ただただ素晴らしいと思うばかりでした。

あれは2017年の事

渋谷のBunkamuraにて永遠のソールライター展が開催されていた

ニューヨークの伝説的な写真家と評されている

僕は画家だけど、その展覧会のポスターの写真に心を射抜かれていた

乗り物は得意ではないが迷う事なく上野から山手線に乗り込んだ

そして出会ったソールライターの素晴らしい写真の感動もさる事ながら、僕が一番に驚いた事は絵も描いていた、という事(無知ですみませんでした)

当時台頭していたウィレムデクーニングの流れの画家とも認識されていたらしい

そんな事はつゆ知らず、会場でライターの絵画の展示室に出会った瞬間に自分の中で何かが弾け飛んだのを感じた(パンッと音がしたよ)

絵をまだ始めたばかりだった当時の僕は歓喜に満ちていた、実際僕にはなんの関わりのないライターが絵を描いていた、その事実がなぜかとてつもなく嬉しいことに思えて仕方がなかった

この感動を誰かに伝えたい、そう思う反面、悔しくも思っていた、そう思える域に自分がいるとは到底まだ思えないが(いずれはなる)、そういう才能のような漠然としたものに嫉妬していたと言える、これだけ感動した自分は誰かを感動させる事が出来るのか?答えは否

感動すればするほど自分の中には不安が広がっていくのを感じた

その時僕がどんな顔をして帰路に着いたか今となっては確認のしようがないが、渋谷駅に向かって歩いている途中で

「夢も希望もない現代の若者にインタヴューをさせてもらっているのですがいかがでしょうか?」

と声をかけられた、平日の昼間っからトボトボと1人で歩き、感動と嫉妬の入り混じった顔をしていた僕は、夢も希望もない現代の若者に見えたのだろうか?笑

これがもう三年も前の話なのだと思うと不思議な感覚になる

そして2020.2.24の今日、僕はまた渋谷のBunkamuraに居た

あの時と同じ永遠のソールライター展がまた開催されているのだ

渋谷の街はあまり得意ではないが、ソールライターがいるのなら仕方ない

そして再び合間見えたソールライターに僕はまたもやこてんぱんにされてしまった

ノックアウト

KO

反撃の狼煙も上がることもなく完膚なきまでにである

僕にとどめを刺したのはまたもやあの展示である、そう、ライターの描いた絵画の展示である

今回足を踏み入れ、目に飛び込んできたあの色彩によって瞼が閉じれなくなる病気を患うかと思った、そして目が乾燥しどこからともなく水分が滲み出てきた、あれは乾燥した目を潤すための身体が下した判断だろうね、きっと!

そして会場出口の手前で、しっかりと図録を買うためにレジに並んでいる自分がいた🙉

2017年の頃と違っていたのは、清々しい気持ちにさせられたことである

近頃、絵のモチーフやそれに対しての熟考が煮え切らないか煮詰まるかのどちらかで素直に筆を持てないでいる自分がいた

考えて描けないのだ、これが本当の馬鹿と思う

考えて考えてやらない

ならばやってから考えたほうがいいのは百も承知である

ならば何をそんなに考えて描けなくなっているのだい?と聞くとてんで答えられない自分がいる、そういうのがまさに馬鹿なのだと言いたい

自分の感性くらい自分で守れ馬鹿者よ

グサッ

その反面ソールライターは日常の中に神秘を見出し、赴くままにシャッターを押している

「神秘的な事は身の回りにいくらでもある、わざわざ地球の裏側まで行かなくても」

展示室の壁に書かれたソールライターの言葉を読みながら思った、日常の中に感動を見出す心を持つべきだと、最近の僕は遠くを眺め過ぎて迷子になっていたんだろう

永遠のソールライター展2020

3月8日までの開催です、是非🙏


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