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美しさを切りとること

書くことと撮ることは、同じことがしたいのではないか。

撮影のはじまりを聞いた。ニプエスが版画を撮影したことからはじまり、記録であったものは、芸術を含むようになった。

撮影は、三次元を二次元に落とし込む行為。立体を平面にするのだから、情報量は落ちる。情報が切りとられる。撮影者の「なにをどう撮るか」が、写真にはあらわれる。どこを見て、どこを強調するか。どこを美しいと思ったかがあらわれる。

言葉はどうだろう。

言葉は、言葉にした時点で削ぎ落とされている。眼でみた映像、または、頭の中でめぐらせた思考を形にしたもので、抽象を具体にしている。特に、詩などは限られた文字数で美しさを伝え(ようとし)ている。

書くことも撮ることも、突き詰めれば、「美しさを残したい」だけではないだろうか。美しさを恣意的に切りとりたいのではないだろうか。

そんな単純なことを忘れていた。人生は、自分の思う美しさに向き合う日々でありたい。

気と機が向きました際に、是非。