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8月9日長崎原爆の日

平井貴大です。
山口大学医学部医学科3年生で、株式会社Lognite代表取締役並びに株式会社UBE COL代表取締役を務めています。

医療や地域経済・振興、若者や学生などをテーマに情報発信するのを目的にnoteでの投稿を続けています。

ここでの投稿活動をきっかけに、思いを共有できる皆様と事業や活動をともにできるようになりましたら幸いです。どうぞ宜しくお願い致します。

8月9日長崎原爆の日

きのう(8日)の投稿からシリーズでお伝えする「記者クラブを上手に使う」、あす以降続けます。

今月6日の投稿で、広島での平和学習を振り返りました。きょうは、長崎での原爆関連の取材を思い返しながら、原爆投下から78年を考えます。

被曝体験者

私が長崎で取材した平和に関連したテーマのうち、最も印象的なのは「被曝体験者」です。先月17日の初回投稿にも書いたように、被曝体験者とは、長崎に原爆が投下された際、国が定める地域の外にいたとして被爆者と認められていない存在です。「被曝体験者」は国や長崎市などを相手に、2007年から被爆者として認めるよう訴えを起こしました。2017年には最高裁判所が上告を退け、ほぼ全員の敗訴が確定しました。

最高裁判決を迎える前、被曝体験者ひとりひとりへ取材をさせていただきました。原爆投下当日受けた痛みや衝撃に加えて、その後の人生で経験した差別や苦しみを、涙を浮かべながら語る人ばかりでした。裁判で原告団長を務める女性は、被爆者に認定されると受け取る手当てが増えることを踏まえながら話しました。「私は金がほしくて裁判を起こすんじゃない。私たちの人生は『被爆者』のものではなかったと否定されたくないだけ」。

その後、広島に投下された原爆をめぐっては「黒い雨」裁判で、訴えが認められ、原告へ被爆者健康手帳が交付されました。

こうした中、長崎の被曝体験者が起こした裁判は継続しています。手当ての財源に限界があるほか、すでに死亡した原告がいるなどの背景があり、容易に認めることができない国や地方自治体の立場を理解することはできます。ただせめていずれかの形で救済されることはないのか。報道を見守っていきます。

1年に1度

広島で育ち、九州に配属にされたことから、▽6月23日「沖縄慰霊の日」、▽8月6日「広島原爆の日」、▽9日「長崎原爆の日」、▽8月15日「終戦の日」は、1年のうち平和について考える日です。

現在、医師を目指し、また社会課題解決を目指して経営に取り組む立場として、平和に直接的に貢献することはできません。ただこうして記事を書いて投稿するなどするだけでも、周囲と平和などについて議論する会話の糸口ぐらいにはなっています。

せめて知ったことを忘れることなく、微力でも周りに伝え続けたいと改めて思い至った8月9日でした。

あすは、きのうの投稿の続きとして、プレスリリースの内容などについて、触れます。どうぞ宜しくお願いします。


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