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死をリアルに感じても 第4回

自分らしさを保ち続けることができれば


最後の話になりますが、

第2代 国連事務総長のダグ・ハマーショルドの
著作「道しるべ」には、

「われわれは、わが亡きあとに、
せめて端正さだけでも、生き残ってくれるよう、
端正さを保ちつつ、死ぬべきであると、私は信じている。」

という言葉があります。

ここで言う端正さとは、自分らしさそのもの、だと思うんです。

言い換えると、ひとりひとりが信条にしているものです。
つまり、自分が生きる上で、大切にしていることです。

私が生きる上で大切にしていることは、今まで語ってきた内容です。

もうひとつの信条は、

心が死んだ状態で生きたくはない
それよりも、QOL(生活の質)を大切にして、生きることです。

あとは、私が信じているキリスト教信仰です。

これらの信条にしているものは、自分らしさそのものですし、
自分の命に代えても、守り抜きたいんですよね。

いつも死をリアルに感じる難病の人生でも、

自分らしさを保ち続けることができれば、
幸せを感じられるし、人間の尊厳を守ることになる
んです。

余命宣告を受けて、いつも死をリアルに感じていても、

好きなことや、人のために生きること、生きる上で大切にしていること、
自分の役割、など、自分らしさを保ち続けることができれば

心が死んだ状態で、生きることはないし、
前向きに、寿命の最後まで、生きていけるんですよね。

そうして、困難な人生であっても、充実に生きていけるし、
幸せを感じられる心を、手に入れることができるんですよね。

私は難病で生きることで、多くのものを得ました。

難病から得たものは、不幸という、ちっぽけなものじゃないんです。

難病の不自由は、不幸ではないんですね。

神様が喜びを持って、生まれつきの難病の私を創造してくださいました。

私は難病だからこそ、充実した人生を送れているんですね。

キリスト教信仰


私はキリスト教を信じています。

たとえ私は若く死んだとしても、死んだ後に復活して、
天国で神様と共に生きていく、永遠の命が与えられると信じています。

キリスト教徒にとって、死はもう取り返しのつかないものではなくて、
新しい命・永遠の命の始まりなのです。

『聖書 ヨハネによる福音書 11章25節』で、イエス・キリストが、

「わたしは復活であり、命である。
わたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」

と言われたように、
イエス・キリストの復活こそ、永遠の命の証しなのです。

私は永遠の命を信じているからこそ、
若く死んだとしても、前向きに生きていけるんですよね。

【聖書 ヨハネによる福音書 3章16節】

『神は、その独り子(キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が、一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。』

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

命よりたいせつなもの


・星野富弘の『花の詩画集「鈴の鳴る道」』より

いのちが一番大切だと
思っていたころ
生きるのが苦しかった

いのちより大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった


・『末期がん、その不安と怖れがなくなる日 (樋野 興夫) 』より

~命よりたいせつなものを見つける~


命よりたいせつなものはない」と、考えている人は、
がんになると、つらい思いを味わうことが多いようです。

一番たいせつなもの(=命)を失ってしまう経験(=死)を、
身近なものとして、暮らしていくわけですから、

どうしても、つらく、重苦しい時間をすごすことになるようです。

とくに、不治のがん、末期がんの場合、
「たいせつなもの」を、いまにも失ってしまうのではないか、という恐怖におびえて、暮らすことになりがちです。

他人の命なら、
そのために、自分に何ができるかを考えることができます。

けれども、自分の命のために、
自分ができることは、限られているのではないでしょうか。

自分のことだけに、かかりきりになるのは、それぼど楽しいことでなく、ときには、辛いものになってしまうようです。

自分の中に追い込まれ、
どんどん孤独なっていくこともあるかもしれません。

人は、人のためを思うときのほうが、幸福をあじわえるようです。

健康な人でも、そうでしょう。
例えば、自分の食事にだけ、関心を寄せて暮らすよりも、

人においしいものを食べさせてあげたい、人と一緒においしいものを食べたい、と考えて、暮らすほうが楽しいものです。

自分を満足させるよりも、人を満足させるほうが喜びが大きい
人は、そのようにできているのだと思います。

命が尊いことは、もちろんです。

しかし、自分の命よりも、たいせつなものがあると思えるほうが、
幸せな時間を過ごせる
ような気がします。

では、自分の命よりも、たいせつなものとは何か。

それは、自分自身で見つけるものでしょう。

家族への愛かもしれません。
何かをなしとげようとする使命感かもしれません。

また、命を一番たいせつに思う人は、
死をネガティブにしか、とらえられなくなりはしないでしょうか。

死は、命を奪うもの、死は命にとっての敵、
という考え方に、どうしても、おちいってしまうようです。

けれども、死もまた、私たちの一部です。

死は、私たち全員にひとつずつ与えられている、という意味では、命と同じです。

どのようにして、死を迎えるのか。
それは、私たちにとって、とても重要な仕事、最後の仕事ではないでしょうか。」

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