保田広輝(難病DMD)

余命宣告された33歳。デュシェンヌ型の筋ジストロフィー患者です。車イスと、24時間ずっと人工呼吸器で生活しています。人生観をテーマにした文章を書いています。https://twitter.com/hiro91rock

保田広輝(難病DMD)

余命宣告された33歳。デュシェンヌ型の筋ジストロフィー患者です。車イスと、24時間ずっと人工呼吸器で生活しています。人生観をテーマにした文章を書いています。https://twitter.com/hiro91rock

最近の記事

存在することが

できることが、次第にできなくなっていく、 進行性の病気、誰もが訪れる老化。 できることが少ない難病の私は、 自分の存在価値を示し続けていかなくてはいけない、この世界ではすごく生きづらい。 何もできなくなったら、自分は生きる価値がない、存在理由がない、という考えから解放されなかったら、私は本当に苦しくなる。 でも、「できなくても良いんだ」 「存在するだけで良いんだ」 という考えをあわせ持つことは、大切だと思う。 人間の生命は、神様と両親から託されたものだから、本来は

    • 死をリアルに感じても 第4回

      自分らしさを保ち続けることができれば 最後の話になりますが、 第2代 国連事務総長のダグ・ハマーショルドの 著作「道しるべ」には、 「われわれは、わが亡きあとに、 せめて端正さだけでも、生き残ってくれるよう、 端正さを保ちつつ、死ぬべきであると、私は信じている。」 という言葉があります。 ここで言う端正さとは、自分らしさそのもの、だと思うんです。 言い換えると、ひとりひとりが信条にしているものです。 つまり、自分が生きる上で、大切にしていることです。 私が生きる

      • 死をリアルに感じても 第3回

        安楽死プログラム ナチスドイツは、第二次世界大戦中に、 「安楽死プログラム」という法律を作りました。 これにより、多くの障害者が政府の命令で殺されました。 「安楽死」とは、 慢性的・末期症状の疾患を持つ個人を 苦痛のない死に導くことを指します。 しかし、ナチスの場合は、 ドイツ国内と、ドイツに併合された領土の療養施設で暮らす 身体障害者・知的障害者・精神障害者に対して、 実行された極秘の殺人計画でした。 ユダヤ人の大量虐殺、ホロコーストと同様に、 「安楽死プログラ

        • 死をリアルに感じても 第2回

          命は必ず終わりがあるものですけど、 やっぱり死は恐いです。 でも、私が死んでも、私の命は 生きている人々の心の中で生きていくと信じています。 残された人間が、亡くなった人の人生を 意味ぶかく受け止めていく時に、 本当の意味で、亡くなった人の命が 残された人間の中で生きていくのだと思います。 だから、私も人々の心に残るような人生を歩んでいきたいです。 生きている時点でひとりではない そうして、人との関係から生きることを考えるようになりました。 いま生きているという

          死をリアルに感じても 第1回

          私は、デュシェンヌ型筋ジストロフィーという難病を抱えています。 この難病は遺伝子の異常により、全身の筋肉が動かせなくなる難病です。 未だに治療法がありません。 今は24時間ずっと人工呼吸器で呼吸をしていて、手の親指以外は動かせないので、食事もトイレも着替えも、ひとりでは生活の全てが何もできないですし、やがて寝たきりの生活になります。 私の幼少期~葛藤~ 4歳で病名を診断され、当時は20歳までの命と言われました。 私は難病であることを知らずに育ちました。 幼い頃は、走った

          死をリアルに感じても 第1回

          思い出

          いつも「自分は不幸だ」と思いたくない。 こう思えば生きていけないし、私と同じ病気の人も不幸だと、周りの人から思われてしまうから。 病気や障害があるという理由だけで、生まれて来なければ良い人間なんて、いないのだから。 病気が悪化していく現実は変わらないから、病気と共に生きていくことが大事なんだ。 いつも生死の境にいながら生きているから、心は豊かになっていると思う。 人間は精神的に豊かにならなければ、本当の意味で幸せにはなれないよ。 他人が不幸だと思えることの中から

          不自由は不幸じゃない

          『たしかに、この身体だと不自由なことはたくさんある だけど、不自由である事と不幸なことはイコールじゃない 哀れに思われる言われはないよ!』 by 鋼の錬金術師 不自由である事と不幸なことはイコールじゃない・・・。 痛みを伴わない教訓には意味がない。 人は何かの犠牲なしに、何も得る事はできないのだから・・・。 私は「難病」「不自由な身体」から、何を得たのだろう。 苦しみで錬られる希望、心の豊かさ、痛みから芽生える優しさ、逆境をはねかえす生きる意志とか、かたちないものばかり

          不自由は不幸じゃない

          余命宣告された心境~死を覚悟すれば、かならず勇気~

          ここでは、難病患者として、死生観のエッセイ&日記を書いていきます。 最初なので、まずは余命宣告された当時の日記を載せますね。 昨日の夜、退院した。 検査結果は、半年前の内容と変わらず、あまり悪化しているところはない。 ただ、呼吸機能が低下しているから、半年前に使い始めた呼吸器を、24時間ずっと使おうと、言われた。 この調子なら、30歳まではNPPVの呼吸器を使えて、それ以降は気管切開になり、35歳で亡くなるだろうと、改めて専門医から言われた。 半年前、呼吸困難で

          余命宣告された心境~死を覚悟すれば、かならず勇気~

          ひろきの自己紹介

          福岡市に住む33歳のひろきと申します。 デュシェンヌ型筋ジストロフィー、という治療法のない難病を抱えています。 手の親指だけしか動かせない身体で、車イスと、24時間ずっと人工呼吸器(NPPV)を使って生きています。 私の人生観信条にしていること *見栄を張らず、自分の弱さも出していきたい。 大切なのは、弱さ故の向上心だから。 *不自由であること、と不幸なことは、イコールじゃない。 病気の自分は、不幸だと思うことから自由になることで、幸せを目指していける。 だっ

          ひろきの自己紹介