【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その四 おみねの一件始末 11
この事件は、惣太郎たちを陰鬱な気分にさせたが、それでも得たものがなかったわけではない。
おはまの証言から得た満徳寺に侵入した者を捕まえるという名目で、南町と寺社方が協力して、板橋一帯の大掃除を行った。
それまで政吉と大澤から甘い汁をもらっていたやつらは、ほぼ全員捕まった。
ただ、おみねの亭主で、寅吉と名乗った男だけは取り逃してしまったという。
しかし捕まった連中から、あれは寅吉ではなく、銀蔵(ぎんぞう)という、政吉の一の子分だとの供述を引き出した。
では、実際の寅吉はいうと、多分あの長屋に住んでいた幽霊みたいな男だと思うが、それの行方は様と知れなかった。
殺されていなければいいがと思いながら宿場を歩いていると、ひとりの女に声をかけられた。
いつぞやの、のっぺり女である。
「おきくといいます」
女はぺこりと頭を下げた。
もしや、女ひとりを残して出ていった恨み言でもいわれるかと思いきや、
「ちょっと、おみね姉さんのことで話が……」
と、近くの川原に連れていかれた。
「すみません、あたし、嘘をついてました。実は、あの宿で働き出したのは去年の冬頃で、もう一年になります。来たばっかりで、おみね姉さんのことを良く知らないと言いましたけど、あれは嘘です。手代さんたちに口止めされていて……」
あの辺りを取り仕切っていた政吉も死に、子分の銀蔵は行方不明だし、他のやつらも捕まった。同心の大澤も死んだので、板橋の者は久方に羽を伸ばしているという。
それで、おきくも怖いものがなくなり、話す気になったようだ。
「それで話しとは」
「はい、夏頃のことなんですけど、おみね姉さん、あるお客さんを担当したんですが、その人から、何かすっごくいい話を聞いたとかで……」
「何の話か、おみねには訊かなかったのか」
「もちろん、すっごく気になったので訊きました。でも、おみね姉さんは笑うだけで、教えてはくれませんでした。ただ……」
と、おきくはしばし口ごもった。
先を促すと、
「おみね姉さん、ようやく見つけた、たっぷりと目にもの見せてやるんだって、笑ったんです。そのときのおみね姉さんの笑顔って、なんか、寒気がするほど綺麗で、おみね姉さんのあんな顔、見たことなかったから、あたし、すっごく怖くなっちゃって、それから一月(ひとつき)して縁切寺に駆け込みですから、あの話と何か関わりがあったのかって、あたし、心配になって、誰かに聞いてもらいたかったんですけど、口止めされてたから」
よほど不安だったのか、おきくはぽろぽろと泣き出した。
女の涙ほど、始末におけないものはない。
土手や橋を行き交う人々の目が痛い。
「分かった分かった、泣くな、おきく、分かったから。それで、その客というのは、誰なんだ、知っている男か」
「ちょくちょく顔を見せる人ですけど、名までは。手代さんとかなら知ってるかも」
おきくはしゃくりあげながら言った。
というわけで、加賀屋の手代をつかまえて、吐かせた。
「確かに、よく顔を見せるお客さんですが、名までは」
「宿屋だから、宿帳があるだろう」
「確かにその通りですが……」
と、その月の帳面を持ってきて、面倒くさそうにぺらぺらと捲る。
数十枚捲って、ようやく、
「ああ、この方だ。浅草の田原町ですか、名は金十郎(きんじゅうろう)で、かまど職人ですね」
さそく南町の本多源五郎に頼んで、その男を探索してもらった。
結果は翌日にも出た。
「田原町に、金十郎というかまど職人はいませんね。確かに二丁目界隈には、かまど職人が多いのですが、そんな名の職人は見当たりませんね」
すぐさま加賀屋に戻って、手代を追及する。
「そうは申されましても、嘘を書かれるお客さまもおられますしね。それを書かれては、うちとしてはそれ以上のことはできません」
「なら、もっとこう、他に特長とか覚えてませんか。顔のどこかに黒子があったとか、傷があったとか」
手代は首を捻る。
「どこにでもいるような若い人でしたね。ああ、でも……」
「何かあるのか」
「何度か扇子を使ってらっしゃったんですが、店でしょうか、紋が入っておりましたが」
「それは、どんな紋でした」
「えっと……、確か、枡がふたつ重なったような……」
それを源五郎に伝えると、
「ああ、それなら酒屋の近江屋でしょう」
と、早くも答えが返ってきた。
それで近江屋へ赴くと、
「それなら、去年の暮れに、上得意様にお配りしたんですよ。百本程度ですが」
と、番頭が言った。
百本とは、まだ大変な数である。
「その中に、金十郎というかまど職人はいませんか」
番頭は、帳面を捲るが首を振るばかり。
「うちのお徳様に、かまど職人も、金十郎という方もいらっしゃりませんね」
「では、浅草の田原町に住んでいる人は」
「田原町ですか……、ああ、それならおひとり」
「誰です」
「あそこで大きな菓子屋を営んでいらっしゃいます、和泉屋の吉兵衛(きちべえ)さんですね」
惣太郎は、早速そこに行ってみた。
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