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20年間封印されていた一太郎ファイルから企画をサルベージしてみたシリーズ②「ロッシーニのクリスマス」の企画書

今回も「20年前から開けなかった企画書ファイル」を復元&救出したものを…

読み返してみると、全くお金が無かった駆け出し放送作家時代からすでに「グルメ」に対する執着を感じる。まるでロッシーニのような…笑。

では。

企画タイトル「ロッシーニのクリスマス」

 19世紀の音楽界。「セビリャの理髪師」「ウイリアム・テル」をはじめ、オペラ界に残る数々の大傑作を生み出した作曲家「ロッシ-ニ」

「オペラのナポレオン」と称され、音楽家として大成功を収めながらも、突如自ら音楽の筆を折り「料理人」となった、数奇な人生を送った音楽家である。 

人々が「オペラ」と「美食」に見せられ、華やかな文化の開花を見せていた19世紀。時代の寵児ロッシ-ニが駆け抜けていったこの時代と文化を紹介すると共に「ロッシーニ風」として現代に受け継がれる彼の「料理」を「クリスマスの晩餐」として再現。

大作曲家の知られざる一面を通して、視聴者の知的好奇心に訴えていきたい。 

 (内容・構成) 

☆オペラ歌手と「仏料理家」(要検討)がロッシーニゆかりの地を探訪。リサーチをもとに、「音楽家ロッシーニの生涯と美食の関係」を追う 

1,誕生の地「ベーザロ」 1792年、イタリアの田舎町「ベーザロ」で生まれたロッシーニ。古代ローマの時代から美食の地として名高いこの町を紹介。また、6歳のロッシーニが教会に忍び込み「礼拝用のワイン」を飲み干してしまったというエピソードを紹介する。 

2,「ボローニャ」時代(1800年~1809年) 豚肉加工食品の本場でイタリア屈指の美食の都「ボローニャ」へ移り住んだロッシーニ。「ボローニャ音楽学校」での勉強を経て18歳の若さで作曲家としてデビューする経緯(音楽家になるかソーセージ屋になるかという葛藤)と、彼を食通の道へと誘った「この町での暮らし」に迫る。  

3,「イタリア」時代(1810年~1822年) 売れっ子作曲家として、不動の地位を確立していった彼。この時代の「ボローニャ」「ベネツィア」「フェッラーラ」「ミラノ」での生活を紹介すると共に、リゾット(お粥)が炊きあがる間に書き上げられたと言われる「米のアリア」という曲を紹介する。  

4,「ウイーン」・「パリ」時代 時代の寵児として「ウイーン」・「パリ」という美食都市の上流社会から厚いもてなしを受けた彼が、真に美食に目覚めていく過程及び、ロッシーニが愛した味覚を紹介。 

●現存するレシピをもとに「ロッシーニオリジナルメニュー」を再現 

引退し、ボローニャ音楽院の名誉院長となったロッシーニ。「7月革命」や「ブルジョアの革命運動」に翻弄される生活のなかで彼を癒してくれたのもやはり美食。

現存するロッシーニオリジナルメニューをもとに、「パリのレストラン」の協力を得、毎夜繰り広げられた「ロッシ-ニの晩餐」を再現。 

ロッシーニの名をフランス料理史に永遠にとどめる「トゥルヌド・ロッシーニ」、また「キノコのモーツアルト」と呼び彼が愛した「トリュフ」を使った「トリュフ詰め七面鳥」を紹介。

訪問者の2名がロッシーニの生涯をたどりながら、優雅な「クリスマス気分」を演出するこのメニューにたどり着くまでを番組として構成していく。

「音楽家になるか、ソーセージ屋になるか」 …このエピソード好き。才能ある者の悩みは気高いね。

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