ひらもん

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沢田研二2021 ソロ活動50周年ライブ「BALLADE」

バラードと銘打ちながら、隙あらば叫んでいた。 バラードとはなにかを問い直す、御年73歳のジュリーライブ。 2021.09.21 沢田研二2021 ソロ活動50周年ライブ「BALLADE」@京都 セットリスト TOKIOは、バラードだったろうか。 1980年1月1日。 80年代の幕開けと共に鳴らされたディストーション・ギター。 耳を奪うイントロ。目を奪うパラシュートと電飾。糸井重里氏の歌詞。 どこから思い出してもTOKIOはバラードではない。バラードではないはずだ。何故

    • 沢田研二 LIVE 2019 「SHOUT!」

      タイトル通り、ツアー中ずっと叫んできたのだろう。声がかすれている。しかし、声がかすれているのに、声が出ている。 パワフルな喉を持つジュリーならではの芸当だと思いつつ、かすれた歌声に心配をしつつ、ライブは開幕した。 2019.10.06 沢田研二 LIVE 2019 「SHOUT!」@京都 セットリスト 昨年のツアーライブと1曲だけしかかぶらない。 セットリストにも、ジュリーのサービス精神が垣間見える。 今年も昨年同様、ジュリー&柴山和彦さん(ギター)のふたりだけで行わ

      • 沢田研二 70YEARS LIVE「OLD GUYS ROCK」

        『終わり良ければ全て良し』 その良しを決めるのは自分である。自分で決めたい。と言った、沢田研二ことジュリーの古希ツアーLIVE。 2018.09.08 沢田研二 70YEARS LIVE「OLD GUYS ROCK」@奈良 アンコールは、キルトスタイルだった。 白い羽飾りがついた黒ハットに黒ジャケット。ふわりとひるがえる紫地に白ラインのタータン。股間の上には、銀色のなにかが眩しく光っていた。 キルトをひらめかせながら、齢70にして茶目っ気たっぷりのジュリー。

        • 不自由は脳がつくる

          週末にちょっとした手術を受けた。 腕の内側を切開したため、止血(?)に4日ほど圧迫が必要だった。 この手術による制約は、「肩より上に腕をあげられない」「重いものが持てない」「お酒が呑めない」など。切ったのだから、勿論、痛い。しかし、なにより生活の不自由さが私の心をさらっていった。関心的な意味で。 「肩より上に腕をあげられない」 まず、服を着ることが困難だった。腕の可動域が狭まるだけでシャツの着脱は難しくなる。腕の位置取りやシャツのたぐり寄せ方など、試行錯誤を重ねた末

        沢田研二2021 ソロ活動50周年ライブ「BALLADE」

          失恋レーシック

          「わたしと一生寄り添ってください!」「え、無理です……」 フラれました。 レーシックの適応検査を受けてきました。 レーシックは、角膜表面をスライスして曲率を調節し、近視を矯正することで、視力を回復する手術です。 そのため、角膜が薄かったり、角膜を削っても削ってもどうしようもないほどのド近視には受けられない術式であり、レーシックを受けられるか否かを判定する検査が、適応検査です。 適応検査前の問診票にコンタクトの度数を記入する欄がありました。 左:-8.0 右:-1

          失恋レーシック

          模倣とはなにか

          阪急うめだ『民藝と暮らし2018』にて、高木崇雄・石川昌浩両氏のトークショーが行われた。 テーマは、『模倣とはなにか』。 民藝は、はじまりから100年も経たない。 比較的、新しい文化運動である。 柳宗悦(やなぎむねよし)が、普段使いの日用品に美しさを見出した「民衆的工藝」を略したものが民藝だ。 民藝とはなにか? と、問われると「用の美」「機能的であること」「無名であること」などが取り上げられる。 しかし、本来「これだから民藝」と言えるものは何ひとつない。 民藝は対

          模倣とはなにか

          「伝えたい」は主に情報過多

          講演をしてきました。 ひとりで45分も話せるのかと心配していたのですが、前日リハーサルで10分オーバーしましたので、当日は逆の心配をすることになりました。 自分の講演後、他の方の講演を聞いて思ったことがあります。 自己紹介、分も要らなくない?秒でよくね? と言うことです。 (言葉が今風になりました。申し訳ない。) 伝える側として「こちらの背景が分からないと内容も分かりにくいだろう」が、丁寧な自己紹介の言い分です。親切からきているのでしょう。しかし、高橋メソッド5枚で充

          「伝えたい」は主に情報過多

          知識の握手はあったかい

          エディ・タウンゼント(の奥さまが書かれた)「オーケー!ボーイ」を読んだ。エディさんは、6名のボクシング世界チャンピオンを育てた名トレーナーである。 このエディさんに師事していたひとりが、カシアス内藤だ。 沢木耕太郎「一瞬の夏」の主人公で、アリス「チャンピオン」のモデルでもある。 手をのばさなければ、触れられないものがある。 アリスのチャンピオンを聞いて『歌のモデルは誰だろう?』と思わなければ、そして、調べなければ、カシアス内藤もエディさんも知らずにいた。 カシアス内藤

          知識の握手はあったかい

          全国煎茶道大会と茶器まつり

          全国煎茶道大会に行きました。 場所は、京都の黄檗山萬福寺。 2018年は、5月19・20日に開催され、各日10以上の流派が集まります。お抹茶ではなく、煎茶のお茶席を楽しむ会です。 当日券は、6,500円。 右端の「おしのぎ券」は、お弁当の引換券です。 持ち物は、懐紙・懐紙ばさみ・黒文字(菓子切り)、扇子。女性でしたら、こちらに白ソックスを加えます。 今回、私が参加した流派は、「松莚流」「美風流」「薫風流」。 「松莚流」は広島、「美風流」は奈良、「薫風流」は愛知の流派。

          全国煎茶道大会と茶器まつり

          うつわだけを買っているのではない

          民藝と呼ばれるものがある。 民藝とは、「民衆的工藝」の略で、普段使いの日用品に美しさを見出した柳宗悦(やなぎむねよし)が、総称して呼びはじめたものだ。美の概念とも、思想のひとつとも言える。 現代作家のうつわから民藝のうつわに手をのばした。その中で素敵なお店を見つけた。画像の備後屋(びんごや)さんだ。ここでは、ついうっかり(※1)小鹿田焼(おんたやき)の小皿を買ってしまった。 ※1:「ついうっかり」とは、元々買う予定がなかった、それなのに買ってしまった、の意。 民藝を目

          うつわだけを買っているのではない

          美しさを切りとること

          書くことと撮ることは、同じことがしたいのではないか。 撮影のはじまりを聞いた。ニプエスが版画を撮影したことからはじまり、記録であったものは、芸術を含むようになった。 撮影は、三次元を二次元に落とし込む行為。立体を平面にするのだから、情報量は落ちる。情報が切りとられる。撮影者の「なにをどう撮るか」が、写真にはあらわれる。どこを見て、どこを強調するか。どこを美しいと思ったかがあらわれる。 言葉はどうだろう。 言葉は、言葉にした時点で削ぎ落とされている。眼でみた映像、または

          美しさを切りとること