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8月6日原爆の日

平井貴大です。
山口大学医学部医学科3年生で、株式会社Lognite代表取締役並びに株式会社UBE COL代表取締役を務めています。

医療や地域経済・振興、若者や学生などをテーマに情報発信するのを目的にnoteでの投稿を続けています。

ここでの投稿活動をきっかけに、思いを共有できる皆様と事業や活動をともにできるようになりましたら幸いです。どうぞ宜しくお願い致します。

8月6日原爆の日

きょう8月6日で、広島に原爆が投下されてから78年が経ちました。進学に伴って上京し、広島を離れてから約10年。この10年間で、平和を訴え反核運動を牽引してきた被爆者が次々と亡くなっています。被爆者の平均年齢は、85歳を超える中、被爆の実相を後世にどのように伝えるのかも課題とされています。またこうした中、4年前、広島市の平和記念資料館がリニューアルされました。原爆の悲惨さと平和への思いをどのように伝えていくべきなのか、決して常々考えてきたわけではありませんでしたが、頭の片隅で気がかりに感じてきました。

平和学習

小学校から高校にかけて広島市の教育機関に登校し、平和教育を受けてきました。いまでも記憶に残っているのは、被爆者の体験を実際に聞いたという事実と、平和記念資料館の展示です。

小学生の時、平和公園の敷地で被爆者の体験談を聞きました。話の詳細は覚えていませんが、必死に訴えかける姿がぼんやりと脳裏に残っています。その光景を思い出すと、当時抱いた「原爆が広島に落とされて、苦しい思いをした人たちがいたんだ。怖いことだなぁ」といった感情が蘇ってきます。

また平和記念資料館には、広島で育った間、正確な数は覚えていないものの、何度も行きました。印象的なのは本館に設置されていた「やけどをして皮膚をぶら下げて歩く被爆再現人形」です。痛烈に記憶に残っているのは私だけではなく、広島出身者と平和について語る時、やはり一つの話題になります。ただ4年前にリニューアルしてからは、展示から撤去されています。

地元の一部では反対意見が上がる一方で、資料館としては被爆者から寄せられた意見を尊重し撤去を決めたということです。

広島出身ということ

大学進学後、当然、広島出身であることを意識する機会が生じました。大学生活の大半を過ごした寮には、全国各地から学生が集まっていました。出身県によって常識は異なります。「原爆の日って何月何日だっけ」という質問に不安を覚えながら回答し、その後、こっそりとスマホで調べていました。広島出身なのに答えられないのは恥ずかしい。性格によるところもあるかも知れませんが、高校卒業までに受けた教育の影響もあっただろうと振り返って感じます。

また1年間、アメリカで過ごした留学生活でも「広島出身」であることを強く意識する場面がありました。若い世代と話すときには話題にのぼることはありませんでしたが、日曜日に開かれる教会のミサなどに参列すると地元のアメリカ人から「原爆についてどう思っているの」と聞かれました。「広島ではこんな教育がされている」と話をしたものの、英語力にも自信がなく、十分に伝え切ることはできませんでした。

知っておく、覚えておく

こうした経験から、「平和教育なんて言っても全然詳しく教えてくれない」などと考えていた時期もありました。ただ30歳になった今、改めて考えてみると、その分野に詳しくなって、人に説明できるようになるためには、その領域を専門とした修学が必須です。

きょう、改めて広島出身だったことの意味を考えると、幼少期から受けた教育を忘れないことが大切なのだろうという結論に至りました。そして自分が精力的に取り組む事業・活動や、周囲とのコミュニケーションの中で、知ったことを忘れずに伝えていくことを大切にしていきたいと思うようになりました。

皆様の平和への思いもお聞かせいただけると幸いです。

次回以降も、再び医療や地域経済・振興、若者や学生などをテーマに投稿を続けていきます。あすもどうぞ宜しくお願いします。


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