾いてゆきます、一過性のエネルギーです

しかし本当の正しい没入感は終わった後も心に残って心を満たし続けます

私は自分の描いた絵画達にずっと背中を押されたり、時には叱られることもあります、絵が消えても私の心から消える事はありません

絵も生きています

いつか見たあの景色もそうです

いつか会ったあの人もそうです

思い出して心にエネルギーをくれるものは私の中で永遠性と言えます。

私は画家として、私以外の人にも同じように心の中にそういう感情を抱き、心が満たされるような絵を描きたいと常々思っています。

私の本当の目的は、私の絵に触れた人が、心の中で自発的に満たされていく事です

私の絵という物質以上の価値が既に人の心の中にははあります

私の絵など何かのきっかけに過ぎないわけです。

だから私は売る努力よりも描き続けることに心血を注ぐのです。

それでも何故か人生の不思議で死ぬまで描き続けることが叶ったなら私は素晴らしいことだと思いますし、まさに画家だったと自分を褒めます!!

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