【自伝的随筆】『女帝は嗤う』3

以前にも書きましたが、私は5人家族 ――父、母、姉、母方の祖母と暮らしていました。

父は家では大人しい人で、私には姉、母、祖母の存在が大きく、女性の中で育ったと言っても過言ではありません。

ですので、たまに女性らしい考え方……どういうのが女性らしい考え方というと、上手くは説明できないのですが、男尊女卑という考え方はなく、父親だろうが、母親だろうが、姉だろうが、すべてに置いて同じで、男性だからこれをしろとか、女性だからこうしろということはありませんでした。

ただ、前にも言いましたが、うちは女性陣が強かったので、男女ともに平等という考え方はあっても、女性に対して少々苦手意識を持つようになってしまいました。

姉のことは散々書いたので……思い出す範囲ですが、多分あれ以上のことがまだあったと思いますが、それはまた思い出せば書いてみます。

で、今回は母ですが、母も姉に劣らず気の強い人でした。

多分姉の気の強さは、母の遺伝子だと思います。

常に姉と衝突してましたね。

私は怒られたという記憶はありますが、それはあくまで親が子を叱る範疇で、それを越えて感情的になったり、手をあげたりはありませんでした。

いま思うと、父も母も、子どもに手をあげることは絶対にありませんでしたね。

それは姉に対してでもです。

そこは、両親に感謝しています。

でも、矢張り母と姉の口喧嘩は相当堪えました。

言わば、家族の中心のような2人ですから、そこが険悪な雰囲気になると最悪です。

ですから、この2人の感情をとらえようと敏感になりました。

それが、いまでも他人に気を使うもとになってます。

母は、私に対しては優しいというか、むしろ過保護では? というところがありました。

色々細かく世話をしたがるのです。

私が夜とかトイレに行くと、お腹を壊したのかと、薬を出してきたり……いや、気持ちは嬉しいのですが、ただ単にしたかっただけです。

食べ物も、あれを食べるか? これを食べるか? と出してきます。

もうお腹一杯なのですが、せっかく母が出してくれるので、いやもういいから、と言いつつも、食べないと申し訳ないような気がして。

そういうのが続くと、ありがたいのですが、鬱陶しくなってしまうのです。

それが嫌で、大学に入ったらすぐに家を出ました。

いまでもあまり戻らないのは、母のそういう面があるせいかもしれません。

贅沢な悩みだと思われる人もいるでしょう。

親孝行したいときに親はなしだ! と怒る人もいるでしょう。

確かにそうです。

母もいい年ですので覚悟はしていますが、どうにも子どものころの印象があるので……こればかりはどうも……

私と姉に対する態度の違いも、原因にあるのだと思います。

いまは、仲良くやっているようですよ。

そして、父に対する態度も影響していると思います。

多分父と母2人のときは違うのでしょうが、私の前では母の方が上で、尻に敷いているような感じでした。

時々父に嫌味のようなことも言ってましたし。

そういうの、子どもはよく聞いてきいて、子ども心に嫌だなぁ~と思うんですよね。

夫婦って、お互いを尊重しあい、支えあうものだと思うのです。

が、私は自分の父と母を見て、父の血が流れている自分も、結局こんな夫婦関係しか作れないのかなと思ってしまい、もちろん、そんな夫婦関係でも当人同士が良いのなら良いのですが、私には我慢できないので、結婚というものに消極的になってしまうのです。

私が結婚に対して理想を抱き過ぎているせいで、また父が大人し過ぎたせいで、何でも母のせいにするのは可哀想ですが、ともかく家族というものに消極的になってしまうのは、矢張り私が属していた最小単位のコミュニティーが原因なのだろうと思うのです。

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