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紙の本という地層

本を読むのが好きだ。

本は私の好奇心を満たしてくれる。
私の知らない誰かの物語を見せてくれる。
そして、現実世界から、脳内の思考の世界へと飛び立たせてくれる。

私は本を通して私の経験できないような世界を知る。
小説でも、ノンフィクションでも、本は新世界への扉だ。

知らなかった事を知るのはもちろん、自分が考えていたものとはまったく違う何かに出会ったとき、新しい扉が開いたように感じる。

本は私にとって、凝り固まった自分の思い込みをときほぐし、新たに作り変えてくれる道具だ。

最近は電子書籍を読むこともあるけれど、私は断然、紙の本が好き。
紙の手触りやほのかな匂いや重み、そして、きっとこだわってデザインされたであろう装丁や文字組みなど、その本を作った人たちの感覚がこちらまで伝わってくるような気がする。

もちろん電子書籍もいいところはたくさんあって、知らない言葉に出会ったときにすぐに検索できたり、ラインをひいたところに飛べたり、本当に便利だ。

でも、やっぱり私は紙の本が好きなのだ。

本棚に並んだ本を眺めていると、過去に読んだ本の感動が蘇るし、これから読もうと思っている本にわくわくしたりする。

紙の本の良さは、その「断絶感」にある、と思っている。
ここでいう断絶とは、「現実世界との断絶」のことである。

もっと具体的に言うと、他の情報との断絶。
例えばスマートフォン、パソコン、タブレット、等々・・・。
そこから離れられる事。
紙の本を読んでいる時ほど、現実世界と隔絶されている気分を味わえる行為はそうそう無い。

読書中は現実の世界とは遠い、別の場所にいるような気分になる。
それが読書の醍醐味だが、電子書籍の場合はなぜかそれがうまくいかない場合が多い。
情報へのアクセスが良すぎるからだ、と思う。
私はときどき、何の情報も届かない場所へ行きたいと思っているのだろう。
そんな時に「紙の本を読む」という行動は最適なのだと思う。

そして、読書後は「記念品」として私の書棚に残る。
それらを眺めていると、まるで私の脳内の歴史の変遷を眺めているようで楽しい。

書棚に置かれた本は、そこに置かれることで日常的に目に入り、それをなんとなく眺めるたびに、当時の読書体験をうっすらと追体験しているのではないだろうか。
そんな書棚は、まるで私という人間をかたちづくる、薄く積みあがる地層のようだ、とも思う。
あまりに自分が現れている場所なので、他の人に見られるのがちょっと気恥ずかしい。

私の中での読書というのはきっと、テキストを読むという脳内の作業と、本の質感を五感で感じ取るという作業の二本立てで成り立っているのだと思う。
電子書籍で読むのとは明らかに違う感覚がそこにあり、紙とデジタルのそれぞれにメリット・デメリットがあるが、私の場合「読書」と言ったときにしっくりくるのは「紙の本」での読書なのだ。

そして私のこれからの地層を作るべく、私の書棚には未読の本がいくつも並んでいる。その眺めは、いつも私をわくわくした気持ちにさせるのだ。

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