『マチネの終わりに』第七章(38)
医師は、祖父江のことも蒔野のことも知らなかったが、担当になってから興味を持ったらしく、CDにサインを求められ、以来、リハビリの説明も、楽器の演奏を例に出す機会が増えた。
蒔野は演奏家として、そんなことを一々気にしながらギターを弾くわけではなかった。
神経科学についても、定説とされている話を、漠然とイメージするに過ぎなかったが、演奏に関して、芸術表現がその陳述的記憶に、運動能力が非陳述的記憶に関係しているという整理には納得がいった。
問題は、その両者がどんな具合に結び合い、影響し合って、全体的な統一を実現しているのかだった。
自分の奏でる旋律が、かつてのようにハリのある運動の軌跡を示さず、和音が曇りを帯びてたちまち潰えてしまうのは、なぜなのか。一年半という時の経過によって、自分の中で、一体、何が起きているのか。
原因を抽象的に探ってみても仕方がなく、果たして一旦、両者を分けて考えること自体が正しいのかもわからなかった。が、ともかくも、指が動かないことには話にならないので、スケールだけでなく、レパートリーの中から必要で且つ、音楽的な内容も豊富な――要するに美しい――メカニズムを抽出してきて、ひたすら反復的な練習を重ねた。
蒔野のこの腹を括った方針は、結果的には、吉と出たのだった。
三カ月後、彼の指は、自分でも驚くほどよく動くようになっていた。楽器を中心とした体全体の連動もスムーズになっていて、長時間ぶっとおしで練習をしても、特にどこが痛いということもなくなった。
かつての演奏技術を単に回復するだけではなく、蒔野はこれを機に、長年の蓄積として痼っていた左手の運指や右手の撥弦の癖を一つずつ点検し、演奏スタイルを、全体により簡素に、軽くデザインし直すことを心がけた。
ヴィラ=ロボスの練習曲を全曲続けて演奏してみて、彼はまるで、新車に乗り換えたように、自分が以前よりも楽に楽譜の上を走っているのを感じた。
第七章・彼方と傷/38=平野啓一郎
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