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定住する遊牧民 リモートワーク時代におけるノマドワーカーの昔と今

去勢された野生動物となるか、定住する遊牧民となるか。

世の中にリモートワークという働き方が普及してから、オフィスワーカーはノマドワーカー(nomad=遊牧民)となり、ある日はオフィス、ある日は自宅、ある日は出先のカフェと働きやすい場所を求めて転々と移動するようになった。

ある人はくつろいだ様子で自宅のリビングから、旅先のホテルから、高原のキャンプ場からパソコン画面に向かい、業務タスクについて上司や同僚と語る。オフィスの感染対策や出社比率に頭を悩ませる経営者を尻目に、ノマドワーカーは好きなところに移動し好きなように働く。

ビデオアーティストのナムジュン・パイクは80年代に、脱炭素社会に向けてエネルギー消費を減らしながら地球上の様々な場所で活動する概念を「定住する遊牧民(Stationary Nomad)」と表現した。

Web会議やメール、チャットなど、リモートコミュニケーションが当たり前になった私たちは、インターネットの中で定在し、どこにいても繋がれる。遠く離れた場所で開かれる会議のために石油を使って長距離を移動する必要はなくなった。ムダを省き、自分にとって一番良い方法を選択できるこの概念は、地球環境や事業活動の持続可能性を維持するうえで適しているのかも知れない。

現代の遊牧民とも言えるノマドワーカーだが、その元祖である遊牧民のワークスタイルはどのようなものだったのだろうか。

遊牧民の生活を調べるにあたり、残された遺跡や文献にあたるのは難しい。移動し続ける生活様式のため、みずからの記録を残すことをしないからだ。調査研究のためには彼らと共に生活し、フィールドワークのなかで観察記録を残すしかない。

遊牧民の生活を知るため、松原正毅教授の『遊牧の人類史』(岩波書店、2021年)を紐解いた。トルコ系遊牧民族ユルックと共同生活を送りながら、彼らの生活を調査した記録である。

松原教授によると、遊牧とは、羊、ヤギ、牛、馬、ラクダなど群れをなす野生の有蹄類と共生しながら、産出される毛・皮・乳・肉を資源に、移動性に富んだ暮らしをおくる生活様式のことである。なぜわざわざ移動するのか。それはエサとなる植物が豊富にある場所を求めるためだ。

遊牧生活の基盤となるのは、群れをなす野生動物との相互的な共生関係だ。移動を続ける遊牧民が動物とともに仮眠をとる際、眠りにつく前に手首につけた紐の一端を群れの中でもっとも信頼する羊の脚に結んで眠る。これが仮眠中に羊の群れが起き出して行動を始めるとき目覚ましの役割を果たす。遊牧民と羊の群れがともに信頼しあいながら眠る光景は、人間と野生動物との原初的な共生関係の姿を想起させる。

共生関係にあった人間と野生動物だが、時代の経過とともに、人間による管理の度合いは少しずつその強さを増していった。

遊牧生活を送るうえで最も重要な技術のひとつが「去勢」だ。去勢されたオスは野生状態のときよりおとなしい性質になり、人間の指示や意向にそって動くようになるという。去勢は、人間が野生動物を管理しやすくし、遊牧生活を成り立たせるための知恵なのだ。

去勢は、主に睾丸の摘出によって行われる。
睾丸を包む陰嚢の先端に小刀で切れ目を入れ、睾丸の根元に太針を突き刺し、針孔にとおした糸をぐるぐると絡めて一気に睾丸を抜き取る。他には、板ではさんだ睾丸を石で叩き潰して抜き取る方法や、熱した鉄串で睾丸を根元から焼き切る方法などがある。
どの方法も男性の私にとって息が絶えるほどの苦痛を想像させ、場面を頭に描いただけで去勢された気分になる。

しかし去勢は、無秩序な分裂をふせぎ、群れの管理を容易にし、暮らしを維持していくための生活の知恵なのである。

自由に移動し、知恵を活かして生活していた遊牧民だが、その歴史はなかなかに波乱万丈だ。

遊牧に象徴される自由な移動性の原理は、国民をひとからげに統治しようとする近代国家制度の論理と衝突し、ユーラシア大陸の多くの地域で遊牧絶滅政策が展開された。遊牧民族は遊牧可能な土地を追われては再放牧化を繰り返すという歴史的な変動のなかを生きていた。

そこには迫害を受けながらも、自分たちの生活様式を維持しようとする彼らの揺るぎない意志を感じる。遊牧民も必死だったのだ。

現代の定住する遊牧民はどうか。
移動することでしか生きられなかった元祖遊牧民と違い、現代の遊牧民はネットワークの中で定在する場所の選択肢を持てるようになった。

我々は選択を放棄し、去勢された野生動物のように管理者に従い生きることもできるし、遊牧民のように意志を持って信念のままに生きることもできる。自ら決定できるということがどれだけ尊いことだろうか。

わたしは、意志を持つ遊牧民でありたいと思う。

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