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占有原理から見る,ブラック・ジャック「オペの順番」(手塚治虫)

1 はじめに


今回は,手塚治虫の『ブラック・ジャック⑨』所収「オペの順番」(秋田文庫,1995)を一視角から読んでみたいと思います。

*細かい文脈事情の描写,ブラック・ジャックの行動の精緻さ,密度の濃いストーリー展開が詰まっているこの物語はとにかく圧巻です。

手塚治虫『BLACK JACK 第9巻』(秋田文庫,1995)


この記事は,下記のメモ「政治,デモクラシー,法に関する概念整理メモ」及び小論「法的思考について」の占有原理について例解してみるものですが,あくまでイメージ的理解のためのものであり,気楽にお読みいただければと思います。



2 「オペの順番」への一視角


このお話では,ブラック・ジャックの応急手当としての手術の順番がテーマとなっています。

彼は,イリオモテヤマネコ→赤ん坊→代議士の順番で手術をします。どうしてこの順番なのか,という問いが読者に迫ってくるわけです。

ブラック・ジャックは順番の理由について,“重傷度で判断し,最も重いイリオモテヤマネコから手術した”と明言し,また,“人間と動物を同格と見ている”とあっさりと答えます。

つまり,これら関係するものの生命を平等とみて,応急の必要性から重傷度によって優先順位をつけて手術をした,というのがその順番の理由だということになります。

人の命は当然として自然や動物の生命をも大事にし,これらに対し敬虔な姿勢をとることは手塚の一貫した態度であり,上記のブラック・ジャックの応答は,通常の価値観に反するかもしれませんが,お話上はそれほど驚くことではありません。

しかし,順番の理由については別の視点でみることもできるように思います(手塚の真の意図は別にあると言いたいわけではありません)。

一つには,「自身で主張できず,代弁者がいないのは誰か」という視点です。

実はこの物語で読者を悩ませるのは,かなりの重傷であった赤ん坊のことではないかと思います。現在の通常の価値観からすれば,第一に優先すべきは赤ん坊の手術でしょう(代議士はそもそも怪我が軽い)。

しかし,イリオモテヤマネコと赤ん坊の状況をよく比べてみると,重傷度以外で,明瞭な違いが見えてきます。

赤ん坊は痛みに泣き叫んでいますが,イリオモテヤマネコは重篤でぐったりして何ら反応を示せません。つまり,自身の窮状を訴えることができるものかどうかという違いが見られます。赤ん坊には,手術を求め交渉を代理する代弁者たる母親がおり,実際,同人がブラック・ジャックとやり取りをしています。他方で,イリオモテヤマネコにはその主張(当然ですが,現行法上ネコは法主体ではありませんが)を代弁する者がいません。弱い立場にありながら,その言い分を代弁して防御してくれるものがいるかどうか,という違いがあるのです。

(この物語に法を適用するというナンセンスをしたいわけではありませんが)法が何を守ろうとし何を優位に扱おうとするか,という判断枠組みの根本である占有原理に照らすと,この赤ん坊とイリオモテヤマネコの対比からメッセージを読み取ることができるように思われます。


さらに次の視点があります。イリオモテヤマネコと代議士の対比です。

実は,代議士は観光振興のために島をリゾート向けに開発する計画であり,島の自然保護は意に介さない姿勢を表明しています(ブラック・ジャックもこれを聞いています)。他方で,その島にだけイリオモテヤマネコは棲んでいるのです。他に行き場所(生き場所)はありません。

この一匹のイリオモテヤマネコにとって唯一の生命圏,これを目に入らないかのように潰そうとする代議士の行動。ここに明確な対立図式がみられます。この「当該イリオモテヤマネコとその生命圏」対「生命圏への実力行使」という対立図式こそ,広くは占有原理の理念が響いてくる場面であろうと思われるのです。



3 おわりに


法の天秤で象徴されて誤解される公平さは,いずれにしても具体的な実践場面において試されます。占有原理のイメージを豊穣にしていくため,こうした優れた文芸を分析吟味することは,仮想的な実践であってもとても充実した作業になると実感します。汲めども尽きない「問い」の源泉として,今後も『ブラック・ジャック』はあり続けるように思います。


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