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死をリアルに感じても 第1回

私は、デュシェンヌ型筋ジストロフィーという難病を抱えています。
この難病は遺伝子の異常により、全身の筋肉が動かせなくなる難病です。
未だに治療法がありません。

今は24時間ずっと人工呼吸器で呼吸をしていて、手の親指以外は動かせないので、食事もトイレも着替えも、ひとりでは生活の全てが何もできないですし、やがて寝たきりの生活になります。

私の幼少期~葛藤~

4歳で病名を診断され、当時は20歳までの命と言われました。
私は難病であることを知らずに育ちました。

幼い頃は、走ったり跳んだりできず、
階段は手すりをしっかりつかまないと上ることができなかったけど、
他の子よりも運動神経がないとしか思っていなかったんですね。

大人になって、なぜ難病を告げてくれなかったのかと両親に尋ねたところ、
「20歳で死ぬことは、とても伝えられなかった…」と答えてくれました。

自分は他の人とは違うと感じ始めたのは、7歳からでした。
難病の進行で、よく転倒したり、ひとりで起き上がれないようになっていたんですね。

足が悪いという理由だけで、イジメを受けるようになりました。
足が悪くなければ、いじめられることはなかったのに、と子供ながらに苦しみました。

そして、9歳で車椅子生活となりました。

難病との闘い~絶望~

難病の現実を思い知らされたのは、
大学の受験勉強に励んでいた18歳の3月からでした。

自分も当時のドクターも、病気が悪化していることがまったく分からず、
1年間で5回も入院したんですね。

いつも嘔吐が止まらなかったり、
ものすごい息苦しさと、痛みがガンガン鳴り響く激しい頭痛のせいで、
ほとんど眠れないので、毎日のように意識がボーとなって、
本当に死ぬかと思う毎日が続いたんですね。

その間も現実から逃げるように、受験勉強に打ち込んでいました。

でも、息苦しさと頭痛のせいで、必死に勉強しても次から次に忘れていき、
試験の点数はどんどん下がっていくので、努力が無駄になっていくのは辛かったです。

1年が経ったあと、母の努力のおかげで、
私の病気のスーパードクターがいる病院のことを知って、
その病院で、いま使っている人工呼吸器を導入してもらってから、
苦しい症状は改善されました。

ただ、人工呼吸器を使うには医者の管理が必要だから、
そのために、地元の専門病院で検査入院したときに、
医者から、「やがて寝たきりになり、延命治療をしても、35歳で亡くなるでしょう。」と、余命宣告を受けました。

心が引き裂かれるような宣告でした。
難病の現実をとことん思い知ったんですね。

その後、合格した大学に入学したけど、体調不良により、半年で中退しました。
それからは自分を見つめ直す日々でした。

19歳にして、人工呼吸器を使うまでの体になったこと、
余命宣告を受けたこと、
難病による体の痛みが激しいので、ベッドで過ごす生活になったことが、

大きなストレスとなり、浮き沈みの激しい時期が長く続いたんですね。

この時は生きている意味が分かりませんでした。人生に絶望していました。

こういう気持ちになったのは、
寝たきりになって、若く死ぬのは嫌だ、
どうして私は健康になれないのか、という思いが強かったからです。

なぜなら、この社会で人間が生きる価値は、
健康に生きて、結婚して、経済的に社会で役立つことで決まるけど、
難病の私には無理だからです。

私には別の生きる価値が必要だったんですね。
でも、それがずっと分からなかったので、苦しかったです。
心はいつも暗闇の中を過ごしていました。

絶望=苦悩-意味


そんな中で、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を読んで、
「絶望=苦悩-意味」という公式に出会ったんです。

この公式は、意味がない苦しみが絶望である、
苦しみに意味を問わなければ、絶望となる、
苦しみに意味を見つけられたら、希望となる、ということです。

苦しみがあるから、苦しくてたまらないから、
不幸だって簡単に考えるのではなくて、
苦しみに意味を見つけられたら、希望に変わる。

人生はそれ自体に意味があるから、どんな状況でも意味がある。
ということを『夜と霧』から学びました。

そして、どんな苦しい人生でも、人生に意味を見つけることができれば、
希望を失うことなく、勇気を持って生きていける
、と思えるようになったんですね。

人は意味なくして生きることはできないんです。
人は何をするにも、自分にとって意味がなければ、すべてをむなしく感じるものですから。

苦しみに意味を見つけられたら、人生が希望となる。
それからは、苦しみを忍耐しながら、
難病の自分が生きている意味を、絶えず考えるようになったんですね。

一回きりの人生

そのために、まず難病を受け入れることから、始めようと思ったんです。
私の難病は、死ぬまで進行していくので、
いまできることが、次々できなくなるんですね。

これはなかなか受け入れることはできません。
でも、そういう体になったことは変えられない現実だし、
じたばたしても辛いだけですよね。

まず現実を受け入れていくことが大切です。

でも、受け入れることが、いつ死んでもいいやってあきらめになったら、
生きることがどうでもよくなるので、
本当に大切なのは、受け入れた後のステップの、変わることです。

難病の人生を生きていこう!と、変わることが大切なんですね。

そして、あと10年少しで死ぬんだと思うと、
いま自分が生きている毎日は当たり前ではないなぁ、と感じたんです。

平凡な日常でさえも、二度と戻れない瞬間です。
同じ景色を明日も見られるかどうかは、誰にも分からないんですよね。

平凡な日常でさえも輝いているのだから、
ひとつひとつの出来事を胸に刻んでいくために、
死を意識して、命の終わりを覚悟して受け入れていこう、
と思えるようになりました。

人生に重い意味を与えているのは、
この世での人生が一回きりだということです。
私たちの人生が取り返しのつかないものであり、全てやり直しがきかない。
一日一日、一瞬一瞬が一回きりだということが、人生に素晴らしい重みを教えてくれます。

私は難病の経験を通して、人生が限られたものであることに気付き、
残された貴重な時間をどう生きるかを、真剣に考えるきっかけを与えてくれました。

死を恐れて、単に「死なないこと」を願うのではなく、
死すべきものとして、「どう生きるか」が大切だと思います。

つづく...

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