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死をリアルに感じても 第3回

安楽死プログラム


ナチスドイツは、第二次世界大戦中に、
「安楽死プログラム」という法律を作りました。

これにより、多くの障害者が政府の命令で殺されました。

「安楽死」とは、
慢性的・末期症状の疾患を持つ個人を
苦痛のない死に導くこと
を指します。

しかし、ナチスの場合は、
ドイツ国内と、ドイツに併合された領土の療養施設で暮らす

身体障害者・知的障害者・精神障害者に対して、
実行された極秘の殺人計画
でした。

ユダヤ人の大量虐殺、ホロコーストと同様に、
「安楽死プログラム」のリーダーは、

優生学者が「生きる価値のない不幸な命」に指定した人々を、
殺害する計画を採用したのです。

1939年8月に、すべての医師・看護婦・助産婦に対して、

ドイツ政府は、重度の障害の兆候がある新生児と
3歳児未満の重度の障害者を、強制的に報告させる法令を発しました。

1939年10月には、障害を持つ子供の親に対して、
政府は、特別指定した小児診療所への入院を勧め始めました。

しかし、診療所は、特別採用された医療関係者が、

致死量の薬剤摂取や、餓死によって、
子供たちを殺した殺害病院
でした。

次第に殺害計画は、
17歳までの少年を含めるようになりました。

まもなく、施設に入所している大人にまで、
殺害計画をひろげました。

1939年の秋に、アドルフ・ヒトラーは、
安楽死プログラムに参加する
医師・医療関係者・療養施設管理者を、

起訴から保護するための
秘密の権限付与に署名しました。

政府職員は、その秘密の企てを「T4作戦」と呼びました。

T4作戦


T4作戦では、毒ガス施設が、全国6か所に設置されました。

T4の職員は、「安楽死プログラム」に選ばれた障害者を
自宅・療養施設から連行して、

これらの施設に到着した数時間以内に、
連行した障害者を、毒ガス室で殺害して、
死体を焼却炉で焼きました。

その後、職員は遺灰の山から
犠牲者の灰を取って骨壷に入れ、

嘘の死因を書いた死亡証明書を付けて、
遺族に送りました。

しかし、政策が広く知られたこと、
また、民間からの抗議や、
特に、ドイツ人聖職者からの反対が続き、

ヒトラーは、1941年8月に安楽死プログラムの中止を命令しました。

しかし、ドイツの医療従事者は
1942年8月に殺害を再開しました。

新しい作戦では、
地方自治体が殺害のペースを決定しました。

再び、致死量の薬剤摂取や、
餓死による殺害が採用されて、

「安楽死プログラム」は、全国の広範な施設で再開され、
障害者の子供から大人まで殺害しました。

また、ドイツ占領下の東ヨーロッパでは、
ナチス親衛隊と警察部隊が、
何万もの障害者を、集団射殺や毒ガストラックで、殺害
しました。

「安楽死プログラム」は、
第二次世界大戦の末期まで続き、

高齢患者、爆撃被害者、外国人強制労働者にまで、拡大されました。

ナチスの「安楽死プログラム」を通して、
20万人の命が奪われたと、推定されています。

ナチスドイツが犯した残虐な出来事は、他人事ではないと思います。

競争社会


私たちは、五体満足で優秀な人だけを重んずる
競争社会に生きています。

そこから引き出されてくるのは、
能力と、それを裏付ける高い偏差値のみを評価して、
優劣を決める社会
です。

脳の働きの中でも、
最も重要である意識がなくなったとみなされる
脳死や植物状態に陥った人、

そして、認知症になった人や障害のある人は、
優劣を決める社会の中で、

ナチスが考えたように、
生きる価値のない不幸な命と思われています。

能力と五体満足であることだけを生きる価値と認めるのは、狭い健康観だと思います。

能力と五体満足という強さのみを強調し、
弱さを差別する社会は、本当に幸せなのでしょうか。

もし、障害のある人や病の人、高齢の人、死にゆく人を、
生きる価値のない不幸な命と見なす人が多くなれば、

その社会は、ナチスドイツのように、ひどいものになります。

人はみんな老いていきますし、必ず死にます。
人はいつ障害者になるか分かりません。

弱さや悩みがない人はいません。

どんなに五体満足で優秀な人も、
いつか、自分が弱さを抱える立場になったとき、

自らも強い者から排斥されることになると思います。

難病の私が、
自分は不幸だ、と思っていれば、

全ての病の人や障害のある人たちが、
不幸な人間だと思われてしまいます。

私は、生まれて来なければ良かった存在になってしまいます。

でも、生きる希望を失くさないで、
喜んで生きていれば、

病の人や障害のある人は不幸だと、
思う人は少なくなると思うんです。

私の前向きな生き様を通して、
日本におられる病の人や、障害のある人を守ることにつながる
、と信じています。

共生社会


弱さを抱える人が、生活しやすく受け入れられる社会は、
全ての人が生活しやすい社会になるはずです。

だから、ただ競争するだけの社会から、

共に生きる社会へと展開させる役割が、
障害者で難病の私にもある、と思います。

共に生きる社会、共生社会には、

「様々な文化が、共に生き合う」
「違いのあるひとりひとりが、五分五分の対等な立場で付き合う」

という概念が含まれています。

人は、それぞれが持っている個性や
長所を生かしながら、

お互いを支え合って、生きていくことができるから、
違いがあるからこそ、良いんですよね。

私は病や障害さえも、
個性を育むものになると思うので、

弱さをマイナスと捉える必要はないと思います。

お互いの違いを認め合い、
違う個性や、長所を持つ同士が交わることで、

豊かな人間関係を作ることができるんですよね。

病や障害もひとつの個性なのだから、
病や障がいのある人とない人が混じり合い、
支え合うことで、お互いを豊かにしていくんです。

自分の人生を、他の人々と共に生きることにまで広げれば、人生は充実したものになっていきます。

でも、もし共に生きる社会において、

相手の違いを認めることができなかったら、
差別するようになります。

「あの人は、私たちの社会にいるべきではない」と
疎外につながってしまいます。

これは気をつけなければいけないと思います。

つづく...

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