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現実世界の実相に直面させる/手塚治虫,ブラック・ジャック「ふたりの黒い医者」

1 はじめに


手塚治虫は,かけがえのない命,その精妙不思議さを,漫画という表現形式で描き抜いたといえます。

しかしながら手塚の視線は,人間への暖かな眼差しというよりは,むしろ冷厳に澄んでおり,「命が一番大事」「命は地球よりも重い」というような抽象に逃れた単調な論理を拒否しているように思われます。

今回は,下記PDFの拙文における広い意味での「対抗」あるいは「論拠の吟味」について,『ブラック・ジャック③』所収「ふたりの黒い医者」(秋田文庫,1995)を例解の素材として,考えていきます。



*この記事は,同漫画をお読みいただかないと理解できないものとなっておりますので,ご興味のある方は,ぜひ下記を手に取っていただければと思います。

手塚治虫『BLACK JACK 第3巻』(秋田文庫,1995)





2 「ふたりの黒い医者」への一視角


このお話を読めば,安楽死がテーマであることはすぐに分かります。

ドクター・キリコは,自身の軍医の経験から安楽死を肯定するに至り,日々これを実践します。他方でブラック・ジャックは,命を救うことに全生命をかけており,両者の対抗論理は一見すると単純明快なように思われます。

この対抗論理をもとに物語を素直に進め,瀕死の患者をブラック・ジャックが見事に救い,ドクター・キリコが敗北するのであれば,これまた極めて予定調和的なお話となるでしょうし,学校教育で使用しやすい教材ともなるでしょう。

しかし,手塚の論理展開は一段折れ曲がります。安楽死の肯否について,抽象的な概念操作や規範論の展開,安易に結論を出して安心しきるという姿勢を拒否しています。

彼は,論理をさらに時空に引き伸ばして,現実世界の実相にあえて衝突させるという作業を試みるのです。ここに手塚の凄みがあります。
物語のなかでは,ブラック・ジャックが一人の命を救うことにより,本来失われる関係になかった命までもが失われるという,あまりに厳しいストーリーを展開するという形で,これを鮮明に示すのです。

抽象的な議論を繰り広げることを拒否し,ブラック・ジャックが生き方の規範として拠って立つ論理を,予期不能というべき現実世界の実相に体当たりさせるなかで,「いかにすべきか」「いかに向き合うべきか」をどこまでも忍耐強く追い求めていこうとする姿勢。

それゆえに,この物語における最後のブラック・ジャックの叫びは,たいへん凡庸に響きますし,あえてそのように書いているようにすら思われます。それは,(ドクター・キリコをいかにも悪役として立ち回らせてはいますが)ブラック・ジャックの生き方や規範論を全肯定することなどはせず,あえて対抗の極致を登場させ,両者に打ち合いを演じさせていることの帰結であるといえるでしょう。


もちろん現実世界の実相に直面させるといっても,それは手塚が創作した仮構現実の実相ではあります。しかしながら,その仮構現実の峻厳さは優にリアルを飛び越えており,読む者は慄然とせざるをえない。その迫真性ゆえに,提示された論理に対する吟味は,むしろ徹底して行う動力が働くのであって,その意味では仮構とリアルの差異は切り込む手法の違いに帰着するといえましょう。



3 おわりに


滔々たる大自然の摂理の中にあるつかみ難い人の命。これに人知で介入することの意味と介入せざるをえない人の業。

こうしたテーマに切り込もうとするとき,抽象的な概念や規範論を操作するだけで,論理を時空に展開することを忘れてしまえば,変転してやまない現実世界の実相という諸現実がどうしようもなく零れ落ちてしまいます。

そのことの深い省察に立ち,これを漫画という形式で分かりやすく表現してしまった手塚治虫は,やはりとんでもない人なのだと思うのです。



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